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[ KURO ]
2012/9/9(日) 午後 5:26
新羅王の墓碑祀る村「竹ケ花」
考古新潟県央地域
[ 丸子実業高いじめ殺人判決は大誤審 ]
2012/7/7(土) 午後 2:38
持統天皇元年(687年)、日本の朝廷は帰化した新羅人を下野国に、新羅の百姓の男女を武蔵国に土地と食料を給付し、生活が出来るようにする。
持統天皇3年(689年)にも投化した新羅人を下毛野に移し、翌持統天皇4年(690年)にも帰化した新羅人を武蔵国や、下毛野国に居住させる。
霊亀元年(715年)には尾張国人の席田君邇近及び新羅人74人が美濃国を本貫地とし、席田郡に移される、天平5年(733年)。
新羅では755年には新羅王のもとへ、飢えのため、自分の股の肉を切り取って父親に食べさせた男の話が伝わるほどだった。
このときに、日本の九州北部をはじめ、日本へ亡命し、帰化した新羅の民が多数いた。
しかし、その移民の数が多いため、天平宝字3年(759年)9月、天皇は太宰府に、新羅からの帰化人に対して、帰国したい者があれば食料等を与えたうえで帰国させよとする勅を出した。
翌年には、帰国を希望しなかった新羅人を武蔵国に送った。
朝鮮後三国時代の終わりの935年に新羅は滅亡し、多くの流民・棄民・難民が発生した。



