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<東京へ行ってきました(3)> ニューオータニ美術館で、映画のポスターの制作や企画を手がけた野口久光の世界を見てきました。戦後の洋画ブームのなかで、フランス映画の上映のために、フランスのポスターを元に、日本での上映用に新たに制作した日本語バージョンのポスター60点など。僕が洋画を見たころと少し時代が違っていたせいか、「そうだったのか」という程度で、感動するほどではありませんでした。すぐに美術館を出て、天気もよかったので徒歩で六本木のミッドタウンへ。もちろん、おのぼりさんですから、道が分かるわけではありません。太陽の位置と勘を頼りに、紀尾井町から紀伊国坂を通って、青山通りへ。赤坂の和菓子の店、「とらや赤坂本店」前を経由、薬研堀から三分坂を下って、赤坂通りを経へて、檜町の公園から、ミッドタウンの裏口にたどり着きました。天気のいいのが幸い、八百八坂の東京を歩く面白さを満喫しました。 紀尾井町の公園下の坂道に、「シミズダニ」の看板が。都会らしく少し汚いのいですが、看板を見て、こんなところに湧き水があって、人びとののどを潤していたのかと江戸時代へタイムスリップ。 紀伊国坂に出て、あらためてホテルニューオータニの美しいデザインに感激。しばらく立ち止まって眺めました。 三分坂(さんぷんざか)に至り、雷電為右衛門の墓がるという報土寺の前に差し掛かりました。何でSANBUZAKAでなく、SANPUNZAKAなのか、いわれを読んで、古都でもないのに、見事な築地(ついじ)塀に感心しました。 雷電為右衛門は、看板では、長野県の「小諸在大石村」の出身とありますが、確か木曽義仲の歴史を訪ねた折に知ったのですが、旧大石村は長野県の東御市に含まれていて、平成の大合併で、東御市が誕生する前の「東部町」の「東部町歴史年表」にも詳しく、雷電について記述されていたのを思い出し、雷電はこんなところに眠っていたのかと感激しました。時間がないので境内の墓地までは行ってお参りはしませんでしたが。 ミッドタウンは何度か行っていますが、いつも六本木通りから入っているので、檜町公園に着くまでは心配でした。檜町公園では、枯れたプラタナスの木に実が鈴なりの風景や、公園で遊ぶ子どもたち、かわいい女性のポートレートを撮影するカメラマンのタマゴの姿などに、都会の風景を見ました。 |
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2009年12月26日
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