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ohsadomujinaさんのブログ「佐渡発! 一日一笑 !一生招福」を見ておりましたら、人間国宝、三浦小平二先生が、昨年ご逝去されたときの哀悼の言葉が掲載されておりました。 |
美術 その他地域
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風祭竜二さんと、偶然の連続で、ブログをお気に入りに登録させていただきました。 いま、風祭さんから僕のブログの「ゲストブック」に次のようなコメントを頂き、早速、23分25秒の「切画の世界」を拝見しました。 感動し、コメント欄に、感動の一端を書き始めましたが、ついつい長くなり、「コメントは500字以内です」と、拒否されました。 しかし、コメントを削る気にはなりません。推敲した文章でなく、飛び出す言葉を綴っただけですから、読みにくく、独りよがりな表現だと思いますが、「無題」として添付しました。 風祭さんの真摯な生き様を見ては、さすがに「お茶の時間ですよ」の欄には加えられませんでした。ブログを訪問された方は、一読頂き、できればこの映像をご覧下さい。 風祭さんが、コメントで、浅草にこだわっておられるのは、僕が、若いころに浅草・花川戸で暮らしていたことを、風祭さんのブログにコメントしたことから、それを考慮されてのことなのです。 《以下は、風祭さんからのコメントです》 こんばんは風祭です! 北京のブロガー「ほんおじ」さんが立ち上げたCJWEBに僕のビデオが紹介されています。浅草界隈も出てきますので見てください! 上京の折には、浅草のJRAにも寄って原画を見てください!! 《以下は、映像を見た直後の僕のコメントです》 早速見せていただきました。
月並みな言葉で礼讃することなど許されない、風祭さんの生き様に、衝撃を受けています。 六日町駅に棟方志功の作品をよく見に出かけます。彼が、作品を作り上げていく過程は、まさに他者の評価ではなく、自らの生き様でした。 さまざまなブログを見ていると、それぞれの地方に、縁起物の切り絵の風習が伝わっていることがわかります。 しかし、風祭さんが、さまざまな美術表現の道を歩いた結果、切絵に新しい表現の可能性を見出し、ついに独自の世界へ大きく踏み出し、それを「切画」と名づけられました。 そこは、誰も歩いたことのない道なき道です。己の達成感、満足感、それらがひとつひとつの作品の完成とともに、自らの過去へと去る。 また、新たなものへの挑戦が始まるのですね。 命のある限り、手が動く限り、挑戦し続ける。 どのような世界の表現者でも、前を見て進むしかない。何もしなければ、命は空ではなく、無です。 この映像の中で語られる風祭さんの言葉は、シンプルであるがゆえに、人の胸を打ちます。子どもたちもストレートに受け止めている姿が感動的です。 本当にありがとうございます。この映像は、いつまでも見ることができるのでしょうか。保存することが可能でしょうか。 60歳を過ぎて、ただ、仕事の傍ら、新しい発見の確証のない遺物の表面採集を続けている僕にとって、空しさを感じたりしたとき、きっと、勇気を与えてくれる映像です。 風祭さんは、詩心を持ち続けて、創造の道を歩み続けてください。上京の機会をみて、浅草の場外馬券売り場へ足を運びたいと思います。 心より感謝申し上げますし、本欄「無題」で、きっちりと感動を語りたいと思います。(字数が多すぎ、結局、コメント欄に収まらなかったのですが、これとは別にという意味です) 久里千春さんのナレーションのすばらしさ、そして実際に久里千春さんが参加されている姿。風祭さんの「人に感動を与える生き様」の結果でしょうね。拍手を送り続けます。 健康にはくれぐれも配慮されて、自らの内なる未知の可能性を具現化してください。 以上 |
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台風の影響による雨もあがった28日午後から、斑尾高原の斑尾東急リゾート・ホテルタングラムで、紅葉狩りを楽しんできました。 2時半過ぎに出発し、北陸高速道などを走って、リゾートについたのは午後4時過ぎ。秋の日はもう傾き、向かいの山肌は紅葉に燃え立っていました。 ホテルタングラムで1泊。夕刻、露天風呂などでくつろぎ、夕食をとって睡眠。 翌29日朝は、午前5時半から起きて、前日夕刻とは逆に、部屋の窓全面に展開する大パノラマで、朝日に映える黒姫山を一望しました。 刻々と変わる山肌に、しばし見とれていましたが、庭園の黒味を帯びたグリーンの美しさ、植樹され、すっかり定着したナナカマドの紅葉、白樺の幹などが白く映えて、実に美しかったです。 日、月曜日1泊というのも、他の客が少なく、極めてリッチな気分に浸れました。 帰りは、平日だったからですが、閑散として人影のない斑尾高原を越えて、飯山、十日町経由。飯山のR117号線沿いの菜の花ロードも、来春に備えて苗が育っている状態だし、紅葉も、斑尾ほどでなく、次週の土、日曜日が見ごろというところでした。 29日は正午頃から曇りで、束の間の晴れ間に恵まれた幸運な紅葉狩りでした。 写真は、上から、すっかり紅葉した山麓を背景にした東急リゾート周辺の集落、夕刻の黒姫、朝の黒姫、帰路立ち寄った着物の産地、十日町のクロス10での展示。着物と版画展の作品です。
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きょう26日午前中、仕事(断っておきますが、僕の仕事は骨董の仕事ではありません)で訪問した家で、たまたま、ガレなどアールデコの作品が目に飛び込んできて、即座に「すばらしいですね」とお話ししたら、ご主人夫妻が、「飾っておいても誰も分からない」と言いながら、喜んで、次々と大切なコレクションを披露してくださいました。さまざまなアールデコの作品から、北大路魯山人の大振りの鉢でしょうか、紅白の椿の絵柄の焼き物、口縁は欠けていますが釉薬のすばらしい室町時代の信楽焼の壷、あるいは小野寺玄の復元珠洲焼の丸い花器と一輪挿し、あるいは下村観山の鵜飼の横額、川合玉堂の小品ですが鵜飼の図など、まるで、美術展を独り占めしたようで恐縮しました。
もちろん、お茶に、コーヒーを頂き、お菓子付き。あっと言う間にお昼になってしまいました。 ご主人の母親が、町の素封家から嫁に来たということで、実家が書画骨董品を集めており、母親も書画骨董品を収集。現当主夫妻は、それぞれの分野で、作家と縁があり、鑑識眼のある人の勧めによって買い求めてきたそうです。 大切な個人蔵の美術品ですので、きょう披露いただいたすべてをアップできませんが、最初に目に飛び込んできたアールデコの作品などの写真をご紹介します。 地方都市のよさですね。古くって重厚な日本建築の家、玄関を入ってすぐの広い応接間に、日本の調度品を飾っておられるのです。そこに、アールデコの作品ですから、調和します。 ただ、来訪者の多くが、「飾っておいても誰も分からない」というのも、地方都市の現実で少し寂しいですね。 あえて、今回は写真について説明しませんので、見る人が判断し、味わってください。 |
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新潟県三条市出身の女優、水野久美さんが、きょう10月20日午後2時から、三条市立中央公民館で,「故郷と人生を語る」のテーマで対談。相手の三条市文化団体協会三条支部副支部長の阿部凉子さんのリードもうまく、ほとんど1人での講演と同じような充実した内容になりました。 三条座という芝居小屋の隣の三階建ての写真館の娘に生まれ、子どものころから芝居を見て育ち、「自分は舞台に立って見られる人になろう」と決意するなど、幼いころからのエピソード、女学校だった新潟県立三条東高校の演劇部に入って、リア王や修善寺物語などの舞台に立ち、もちろんマドンナで主役を演じ、女優になろうと決心したいきさつ、宝塚の男役に憧れたが身長が足りず断念したこと、着の身着のままで上京、貧しい中で俳優座養成所に通い、モデルのアルバイトや、売血(当時はまだ献血が普及していなかった)までして、お金を工面するなど苦労したこと、松竹、そして東宝などと、映画や舞台で活躍してきた歩みなど女優歴50年、山本学との結婚、離婚など波乱に跳んだ人生70年の歩みを、故郷だからこそ、包み隠さず話してくださいました。 「私が山本学を振ったのではなく、私が振られたの。山本に、10歳くらい年上の、別の女性ができて、それで振られたのです」「あんなに優しい顔をした人が…。と言われますが、人は変わるのです。別の好きな人ができたのですから」とまるで自分のことでないような冷静な口調で話しておられました。山本と同じ年齢で、俳優座養成所の7期生同士。「愛していたので、4、5年は荒れましたね」と、屈託なく笑ておられました。 多くの苦労を語りながら、「それが女優としてすべて役に立ちました。感謝しています。役者は、真似事ではだめで、経験したことは、真実味をもって表現できます」とも。 「今なら、どんな役でもできます」と、与えられた役は、好き嫌いを言わずに真剣に演じてきたことと、さまざまな人生経験を経てきた自信が言葉の一つ一つに表れていました。 松竹の映画「きちがい部落」でデビューし、東宝に移ってからは「二人だけの橋」「独立愚連隊西へ」「怪獣大戦争」など多数。そして、雪国越後の高田盲学校の教師を勤めた実在の人粟津キヨさんをモデルにした小説「ふみ子の海」の映画に出演しています。舞台も芸術座の「雪国」などに出演。 テレビでは、さまざまな役どころを演じていますが、本当にやりたい役は、「子どものころから苦労してきた女性」だそうですが、ともすると悪女役やお金持ちのお嬢さん役が多かったと笑う。 とても70歳とは思えないはつらつさで、「三条の女性は頑張る」と、自分自信の生き様や三条の女性の姿を見て率直に語っていました。 もっとも、日本全国どこでも、女性の頑張りが、暮らしを支え、文化を支えているのが現実なのでしょうが。 あっと言う間の1時間半。お茶をいただく暇もありませんでした。 三条市には、亡くなりましたが、プロレスラーで、全日本プロレスのオーナーのジャイアント馬場さんのような人も出ていますが、水野久美さんのような女優さんもいます。小さい地方都市ですが、なかなか勝気な市民性で、三条が蒲原の中心として栄えた時代の「中世三条城」を失い、江戸時代には、高崎藩、村上藩、新発田藩に分割統治され、商工の街として生きてくるしかなった歴史が、勝気で、進取の気性の市民性を培ってきたものです。 歴史こそが、その街、そこに住む人々の性格を形成していくのです。 少し話しが長過ぎましたね。 写真の右が、俳優歴50年あまり、人生70年を語る水野久美さん
写真下は、700人ほどの市民が埋め尽くしたホールの上段部分。 |




