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《社長さんの携帯茶道具》 きょう10日午後、ある社長さんを訪問。これまでも、旅行先に、茶道具セットを持ってきて、同行のメンバーに茶を出して面白がっていたのですが、社長室で、やおら、その茶道具セットを出して、静岡茶の「和光」という茶を点てて出してくれました。 僕と同じ年齢ですが、30歳くらいのときに、これから畳の席で座る機会も多かろうと、そんな習い事をしておこうと思ったところに、義妹が、茶の先生を紹介してくれたので、流派も分からないまま、通い始めたのだそうです。長岡藩の茶で、新潟県でも会員の多い宗徧流だそうです。 仕事が忙しく、決してよい生徒ではなかったそうですが、先生らは、男性の生徒だし、仕事が忙しいことも理解していただいて、4年ほど通い、とうとう続かなくなったのですが、その後も、茶会などがあると誘っていただくということです。 この社長さんの言い分は、余裕のある人が、美容院に行ったり、着付けをしてもらって出かける茶会でなく、昔は、武士が戦争の合間に「忙中閑あり」で、茶の席に臨んでいたものということです。 この携帯の茶道具こそ、旅先ばかりでなく、こうして会社にいても、お客さんに茶を進呈できるのでいいと言います。やおら、茶道具セットを入れた弁当箱のようなケースを開いて、茶壷、茶せん、茶箕、そして茶碗を出して、お湯を冷ましながら、茶を点ててくれました。 もちろん、茶菓子は、生菓子ではなりませんが、クッキーを出してきて、一口食べながら、茶を頂きました。お湯も熱からず、ぬるからずで、苦味もありません。何でも、安い茶、あるいは、ふるいに掛けない玉のような粒が残る茶ではだめだが、それなりの茶で、ふるいに掛けてあれば、苦くないと話していました。 僕には、織部の茶碗、自らは萩茶碗で、世間話をしながら、茶を味わい、お変わりを頂きました。これであれば、コーヒーを出すのとそう変らないと言います。まさに、お互いに、多忙な毎日の中で、こうして茶を頂きながら、世間の話をする時間は大変貴重です。 だからと言って、いまさら僕には茶を習う覚悟はありません。折角出された茶なので、写真に収めましたが、ごらんの通り、風景を忘れて、写してしまいました。まあ、茶を知らない僕に、いちいち難しいことを言わず、僕が「おいしいね」と喜んでいるだけで満足してくれました。 武士の茶などと気取るつもりもありませんが、気心の通じた男同士で飲む茶もいいものです。
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2008年04月10日
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《桜に雨、撮影の意欲もわかず》 きょう10日、夜明けのころはまだ曇り空だったのですが、午前8時ころから雨に変わり、道々の桜は満開ですが、わざわざ桜の名所めぐりをする意欲も減退。現実にかえって、午前中、最近亡くなった人の家を2軒訪ねて、弔意を表してきました。 60有余年も生きてくると、いや大腸ガンだ、なんだと病を煩う知人も多く、知人の親などが次々と亡くなります。通夜、告別式に招かれていなくとも、つい先日まで、世間の話をしていた僕より若い人が、ガンで亡くなったなどと人伝てに聞くと、遺された家族のことも思い、弔意を述べずにはおれなくなります。 まだ50代で、亡くなった家では、昨年、80歳を過ぎたおじいちゃんが亡くなられ、年明けて、今度は若いご主人が後を追うように亡くなられたのです。小太りだったおばあちゃんが、げっそり痩せて、「体重が半分になりましたって」と言いながら、商売の笹団子作り。 連れ合いのおじいちゃんのときよりも、息子に先立たれたことがショックで、「泣きましたって。体重も半分に減りました」と本当に辛そうです。むしろ、5月の男の節句がかきいれどきの笹団子作りに追われていることで、気を紛らわせておられるようでした。 ほかに勤めていたお孫さんがすぐに店に入り、「孫が、商売を継いでくれたので、それだけが励みです」と言っておられました。 人の死は、年齢でありません。しかし、60歳を過ぎると、自らの健康もさることながら、周囲の人たちの健康が気遣われるきょうこの頃です。きょうの午後は午後で、これから、大腸ガンで手術を受けた方の見舞いに行ってきます。
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