越後・蒲原平野の歴史と文化

小休止の後も、越後・蒲原平野の歴史と今にこだわり続けます。

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いま、大河津分水路の可動堰建設に伴い発掘調査が行われている大河津分水路の五千石遺跡に注目が集まっていますが、当研究所が、五千石遺跡の発見の端緒になった燕市分水地区の下中条集落と、長岡市寺泊の北曽根集落の西側の境界を流れる幹線排水路周辺の古代、縄文時代の遺跡の存在については、あまり知られていません。
当研究所では、北曽根地区の周知の遺跡群がどちらかというと、集落の東側の畑に集中していることから、集落の西側にも注目してみました。
たまたま幹線排水路工事が行われて間もなかったことから、排水路の路肩や隣接する小さな排水路、あるいは下中条集落の周辺の水田畦などを表面採集し、微量ですが縄文時代の遺物と、古代の遺物を相当量採集したのがきっかけです。
それが、堤防の外側(河川側)で行われていた大河津分水路工事現場にも眼を向けるきっかけになりました。当時、市町村合併前で、分水町でしたので、分水町役場に届け出、県の指導で発掘調査の運びとなりました。
ただ、肝心の下中条地区、北曽根地区については、下中条地区は、周知化されましたが、長岡市の北曽根地区については、どこまで周知化されたのか分かりません。
今年の夏から、いよいよ、北曽根地区の西側で圃場整備事業が始まり、当研究所でも注目していたところ、9月23日の表面採集で、北曽根集落の西側、幹線排水路の南側の工事現場で、20センチほど表土を剥がしたところに、黒色土の遺物包含層が露出しているのを確認しました。
近くで、排水路を掘るところでは、試掘調査が行われたようですが、遺物包含層が露出したところは、多分、表土を剥がさず、土盛りする場所だったのでしょう。試掘調査は行われませんでした。しかし、もともと畑が多く、地盤が高かったため、掘削したのだと思われます。
露出したのは、一部で、全体の遺物包含層の面積は想像つきませんが、一応、露出している遺物と、脇に積まれた土砂の中から採集できる遺物は拾い集めてきました。
圃場整備事業に伴う遺跡調査の難しいところで、畑を削平するとか、排水路を掘るところは試掘調査されますが、建前上、削らないとする水田などは試掘調査しないことが多いのは、当遺跡に限りません。
できれば、試掘調査や本調査をしなくとも、せめて、立会いをして、遺物包含層の確認くらいは心がけてほしいのです。
そうでないと、発掘調査されたところだけが遺跡とされ、破壊された遺跡の存在は記録に残らず、全体の展開が把握しきれなくなるからです。
文化行政の面での、重点地区の遺跡発掘調査と違い、建設事業に伴い破壊される遺跡の発掘調査の限界であり、後世に憂いを残すことになると思うのですが。

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