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【旧分水町(燕市)の中島地内、十王堂裏墓地の中世骨壷】 彼岸の中日も終えた9月24日、中島地内の十王堂の裏手にある墓地を訪ねました。 今年の夏、同墓地から須恵器の甕の破片を数点採集。平安時代の人の生活した痕跡がある以上、必ずや中世の遺物もあるだろうとの狙い。 彼岸の中日に合わせて、墓地の回りは草も刈られ、整理されていた。雨も降って、遺物の表面採集には最適の状態だった。 そこで、古そうな墓の周りや、逆に整備されていない墓などの周囲を隈なく探した。意外にも、墓石というよりも、御影石のカケラのような物が一個置かれ、その前とも、脇ともいえない位置に、花や蝋燭を立てる道具が置かれていた。花は備えてなく、この彼岸の中日には、この墓をお参りした人がいないらしい。 よくみると、その御影石のカケラのような物の下から、珠洲焼特有の叩き目文のあるの甕のカケラが覗いていた。 瞬間、「あった」と小躍りした。しかし、誰かがこの墓地を管理し、この墓も、もちろん誰の墓か分からないだろうが、心ある人が時にお参りしている。 したがって、丁寧に御影石のカケラをどかし、状態を確認。写真を撮りながら、状況を確認した。 骨壷は、2個で、1個が先に埋められ、その骨壷を欠くようにして、後の骨壷が埋められていた。 後から埋めた骨壷は、すでに口縁など上部が欠けていたが、幸い欠けたカケラが重ねられていた。先に埋められた骨壷は、すでに上部が欠けて、カケラも見あたらない。 墓地の南側の中央にあって、多分、かなりの有力者、開基の僧か、開基檀那の墓ではあるまいかと想像した。 残念なことは、この骨壷の上にあるはずの、五輪塔などは、そのひとつも見つからない。誰かが持ち去ったものか、土の中に埋めてしまったものか。 とにかく、欠けた口縁部を持参し、洗って写真撮影した後、燕市埋蔵文化財の担当者に渡して、状況を報告しておいた。 ここに、その墓地の状況を撮影した写真をアップする。新しい遺跡であることは間違いなく、一字一石経の石が出た新堀の中世墓地とともに、登録し、しっかりと調査してほしいものだ。 |
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【ツイッターとリンク】今まで、ツイッターには、越後ジャーナルのHP「新潟県県央東部のメディア」しか、リンクしていなかったが、今度、「越後・蒲原平野の歴史と文化」http://blogs.yahoo.co.jp/niigata33_rekiken22/MYBLOG/yblog.htmlも時折、リンクするようにしよう。ブログで詳しく書いて、ツイートにリンクすれば、一石二鳥というか、より詳しく、内容をアップできる。 |
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【新潟市に遊ぶ】 きょう10月25日、平日ですが、新潟市の会津八一記念館で開かれている「会津八一生誕130年、没後55年 會津八一VS北大路魯山人 〜傲岸不遜の芸術家〜」を見るため、新潟市へ。同記念館に入るのは初めてで、2人の残した作品などを鑑賞して来ました。 そのついでに、同展の入場券を見せると、八一ゆかりの店では特別サービスがあるというので、そのひとつイタリア軒の大観苑で、旬彩ランチ(税・サービス込み1800円)のところ、1500円というお得なランチを食べて来ました。ひと月ほど前に、この店で食事、とても高級な店なので、ランチと言えども高いのだろうと思いきや、リーズナブルな価格の上、味もよく、すっかり気に入りました。 ついでに、新潟市駅前の敦井美術館に寄って、所蔵品のなかから、花鳥をテーマに選りすぐった日本画、陶磁器などの作品を鑑賞。大観の明治32年制作の大作「黄昏」や、小倉遊亀の赤絵の碗に黄色の山吹の花を置いた「山吹」、土田麦僊の「鴛鴦図」、板谷波山、楠部彌弌、富本憲吉などの陶磁器、20世堆朱楊成の漆作品などを鑑賞して来ました。 同美術館前の路上の駐車場は、いっぱいで、その上、不法駐車取締り中。やむなく新潟東映ホテル駐車場に車を止めたので、ついでに9階のレストランで、「スィーツセット」(600円)を食べてきました。目に美しく味もよく、さすがに新潟市内でした。 美術館はいずれも撮影禁止なので、作品はアップできませんが、イタリア軒・大観苑の料理や、ロビーの調度、新潟東映ホテルのスィーツ、それに街角で拾った紅葉の写真をアップします。 |
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【ユーザーIDとパスワードを忘れてしまった】 |
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《燕市教委埋蔵文化財担当者から丁寧なご返事》 先日、ブログアップした燕市館野地内の上徳遺跡についての表面採集の結果について、燕市教委の埋蔵文化財担当者に報告させていただきましたが、さっそく、現地調査され、概要、以下のようなご返事を頂きました。 早速に採集箇所等連絡いただき、ありがとうございました。 本日(6月15日)、現地を確認してきました。 確かに排水路や道路が再整備されていました。多分農政関係なんでしょうが、工事の際に埋文で立ち会いはしていません。 現地を確認した結果、おっしゃるとおり、土師器片、須恵器片を採集しました。そこそこの量がありました。時期は9〜10世紀前半くらいと思います 遺跡は、上徳遺跡だろうと思います。 遺跡分布図で示されているのは「三角田遺跡」報告書の場所で、範囲はかなり広い。しかし、地名は「舘野字上徳」です。おっしゃる通り、地名と場所が一致しません。 今回の表採地付近の現在の字名は「舘野・西」です。舘野集落を挟んで東側は「舘野・東」となっています。 「上徳」という地名が一切どこにも現われて来ないのです。どうやら、過去にはあったが、いずれかの時点で字名を変更した模様です。 遺跡分布図に示されていた上徳遺跡の確認調査を行ったことがありますが、すぐに砂層になって遺物は出土しませんでした。よって、上徳遺跡の位置を誤って地図上に記載している可能性があります。 舘野クリーンセンターの増設について、現センターの東側、休耕田の部分ですね。後でよく確認します。 情報提供ありがとうございました。 以上の内容で、表面採集の成果が、燕市の埋蔵文化財調査に役立ったようだ。 今後も、ボランティアの気持ちで、燕市の遺跡調査に協力していきたい。 なお、近年、小字名が消えている地域が多くなっており、60代でも、もう分からなくなっている。特に中世の遺跡を探す上で、小字名が重要なだけに惜しまれるし、度重なる圃場整備事業(昔は耕地整理と呼んでいたが)で、往時の地形の面影が消えているだけに、今後の遺跡調査が難しくなっていくことが危惧される。
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