越後・蒲原平野の歴史と文化

小休止の後も、越後・蒲原平野の歴史と今にこだわり続けます。

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イメージ 1《見附市釈迦塚町、坂井町周辺を歩く》一昨日、見附市釈迦塚町のAさんにお会いし、「釈迦塚には、縄文時代、古墳時代そして古代と遺跡が存在するのに中世がない。あったはずだが…」という話を聞いた。現在の釈迦塚町は、近世・浅野家による開村から400年であるが、古代と近世の間に、いずこかに中世の集落もあったはずと言うAさんの疑問に答えようと、10年ほど以前に、同地域をくまなく表面採集したときの資料を見ようとしたが、残念ながら、5年ほど前に、三条市に一括寄贈した蒲原地域の遺物資料の中に含まれていて、その後の表面採集資料のなかにはなかった。
そこで、きょう2月1日、時折、小雨もしくは雪の舞う天気だったが、思い切って釈迦塚町に足を運んだ。一昨日はまだ白い雪に覆われていた水田も、一昨日、きのうと降った暖かい雨のせいで、すっかり消えて、表面採集にうってつけ。
ただ、平成の圃場整備事業を終えて数年が過ぎ、畦に草が生えなかなか表面採集は難航。釈迦塚町の集落の南、大坪(?)あたりの墓地周辺で、宝筺印塔と五輪塔の残欠を重ねた石塔ややや新しい五輪塔の残欠を重ねた石塔の二つがあった。以前、この近くで珠洲焼の擂鉢片を拾った記憶があるが、先に述べたように手元に資料がない。近くの畑で、須恵器や近世陶磁器などを採集しただけにイメージ 2終わった。
結局、釈迦塚町を歩き回り、十軒の遺跡を訪ねたが、十軒でも珠洲焼を拾っているが、きょうは須恵器の甕片、坏片しか拾えなかった。
やむなく、貝喰川の西側、見附市三林町の太田遺跡を歩いて、ようやく、1点、珠洲焼の甕片を拾って、釈迦塚町周辺の表面採集を打ち切った。
イメージ 3その足で、中之島町を回って高畑から杉之森に掛けての圃場整備事業による排水路工事の現場で、古墳時代の遺物などを拾い、見附市坂井町に戻って、坂井砦の遺跡を歩いた。古地図に坂井砦跡や、妙雲寺跡などの地形が描かれているが、今はすっかり昔の面影はない。平成の圃場整備事業で、古代はもちろん、時折、珠洲焼の擂鉢片も拾っているが、今回は、須恵器片と近世の陶磁器片だけで、中世の遺物は拾えなかった。移転された現在の妙雲寺の山門脇の石柱などを確認して帰路に着いた。たいした雨も降らなかったが、午後3時を近くなるとさすが気温が下がってきた。
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