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《中之島の鶴ケ曽根集落、稲荷神社境内と周辺の遺物採集》 中之島の鶴ケ曽根集落周辺地図に稲荷神社など遺物採集地を表示しました。 正一位稲荷神社境内から採集した須恵器と土師器の破片。表面の至るところに散乱しており、神社建立のためか、何かの理由で盛土した際に、遺物包含層の土を掘り込んだものと考えられます。 稲荷神社の南側の畑並びに水田(今は枝豆を栽培)より、採集した須恵器と土師器の破片。右下の1点だけが灰釉陶器片。 稲荷神社の鳥居に向かって、右側に筆塚などが建っていますが、その脇に五輪塔の残欠が1個、保存されています。下部はありません。石の少ない沖積地だけに、漬物石や土台石など、何かに利用されたのでしょうか。 |
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2008年06月22日
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《水草の局伝説の地、坪根より、平安の土器片採集》 東京の歴史愛好家の篤志と坪根集落全12世帯の尽力で、建設された水草の局の墓。もともと、坪根の招魂碑が建てられ、水草の局の墓と伝えられていた場所。 旧中之島町坪根周辺の地図に、遺物採集地を指示してみました。 6月14日、若月家北の排水路より発見の土師器片 6月21日、同所の数メートル下流で採集の土師器片 6月21日、坪根集落の真南外れの堤防下より採集の須恵器片の表 同須恵器片の裏 この地図で確認していただくと分かりますが、猿橋川の流れは、坪根周辺で大きく蛇行していました。旧中之島と長岡市の境界を示す一点鎖線が昔の流路で、多分、現河川の周辺に昔の人びとが住んでいたろうと予測しながら、住宅裏の畑に行きましたら、ドンピシャリ、須恵器片を発見しました。古い境界線は、地形を考える上で多くの示唆を与えてくれます。 とにかく、京の都を落ちてきた平氏の池大納言頼盛とその后、水草の局の伝承が同地域並びに周辺の集落に根付いているなかで、中之島でも古村と伝えられてきた坪根集落。 遺物の出土では、いまのところ、古墳時代前期の土師器が採集された品ノ木、高畑などの集落が古いことが確認されています。 この坪根集落から、微量ですが、土師器片、須恵器片が採集され、少なくとも、人びとの進出が平安時代まで遡れることは、同村に池伝説が伝承されてもおかしくない物証として貴重です。これを手がかりとして、今後も調査を進めていきたいと思います。
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