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御粥は、小豆粥に餅を入れたもの 神事が終わったあとに、参詣者に配られる。各自が持参した、ラップやプラスチックのパックなどの容器に御粥を入れて帰り、家でいただき、無病息災を祈る。 白い装束の伶人が、笛、太鼓で、神事の始まりを告げる。 奥にある本殿の扉を開き、祭神を迎えて、古川洸宮司が祝詞を奏上。 神事も滞りなく終えて、御粥を頂いて帰るのだが、100を超える石段を照らすのは幾つかの灯篭の明かりだけ。 境内の狛犬も、薄っすらと雪化粧。目が隠れて、顔すら分かりません。 《加茂市の青海神社の御粥行事》 三条八幡宮の献灯祭が、明るく華やかなのに比べ、加茂市の青海神社の御粥行事は、古式そのままに、粛々と進められ、威厳すら感じさせる神事です。 青海神社に、京都の上、下の賀茂神社が御遷祀されたのは、桓武天皇が延暦13年(西暦794年)、平安京に遷都した折、その場所が、賀茂神社領だったことから、全国に替わり地を与えられましたが、そのときに、青海郷だった加茂の地も含まれていました。青海郷の枝郷だった加茂市石河の地にある貴船神社に遷宮。ついで加茂山の麓の現在地に遷宮されたと伝える由緒ある神社です。 中世には、加茂山に山城が築かれ、お経を収めた経塚も何基か築かれています。経塚の中から、治承2年6月24日の紀年名のある銅製の経筒の入った中世須恵器の壷などが出土しています。収めたの「菅原氏倉持宗吉」。治承2年といいますと西暦1178年で、鎌倉幕府の成立する1192年より、14年前のこと。経筒は、新潟県指定文化財です。 さて、同神社の由緒については、加茂市史に詳しいですが、とにかく古い神社で、加茂山一帯に、さまざまな時代の遺跡が眠っている状態。今でも杉木立が鬱蒼としていますが、かつてはもっと杉の大木が多く生い茂っていたのですが、台風などで倒木しました。加茂山一帯には新潟県の木の雪椿が自生しています。 由緒のある神社なので、説明が長くなりましたが、御粥行事は、毎年1月14日の午後10時から、拝殿で執り行われています。2年参りや初詣と違い、1年のさまざまな行事の中でも、知る人ぞ知るという地味な行事です。 善男善女が、拝殿に上がる前に、賽銭を投じてお参りして、拝殿に上ります。拝殿は、戸が開け放たれています。寒中で、夜の空気はかなり冷え込みます。ストーブや昔ながらの火鉢の火で暖を取りながら神事の始まるのを待ちます。 まず、白装束の伶人が笛、太鼓を奏で、やがて、奥にある本殿の扉が開かれ、祭神を迎えます。拝殿の祭壇には五穀や果物、鯛などが献じられ、古川宮司が祝詞を奏上。その後に、神官らが、玉ぐしの舞、白扇の舞、剣の舞を舞いました。動きがあって、拝殿が暗いためにデジカメではブレてしまって使えないのが残念ですが厳粛な舞でした。神事はすべてで約1時間かかります。 再び、祭神をお送りした後、本殿の扉が閉ざされ、祓い清め、下げられた御粥が、参詣の善男善女に配られます。参詣者は例年のことで、プラスチックのパックやラップなどをてんでに持参し、御粥を頂いていきます。御粥というので、病院などで出される3分粥、7分粥のように、水気の多い粥を想像していましたが、小豆や餅が入っていて、粥にしてはかなり固めで汁も出ませんでした。 拝殿を降りて、100を超える石段を滑らないよう気をつけております。途中で、神矢、熊手やお札を買い求めていく人もいます。僕は、神矢を買い求めてきました。境内や石段は、それなりのに照明が付けられていますが、夜のことで、薄暗く、拝殿もデジカメでは絵になりません。石段を照らす灯篭や雪を被った狛犬などを写してきました。
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