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10月6、7日と1泊2日で佐渡を回ってきました。
1日目は、佐渡能楽館、トキの森公園、日蓮ゆかりの根本寺、順徳上皇皇女の墓、五重塔のある妙宣寺、佐渡金山、佐渡金山水替人足(無宿人)墓地、佐渡版画村美術館、相川郷土博物館と相川技能伝承展示館などを見て回りました。天気のいいうちにと欲張りました。 2日目は、相川の長坂、西坂や刑場跡、国指定史跡の時鐘と鐘楼など古い町並みを歩き、尖閣湾を遊覧、考古資料や佐渡出身の日本画家土田麦僊の素描などを展示している佐渡博物館、昭和天皇の歩かれた同博物館からホテル八幡館への道、順徳天皇の御所跡や佐渡歴史伝説館など、真野湾に向かっての古墳群のひとつ大立古墳、国分寺の瓦をはじめ、須恵器を焼いた小泊窯群の現地、空海(弘法大師)ゆかりの蓮華峰寺、千石船を造っていた町「宿根木」の町並みを散策して、あとは、赤泊など小佐渡の海岸線を走ってきました。2日目も天気に恵まれ欲張ってしまいました。 もちろん、慶宮寺、国分寺や下国府遺跡、外海府の賽の河原などもありますが、数年前に訪ねた折に見ているので、今回はパスしました。 一番見たかったのは、なんといっても須恵器の一大産地だった小泊窯群。前回の訪問では、案内標識は見つけたのですが、とうとう分からずじまい。 今回、再び、迷子になりましたが、土地の郷土史に詳しい方に、偶然、場所を尋ねて、道案内をしていただき、しっかり話も聞かせていただきました。 初めに、ただ道を尋ねる気分で声を掛けたので、名前も名乗らず、タイミングを失して、名前を聞くこともなく分かれましたが、懇切丁寧なガイドで、さまざまなことをお聞きしました。 取材というのでなくメモを取ったわけでないので、記憶に過ぎませんが次のようなことです。 砂金の取れた西三川では、古代から金の発掘が行われており、竪穴、横穴などが非常に多い。古墳は、横穴式で、越後の古墳の多くが土盛りなのと異なっている。 朝鮮やロシアなど対岸から異国人が相当流入してきている。今でも、村によっては明らかに人種が違い、韃靼人はもちろん、様々な人種が流れ着いたと思われる。苗字も異なる。 小泊は、発達した海岸段丘を利用、土と杣など豊富で、海から吹き上げる風も強く、いたるところに窯があった。 杣を確保するためか、古い地図には、小泊の飛び地が広く存在していた。その大切な地図が紛失している。 後に近くの地域で石製品を生産するが、そのときにも「小泊産」と称して、富山県辺りにまで販売されていたようだ。 などなど。 こうした話を聞きながら、珠洲焼の産地だった能登半島の珠洲市平等などの風景に比べ、極めて開けていて、まさに海から吹き上げる風を生かして須恵器を焼いていたことがうかがえました。 相川の町並みは、金山の閉鎖と、戦後の人口流出で、坂に沿って狭い敷地に建てられていた古い家の多くが廃屋になっている姿が見られました。 車も上れない石段の道、若い人々が、ふるさとを離れ、離島していったのも分かる気がしました。 新潟県は「佐渡金銀山」として、世界文化遺産登録をしようと努力しているが、すでに島根県の石見銀山が、今年7月2日に、登録されています。 世界文化遺産は登録申請が相次ぎ、今は、同じ種類は1国で1カ所とされています。 江戸幕府によって開かれた相川の金山であり、西三川地区ではそれよりはるかに早くから砂金採りが行われており、まだ証明されていないが、古くから穴を掘って金を採掘していたらしい跡が各所に存在しているということです。 新潟県人、特に佐渡人の対応の遅さは、県民性、島民性なのか。立ち上がりが遅いだけ、苦労しなければならないようです。 旅で得たものは、なかなか語りつくせない。機会をみて、また、紹介したいと思います。 写真は上から、小泊窯で焼かれた円面硯、国分寺の軒丸瓦、軒平瓦、無宿人の墓の案内、刑場と刑場の供養塔。真野湾に面して立てられた大立の古墳。一石五輪塔を追加しました。 |
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2007年10月08日
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