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写真はいずれも拡大して見てください。 《まだ、白鳥の群れがたくさんいました!!》 毎朝、信濃川の浅瀬に群れていた白鳥の姿が数日見られなくなり、もう今年は白鳥も見納めかなとあきらめていました。 ところが、きょう8日正午ころ、それでも、雪の多い、南の方、見附市あたりまで行けば雪も残っているかなと、遺物の表面採集も兼ねて、出かけてきました。 すると三条市栄地区に入ると、もうたくさんの白鳥が、水田に群れていました。それからは、行く先々、白鳥が群れていて、中には旋回しているつがいの白鳥や、群れる白鳥なども。 別のグループだと思うのですが、群れる白鳥のうえにさしかかると、急に下で群れている白鳥が鳴き出し、羽ばたきし、まるで、誘われて飛び立つようなにぎやかさになります。 結局、一緒に飛び立っていくことはなく、数羽の白鳥たちは美しい姿で飛び去っていきました。 とにかく、今度こそはこれが見納めとばかりに、カメラで撮影を続け、遺物の表面採集より、そちらが主になってしまいました。
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3月8日夜、読みかけて眠った三輪健司著「良寛へのアプローチ」。内容は、今回の僕の妄想とはまったく関わりありません。 《乳房射抜く春雷の門》 3月8日午後11時過ぎ、三輪健司著「良寛へのアプローチ」を読みかけて眠りました。 まだ、2時間ほどしか眠っていないのですが、まさに夢の延長のように、この短いフレーズが浮かんで、急に目覚めてしまいました。 「良寛へのアプローチ」は、筆者が「プロローグ」で述べておられるように、人間良寛にスポットを当て、良寛の出家の動機を示す「敦賀屋」の古箪笥に眠っていた文書に関心を寄せて書き起こしておられるだけで、そこに「乳房」などという言葉があったわけでありませんし、目覚めてみれば、戸外で雨の音はしますが、冬の終わりを告げる激しい雷が鳴っているわけでもありません。 まったくの夢に過ぎません。多分、僕一流の、良寛も人間であり、生くさい男であったはずだという信念に基づく妄想だと思います。 良寛を聖人扱いしたがる人々が多いし、時間が経過するほどに多くなります。しかし、なぜ良寛が、生涯、男であってはならないのでしょうか。貞心尼が女であってはならないのでしょうか。たとえ、老いても、愛欲の炎をめらめらと燃えたたせてはならないのでしょうか。 ともすると、人は、生涯、自らの胸のうちにあり続ける愛欲を卑しいものとする誤った考えの下に、無理に、美しい表層の姿のみに思いを託して、物事を語りたがり、それが自らの心の美しさだと誤解します。長い間、日本、日本人には、男と女の心身の交わりを秘め事としてあからさまにしてこなかった。またする必要のないほど、おおらかだったのかもしれません。 しかし、素直に、人間を見、男と女を見、そして自らの心を見れば、男として、女として美しい炎の燃え盛る時のあり続けることを、認めないわけにいかないでしょうし、それは人間として美しいことに違いありません。そして、創造の心、革新の心の源は、案外その辺りにあるのではないでしょうか。 生涯、苦悶、自省のうちに、一庵をも持たず生涯を終えた、禅僧であり、雲水だった良寛だからこそ、内に秘めた激しい人間性、それと闘わざるを得なかった一人の僧の姿を重ね合わせれば、たちまち、死せる良寛像に、みずみずしい人間の血が通うはずだと僕は思ってきました。 こんなことを書くのも、この世にない良寛、そして昨年、晩年になって、こよなく良寛を愛しながら、研究も半ばに他界された長谷川金七郎さんと、しばらくお話しする機会がなかったせいで、夢に、僕が独り言を話したのだろうと思います。 僕も60歳を過ぎ、良寛の74歳、あるいは75歳の死去の年齢が、視野の内にあります。さらに人間として、美しく、かつ激しく燃えながら走り続けたい。変に悟りきった顔で取り澄ましている気もありません。僕の良寛像もまた「燃える良寛」であって、「死せる良寛」ではないと確信しながら、きょうもまた春の夜明けを迎えるのです。
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