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久しぶりのブログアップで、「相鉄おやじ」さんから、訪問いただいたので、FBに掲載した写真を、トリミングしてアップしてみました。 5月15日午後、三条市合屋地内の平安時代の遺跡めぐりをしていたら、踏切の警報機が鳴って、普通電車がはるか加茂方面から(上り線)来るのが見て取れました。 「普通」で、車両の脇には「越後中里」のプレートが見られました。 |
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ツイッター、FBと、忙しい仕事の合間に、いろいろ手がけていましたら、その簡便さに、ついついブログをアップするのがわずらわしくなって、そのまま放って置く結果になりました。 必要があってYAHOO!検索で、燕市の考古学と検索したら、なんと、自分の部ログのタイトルがぞろぞろ並んでいるではありませんか。 目的は達せられませんでしたが、改めて、YAHOO!ブログの威力を再認識。 忘れかけたパスワードを入力、ログインしてみました。 なんと、菩提寺の三条市矢田、真宗大谷派、光善寺の内容に、コメントが加えられているなど、コメント返しもせず、失礼していました。 考古学も、仕事も、67歳の誕生日を一ヶ月半後に控えて、ますます懸命に努力しているところ。ボケが自覚されるようになって、さらに新しい事柄に毎日遭遇している不幸を、不幸と思わずに、楽しんでいる日々ですが、時折、ブログもアップしていくかと、ぼんやりと考えているところです。 最初は、5月12日、新潟市の旧黒埼町地内の板井(釈迦堂)遺跡の表面採集の結果を報告します。すでにこれまで数度にわたって現地を歩き、相当量、遺物を採集していますので、今回は、わずかです。 写真上は、板井(釈迦堂)遺跡の地図と、写真下は、5月12日に表面採集した釈迦堂の西側水田(現況畑)のA地点と、少し離れたB地点で採集した遺物です。
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《四つ割菱の押圧紋のある中世須恵器の壷》 このほど、新潟県燕市佐渡山(さどやま)の助次郎遺跡周辺で表面採集中、豆畑に転作した水田面に、中世須恵器の壷片を発見。 泥に汚れている時から、櫛書きの波状文が数条あるのは分かりましたが、帰宅して、泥を洗い落としましたら、くっきりと、四つ割菱の紋が浮かび上がりました。 能登半島の「珠洲」の中世窯で焼かれた珠洲焼研究の第一人者吉岡康暢の著書「中世須恵器の研究」の加飾法に、さまざまな押圧紋のなかに、紋章の押圧紋があると指摘されているが、四つ割菱は、取り上げられていない。 四つ割菱は、別名武田菱とも呼ばれ、助次郎遺跡に、武田氏ゆかりの人たちが入植、この壷を注文して焼かせたのだろうかなどとも、思ったりしている。 |
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《土師質土器の甕に円形の教えてください》 日曜日の4月1日午前、新潟県三条市柳沢の、昔は上流部を三途の川と呼んでいたそうですが、水戸川(みとがわ)流域で表面採集を行ないました。 といっても、たまたま、水田の排水路にU字溝を埋設するために掘削した土を積んだ畦をチェックしただけですが。その際、中世珠洲焼の甕片と、古代の土師質土器の甕片が採集されました。 もともと扇状地形の、その川の流域には、古墳時代から奈良・平安時代、そして中世の遺跡が点在しており、古くから開けたことがうかがえます。 ところが、その土師質土器を洗ったら、肩付近の叩き目の間に、小さいが、○の形のマークのようなものが浮き出ていました。 はじめて見る文様であり、いつごろ、どこで焼かれた土器に見られるものなのか、ぜひ、経験豊富な方々から、ご教示いただきたいと思い、ブログアップします。宜しくお願い致します。
文様を拡大してみました。
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《梅の蕾ようやく膨らむ》 雪国の春は遅く、数日、強い北西風が吹き荒れる天気でしたが、気付いてみると梅の蕾が膨らみ始めていました。 桜はまだですが、もうすぐ、次々と春の花が咲くでしょう。 まだ、雪の残る蒲原丘陵沿いの水田では白鳥も見られますが、もうすぐ4月というのに、のんびりとしたグループもあるものです。蒲原平野はよほど居心地がいいのでしょうね。
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