越後・蒲原平野の歴史と文化

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<ツイッターにはまって夕食を食べ損ねた>
ブログもおもしろいが、いま、加熱しているのがツイッターだとかで、始めてみたら、交信する相手を「フォロー」するのが一仕事。アドバイスいただいた知人からは、「新潟県の県央地域で800くらいはフォローしなければ」と言われ、もっか適当な相手をフォロー中。途中から、「〇〇さんが、ツイッターを始めたのでフォローしましょう」という知り合いが数人現れて、応援してくれるなどで、ようやく目標の1割弱まで到達。ツイッターは文字数も限られるし、ブログのような写真の取り込みもできないので、まさにつぶやく程度。ブログ、ホームページとの使い分けけで楽しめそうです。

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          刈谷田川の五百刈(赤字)、中興野と山吉周辺地図、緑の箇所が土師器など採集地

<暴れ川、刈谷田川の改修と遺跡探訪、空振り> 好天に恵まれた日曜日の4日、平成の大合併で長岡市になった旧中之島町の五百刈集落と中興野集落(いずれも刈谷田川左岸)と、刈谷田川右岸の見附市山吉集落などで遺跡探訪を敢行。
五百刈集落では、「養老6年(西暦722年)中之島発祥の地」という石柱が建てられているほどで、地元の旧庄屋「浅野家」では、そのように言い伝えられていると言う。ところが、考古学的に見て、同地域の杉之森、高畑、横山などの微高地の遺跡群から、すでに古墳時代の遺物や奈良・平安時代、中世の遺跡群が明らかになっている。
また、新潟県県央歴史研究所の地道な表面採集調査によって、信濃川と平行して流れる猿橋川右岸の品之木(ぼんのき)集落からも古墳時代の遺物が採集されている。同じく猿橋川右岸の坪根集落では、微量だが、平安時代の土師器と思われる破片が、集落脇の排水路から採集され、今回、採集地に近い猿橋川河川改修現場からも、微細だが2点ほど土師器片が採集されている。
そこで、五百刈、中興野集落内と対岸の山吉集落の刈谷田川の改修現場で、なんとか、せめて奈良・平安時代の須恵器や土師器の破片でも採集できないかと挑戦したが、収穫はゼロ。下流部の中之島集落内の刈谷田川改修現場では、すでに報告の通り、須恵器、土師器片を採集しているので、期待したが無理だった。
何故、伝承はあるのに、遺跡が見つからないのか。刈谷田川が暴れ川で、蛇行しながら、時に決壊するなどで、字形が変わりやすい。加えて、昭和36年ころの豪雨で、五百刈集落の一角が破堤、大改修が行なわれ、今回平成16年の7・13水害で、再び大改修が行なわれたため、五百刈、中興野の集落とも、昔の家屋敷や畑が潰れ、地形が一変しているため、遺跡が探せない状態。
ただ、偶然なのだが、五百刈集落の旧庄屋浅野家、中興野集落の旧庄屋吉田家のご家族から、伝承についてうかがうことができるなど、収穫もあった。
山吉集落では、刈谷田川改修では、ほとんど地形が変わっていない。集落内での遺物採集はできなかったが、集落の東、新幹線の近くの水田排水路から、須恵器片と土師器片を1点ずつ採集。よやく山吉集落近辺に古代からの人びとが住んでいた痕跡を見つけることができた。今後の調査が重要だ。
中世の三条城将山吉氏の出身地と見ているので、なんとか中世遺跡の存在を確かめたいのだが、地域に館跡などの伝承は全くない。

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五百刈集落の一角に建てられた中之島発祥の地の石碑。旧庄屋浅野家のご家族は、本来は、この屋敷内に建てたかったと言う。

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浅野家の屋敷も度重なる刈谷田川の改修で、畑や屋敷地が削られ、現在は、家ぎりぎりに堤防が築かれている。屋敷は周囲よりかなり高く、昔の庄屋屋敷の面影をとどめている。家は数度焼け、菩提寺も焼けて、古い過去帳、文書などは伝わっていないと言う。惜しまれる。

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この南無地蔵尊の社も、この位置より右手の刈谷田川沿いにあったが、堤防新築で、50mほど移動させられた。新しい境内に米山塔があって、「右長岡通」とあって道標を兼ねている。この碑ももちろん、旧南無地蔵尊の社にあったものを移動させられた。


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畑仕事をしている農婦に声を掛けたら、たまたま、中興野集落の旧庄屋吉田家の方だった。品のよい言葉遣いで、なまりがないが、家付き娘だったということで、祖母から家の歴史などよく聞かされたと言う。吉田家は、戦国時代、武田信玄に攻められ信州から越後に落ちてきた村上一族で、はじめ中之島の長呂集落に落ち着き、その後溝口藩の役人となり、この中興野の土地を賜って、移り住んだと言う。浅野家ほどではないようだが、刈谷田川の築堤で畑が削られたと言う。

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改修でまるで流れが変わった刈谷田川。守門岳など上流部の雪解け水を集めて緑色した流れが春らしい。この川が、雨季になると、まるで狂ったような濁流となり、随所で越水、破堤を起こして、中之島、見附地域の人々を苦しめる。

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見附市山吉集落の東南、新幹線近くの水田地帯の排水路路肩に土師器片や須恵器片がそれぞれ1点ずつ出土した。これまで、全く地域の遺物、遺跡の伝承すらなかっただけに、ようやく手掛かりが見つかった。刈谷田川は暴れ川で蛇行を繰り返していたのだから、自然堤防は、現在の堤防脇の集落よりも、東南にあったと考えることもできる。もちろん、新幹線のあたりは、すでに後背湿地であると言う。その縁辺が鍵になる。

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微細だが、土師器片に間違いない。このほか須恵器片も1点採集したが、平安時代のものか、中世須恵かは、さらに専門家に確認する必要があるようだ。周辺に近世の磁器片も微量落ちているが、ほとんど採集しなかった。

カレーパスタ

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<カレーパスタ>きょう4月1日お昼に、知人と燕市の商店街の一角にあるレトロな軽食喫茶「ロンドン」に行き、勧められるままに「カレーパスタ」を注文。生活習慣病を直すには、生野菜を食べるという一項があって、普段あまり生野菜を食べないのですが、きょうは大喜びで、生のサラダ(当然)を食べ、カレーパスタに舌鼓。隣の三条では、もっか、伝統の味「カレーラーメン」を売りにしていますが、カレーパスタもおつなもの。最後にスープ付で、楽しいランチでした。

古墳時代の土師器片

<古墳時代の土師器片>3月28日にブログアップした、合屋遺跡の周辺の遺跡のうち、信越本線の北側、排水路工事の現場から採集した須恵器片、土師器片をきょう4月1日、洗ってみました。採集時点でも、この土師器片は古そうだと目をつけていたのですが、やはり洗ってみて、古墳時代の土師器の特徴である、外側の刷毛目はもちろん、内側にも刷毛で調整した刷毛目がはっきりと確認できました。内側の刷毛目はなかなかデジカメではうまく撮影できないので、今回はパスしますが、問題は、三条市二ツ山地内にある三王山(山王山)古墳群に最も近い距離にある古墳時代の遺跡の一つとなり、数年前に、当研究所が、この信越本線の保内駅より、水戸川と交差する箇所の排水路工事現場から採集した高台坏など古墳時代に遺物とともに、この一帯に古墳時代の遺跡が広がっている可能性が出てきました。
三王山古墳群の正面に当たり地域で、今後、さらにこの一帯での古墳時代の遺跡探しが、蒲原地方における古墳と住居祉との関係などを探る重要なキーワードになるでしょう。
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                      古墳時代の土師器片の表

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             古墳時代の土師器片の内側(上の壷の口縁部は表のままです)

春なのに積雪

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<春なのに積雪>きのう3月29日、冷え込み、朝から雪が舞っていたのですが、降っては消える雪でした。この季節になってまさか雪が積もろうとは考えてもいませんでしたが、今朝30日朝6時に起床。カーテンを開けたら、見渡す限りの雪化粧。
まだ、4月にこそなっていませんが、後2日で4月だというのに、異常気象です。梅はすっかり咲きほころび、桜の開花を待っていただけに、ビックリ。記録にと一枚パチリ。

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