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雁が群れて帰ります。(小さかったら、拡大してください) 同じく、少しアップにして、撮影しました。(同じく) 大好きな粟ヶ岳です。燕市は三条市の西ですから、粟ヶ岳からそれだけ離れます。 粟ヶ岳より右(南側)に見えるのが、神の住む「巣守の山」と呼ばれる「守門岳」です。 粟ヶ岳より左(北側)の奥に見えるのは、飯豊の山並みです。高いだけ一際、白く見えます。このほか、関東との国境の山がすべて望めるほどの珍しい天気でした。 手前に見える水田が、僕が遺物の表面採集をした水田です。まだ、少し雪の残っているところもありますが、秋耕した水田は、この雪解けのころが、一番、効果的なのです。 粟生津集落の南の水田からきょう11日採集した遺物です。今回は、平安時代の遺物と言うより、中世、近世の遺物が多かったのですが…。 きょう11日午後5時ころの夕日です。めったに見られない美しい夕日でした。 《眠り居し平安の邑雁帰る》 人様の俳句は読みますが、自分で作ることなどないのですが、ひらめいたので書きました。 きょう11日、越後・蒲原平野は、朝から晴れて、午後には春の陽気に。心地よさに誘われて、燕市粟生津地内の水田で、遺物の表面採集を続けました。秋に耕した水田はぬかるんで、足を取られながら、汗ばみながら、苦行だと思い、ひたすら歩きました。 以前から、何度も表面採集している場所なのですが、耕すたびに、新しい遺物が表土に現われますので、チャンスを逃すことなく、雪解けを待って歩くのです。お陰で、今回はおもに中世の珠洲焼の甕や壷、片口、擂鉢、そして青磁、越前焼などや近世の陶磁器の破片を拾うことができました。 正午過ぎから歩いて、あっと言う間に午後4時近くなりました。まだ、見て回りたいところがあるのですが、夕刻までに家に帰って、採集した遺物を洗わなければなりません。そろそろ、帰ろうかと思うころ、薄い雲の広がる空に、雁の啼く声が聞こえました。 見上げると、まさに雁がねになって、僕の頭の上を雁が群れて飛んでいきます。白鳥がねぐらに帰るのと時間も違い、まだ、空に太陽が輝いているのに飛んでいくのですから、きっと、北へ帰るのでしょう。 今年は雪も少なく、日中は、3月下旬から4月の初めの気温だと言いますから、もう帰るのかもしれません。そう思って見上げると無性に恋しさが募って、ポケットからデジカメを取り出して、田んぼの中から、上を向いて、当てずっぽうで何枚か写しました。 広い空ですが、案外、雁の飛行は早く、わずかのチャンスを逃すと、姿が見えなくなります。第一、小型のデジカメでは、いかに拡大で写しても限界があります。去り行く雁の群れを見送りながら、僕も遺物の表面採集を止めて、軟弱な田んぼから上がって、帰路につきました。午後5時ころの外気は、摂氏7℃。考えられない暖かさでした。 平安と言えば、都と言いたくなります。しかし、平安時代には、この越後・蒲原平野にも、多くの人々が住み、沼地を開墾し、水稲栽培に励み、舟を浮かべて魚介類を捕獲して暮らしていました。 誰も、この水田地帯に、そんなに古い時代から邑があったことなどに思いを馳せません。残念なことです。祖先は別でも、1000年以上も前から、人がこの地に足を踏み入れ、寒い日も、暑い日にも、土を起こして水稲栽培をし、麻を栽培し、糸を紡いで衣服を編み上げ、あるいは、稲藁製品を生産していたのです。場所によっては、鍛冶を生業とした人もいました。15年間、こうして水田や畑、古い屋敷跡などを歩き、古きを温ねることを続けてきてよかったと思います。
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2008年02月11日
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富取芳邨の「四季の草木」 堀浄弘の茶釜「雲竜釜」 《分水良寛記念館「冬の企画展〜良寛と富取芳斎」より》(1) 三連休の最終日。午前10時から、美術品の愛好者を訪問する約束で、素晴らしい作品を拝見する機会です。ところが、朝、悪質コメの問題を取り上げていたら、時間が過ぎて、ブログアップしたい、燕市分水良寛記念館で開催中の冬の企画展「良寛と富取芳斎」で、郷土の日本画家、富取芳斎、清旭など富取家の画家たちや堀家の茶釜を見てきました。あるいは、弥彦の式内社桜井神社周辺の遺跡などなど、アップすべき材料がありながら、すぐにアップできません。 富取家、堀家の作品くらいは、添付して、あとで内容について書きたいと思います。 富取芳邨は、明治23(1890)年〜昭和35(1960)年。 富取芳谷の次男で、名を寿鹿。家業の醤油醸造販売に励むかたわら、俳画や俳句をよくしました。雅号は芳邨で、俳号は芳河士。大正3(1914)年に、雑誌「骨」を発刊し増したが、家業が忙しくなり、大正8(1915)年に廃刊したそうです。僕は、その雑誌を読んでおりませんが。 堀浄弘は、文久3(1863)年〜大正10(1921)年。
江戸幕府から御釜師と認められた堀家の9代目。名越昌晴に入門し、父の8代目堀浄政の跡を継ぎました。 |
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4月13日、相変わらず、自動巡回は同じ顔ぶれ。あきれますね。 |
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