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《梅の蕾ようやく膨らむ》 雪国の春は遅く、数日、強い北西風が吹き荒れる天気でしたが、気付いてみると梅の蕾が膨らみ始めていました。 桜はまだですが、もうすぐ、次々と春の花が咲くでしょう。 まだ、雪の残る蒲原丘陵沿いの水田では白鳥も見られますが、もうすぐ4月というのに、のんびりとしたグループもあるものです。蒲原平野はよほど居心地がいいのでしょうね。
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《燕市雀森地内、頓了寺裏(北)の遺跡》 きのう3月24日午後、かねてから遺跡があるのではないかと気になっていた、燕市の北部、旧吉田町の雀森集落の一帯で、表面採集を実施。 ようやく、頓了寺の裏側の水田地帯に回って、昨秋でしょうか、降雪前に泥上げをした排水路の路肩から、大き目の須恵器の甕片が見つかりました。 丁寧に表面採集を行なったところ、須恵器の甕片のほか、小泊窯の坏の破片や坏蓋の破片、あるいは、土師器の大き目の甕の口縁部や土師器の小片が散乱しているのが見つかりました。 雀森は、米納津(ようのうず)地区と、佐渡山(さどやま)地区の自然堤防を結ぶ、中間地点にある比較的小さな集落です。 そのため、集落内の若宮神社など周辺で、これまで表面採集活動を展開してきましたが、なかなか古代、中世の遺跡にぶつかりませんでした。 そこで、今回、思い切って、集落の外縁部、頓了寺の北側の水田地帯を歩いて、よやく遺跡を発見することができました。 周知の遺跡の「小諏訪前遺跡」なども考慮すると、この弧を描いたような自然堤防上に展開している現在の集落の周辺に、古代の遺跡が眠っているのかもしれません。 何故なのかは、いろいろ考えてみる見る必要がありそうです。 産土神、若宮社。昔は、現在の頓了寺よりも、北の水田地帯にあったとされる古くからの神社。 神社の縁起は、比較的新しく、この場所に遷座、建築された時期を表しているのでないでしょうか。 燕市雀森周辺の地図 雀森地内の頓了寺の裏手、水田地帯から採集の遺物 須恵器の甕片などの出土状況 遺物の採集された一帯 |
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《新潟市黒埼・雪梁舎美術館》 新潟市が、春にしては大雪に見舞われた20日、黒埼にある雪梁舎美術館に、マイセン展を見に行ってきた。 17世紀の終わりごろから今日まで、連綿と続くドイツのマイセン窯。シノラズリ(中国趣味)による陶磁器生産、世界の最高峰を行く、18世紀ころの、伊万里焼など、ジャポニズムの影響を強く受けた時代、そして新たなマイセン焼きへと進化。20世紀末には、柿右衛門様式を真似る域から、黙っていれば、マイセンと気付かないほど精緻で美しい陶磁器を生み出すまでになった姿を楽しんできた。 |
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新潟市美術館で開かれている中国吉林省長春市出身で、この春、新潟大学大学院美術科を修了する画家志望の王暁麗さんの作品展。 王暁麗さんの作品展は、全く予期していなかった卒業記念の個展で、会場に本人も居られて、話を聞きながら鑑賞。 北華大学芸術学院美術専攻卒業後、深圳で五年間勤務の後、新潟大学に私費留学、引き続き、ロータリー米山奨学生に採用され、同大大学院美術科で二年間学んで、今春修了するという。 作品はデッサンから、アクリルや蔦の紅葉などを接着剤で付けるあるいは、刺繍のように糸で縫い上げるなど、さまざまな技法を駆使したコラージュなど。抽象的な造形から、具象的な表現まで、大胆な構図で、色彩も華やか、若さがみなぎっている。作品は展示会終了後に販売、売上金の全額を、新潟南ロータリーを通じて東日本大震災の被災地に贈るという。 |
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ローカル紙「越後ジャーナル」に掲載の「蛇の目・須坂の旅」12回分を書き上げた。 長野県須坂市は、新潟県三条市から、高速道路で、わずか2時間。人口5万人ほどと小規模な街だが、雪もなく、とても素適な街だ。 もともと、三条城の堀直政の三男、堀直重が、1万石の須坂藩初代藩主で、三条城は、一国一城令で江戸時代初期に、破却となったが、須坂藩は、明治にお廃藩置県まで存続。明治には、養蚕、生糸生産で栄え、昭和になってからは、富士通の企業城下町として栄えて来たという。 富士通の撤退後、蔵造りの街として、観光に力を入れているが、観光開発以前から、遊びにいているので、とてもいい街だと思う。 須坂の料亭「能登忠」 須坂・銀座通りの「Cafe Waraku」 須坂クラシック美術館展示の宮内典子さんの作品 能登忠の懐石料理は器も美しい 茶室作りの部屋で、障子の向こうは「にじり」 お吸い物は、美しい漆の椀で、とても美味しかった |
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