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《和島の三瀬ケ谷を歩く》
久し振りに、和島の式内社に比定されている上桐原神社のある山が指呼の間に見える三瀬ケ谷の入り口から、沢が二つに割れているあたりまで、表面採集を行なった。 入り口付近は、以前から須恵器、土師器の破片が採集される遺跡と思われる状況だが、今回も、谷に向かって、右手の揚水機場の敷地や周辺の水田畦などから須恵器、土師器の破片を採集。 また、沢の入り口左手は、上桐原神社の鎮座する山の麓になり、水田の畦や排水路の畦から、須恵器片などを採集できた。 また、低い丘陵の上の畑から、微細な土師器片を採集したが、畑で働いていた農婦が、かつて、門新遺跡の発掘調査に参加したことがあるとかで、そばの畑を指差して、畑の持ち主が、そこから、鏃を拾ったと言っていたという。縄文土器らしい物は採集できなかったが、長岡市の埋蔵文化財担当者が、以前、一帯を表面採集しているとのことで、古代の遺跡「松ノ脇遺跡」に指定している。 なぜか、沢の奥のほうは、段丘が発達していて、遺跡がありそうに見えるが、全く遺物が拾えなかった。農家の比較的若い女性に尋ねたが、残念ながら、小字名などは全く分からなかった。 古老を訪ねて、再度、表面採集してみたい。 |
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