|
〈和島地内、荒巻川の遺跡報告〉
遅くなりましたが、5月16日(日)に、長岡市寺泊(旧寺泊町)新長という、大河津分水路左岸で、島崎川が大河津分水路に流れ出る位置にある水田地帯で、大量の搬入土から古土師器片や、奈良・平安時代の須恵器片などを採集、後日、長岡市科学博物館の文化財係に連絡、この残土が、長岡市の旧和島村地域で行なわれている、荒巻川の開削工事の行なわれている掘削土であることが確定しました。5月23日(日)に、荒巻川の工事現場を表面採集。以前、同文化財係に報告、現在遺跡指定されている荒巻川中流域からは、古式土師器片が、また下流域から、古式土師器片と須恵器片が採集されました。
一帯は、島崎川とその支流が長い年月掛けて形成した緩やかな河岸段丘が発達。縄文時代(微細な縄文土器片一点も採集)から弥生、古墳、奈良・平安時代、そして中世に至るまで、人びとが住み続けて来た地域。発掘調査が行なわれなかったのは残念ですが、遺物が大量に採集されていることから、重要な資料として今後検討が加えられるでしょう。
新長地内の水田に盛り土された現場。赤い円で囲んだ辺りから特に多くの遺物が採取された。
荒巻川の開削工事現場。以前、向かって左側を開削した際に大量の遺物を採集し、報告したことで、遺跡指定されている。右側が今回、新たに開削され、その残土などが、新長地域内にトラックで運搬され、盛り土されたもの。数キロの距離であり、こうした掘削土の移動は今後の遺跡調査に重大な課題を残すことになる。
荒巻川の下流域、左岸で古式土師器片、須恵器片が採集された斜面。
上層部の砂礫層から須恵器、土師器片が採集された。その状況。
残土の盛り土から採集された弥生時代中期とされる高坏の脚部。焼きもしっかりしていて、朱も丁寧に塗られている。
同じ場所から採集の古式土師器片で、箆描き文様などから、弥生時代中期と見られるという。
古式土師器片など
|