越後・蒲原平野の歴史と文化

小休止の後も、越後・蒲原平野の歴史と今にこだわり続けます。

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きょう10月18日は、ブログ「新発田歴史談話会新潟県北の史跡」を主宰している「ぼんぼこ」さんからご紹介いただいた資料、新潟古代土器研究会2004年刊行の「越後阿賀北地域の古代土器様相」を買い求めるため、新潟市秋葉区(旧新津市)にある財団法人新潟県埋蔵文化財調査事業団の新潟県埋蔵文化財センターへ行ってきました。
同センターの展示場で2007年度発掘調査展を見た後、ロビーで、自販機でコーヒーでも買って飲もうかと思いましたが、小学生の研修中で、子どもたちの前で僕だけ飲むのも悪いと遠慮し、「お茶の時間ですよ」はなしです。
埋蔵文化財の方は、後で紹介するとして、きょうは川柳の話題です。

今年は何でも、川柳発祥250年にあたる年だそうです。
「川柳という文芸は、宝暦7(1757)年8月25日、初代川柳こと柄井八右衛門が前句附興行の入選句を最初に発表した日に興った」のだそうです。
 川柳と言えば、新潟県では、大野風柳さんでしょう。
時折、中越柳壇の会合などにも出席、全国的な結社になっている「柳都川柳社」主幹の大野風柳さん(旧新津市在住)の講演を聞き、話を伺うこともありました。
 一般的には、川柳は諧謔を楽しむ、あるいは風刺を旨とする時事川柳が川柳という思いもあるのでしょうが、大野さんは、「川柳は人間を詠う短詩型文芸です。形式は575の17音字、表現は日常の会話語でよく、約束は何ひとつありません。川柳は笑わせるものだという先入観をお持ちの方がおられますが、そうではありません。川柳は人間の『喜・怒・哀・楽』を表現するものです。人生は笑いだけではありません。喜びも、哀しみも、そして怒りだってあります。それらを感じたらそれを表現して下さい。哀しかったら涙を流しながらそれを表現すればいいのです。川柳は人間を詠うもの、つまり自分を表現すればいいのです。もっともっと人間に関心を持ちましょう。人間に興味を持ちましょう。そうすればあなたは人間が好きになります。『柳都』は人間大好き集団です。人間が大好きでしょうのない人たちばかりです」と自らの柳都のホームページで書いておられます。
温かみのある人間、大野風柳さんの人柄が、地方にあって全国の柳壇にその存在を認められている柳都川柳社の隆盛の理由でしょう。

ところで、きょう18日午前、たまたま新潟県埋蔵文化財センターからの帰り道、新潟市立新津美術館から新潟県埋蔵文化財センターに通じるレンガ敷きの大きな道を通ったら、道路の脇に大野風柳さんの句を刻んだ大きな石碑が建てられていました。
工事をしている職人さんの話では、何でも、八幡山の上の方に建てられていたものを人の目に付きやすい場所に下ろしたのだと言います。
新潟市秋葉区役所の話では、今まであった八幡山が、国指定の史跡になり、再整備するのに合わせての事業ということです。
刻まれた句は「ふるさの風に道あり花の種」で、建立の理由としては、「柳都創刊50年を記念して」とあり、建立の年月日は平成10年6月です。
ということは、柳都発刊からもうすぐ創刊60年ということになります。
すばらしい活躍ぶりですね。大野さんの川柳はますますさえています。
写真は大野風柳さんの「柳都発刊50周年記念」として建てられ、きのうほぼ移転作業を終えた記念碑です。

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遺跡発見の方は、肝心の休日、旅行三昧で、少しお休み。
きょうは、新潟県三条市に住んで、国際的な仕事をしている「路上派の詩人」、経田佑介さんの庵「青鮭亭」で、東京土産の「庄之助最中」に、奥様から出していただいたコーヒーとお茶で一服です。
「路上派の詩人」と言っても、詩に関心のない市民には分からないと思いますが、ベトナム戦争のころ、アメリカで、戦争に反対し、既存の社会に背を向けて生きた若者たちのなかに、ビートの詩人たちがいました。
日本でも、諏訪優さんや白石かずこさんなどの詩人が、平和を愛し、自由を愛し、そして、魂の詩を刻み続けてきました。
経田さんも、学生時代に言語学に関心を持ち、英米文学に関わり、アレン・ギンズバークに見出されたジャック・ケルアックの詩を、中上哲夫さんと二人で翻訳した「ジャック・ケルアックのブルース詩集」をはじめ多くの訳詩を手がけています。
アメリカで、ブッシュの中東戦争に反対し続けている詩人のサム・ハミルの「ピサの歌」を訳し、私家版の「ブルージャケット4」に、訳詩を掲載しています。
日本の禅や良寛などの生き様、中国の杜甫の生き様に強く共鳴しているサム・ハミルですが、その軌跡を知らないとなかなか分かりにくい詩です。西脇順三郎の「馥郁タル火夫ヨ」などのように。
ところで、ほとんど知られていないのですが、経田さんのお父さん、故関数雄さんは、終戦を北海道で迎え、郷里三条に帰って、公務員を勤め上げた人で、亡くなるまでの20年間に、観音様を9700体刻み、千体仏として、京都の智積院などに納めています。種田山頭火を世に出したことで知られる大山澄太さんとも関わりを持つなど、詩こそ書きませんでしたが、魂の詩人でした。
将棋の棋士の間に知られた「竹風駒」の大竹竹風さんが三条市に住んでおられましたから、素材は、駒に使うシャムツゲを分けてもらい使っておられたそうです。
浅草寺の観音様と同じ、1寸8分の丈で、1体、1体、精魂込めて丁寧に彫り上げ、裏には、白隠禅師が愛したという「延命十句観音経」を、自らの筆で書き込んでおられました。
「今円空」とでも呼べばいいのでしょうか。

平和への祈りは、さまざまな形で、人々の心のなかに刻まれてきました。

写真は、9700体刻まれたなかの1体で、いつも僕の部屋に鎮座ましましておられます。表の表情と裏の「延命十句観音経」をお楽しみください。

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写真は上から、茶房「やましたの店内」「素敵な器」「三角形の家の案内看板」、一般に公開している「金子家の一室」です。

村あげて、佐渡の千石船を作っていた小佐渡の海に面した小さな村「宿根木」。きょうは、その村の小路を入ったところでみつけた小さな茶房「やました」でくつろぎます。
外見は、小さな船職人の家で変哲もありません。しかし、歩いた後で、小休止するには格好のお店。
昼食を食べたばかりでしたが、ちょっと、お茶の時間にはちょうどいい。
中に入ってまず驚きました。部屋の中央に朱色に塗り上げたテーブル。これが実は小木の名物たらい舟を裏返して利用したもの。
全体に赤く塗られた壁には、黒地の襟に白く「白山丸建造記念」と染め抜いた半纏が飾られ、鮭の干物が吊るされていました。箪笥もすばらしく、見るからに時代物。
それだけで、感動モノ。
お母さんでしょうか厨房でせっせとメニューを作り、お嬢さんが運んでくれます。
注文したのはコーヒーとケーキ、それに団子。
出された器がまたいい。すぐに食べて、器を写しました。食べ物を写さなかったのは、僕らしく、残念。
ちょうど二階では、この作者、自称「戯遊詩画人」泉椿魚さんの作品も展示されていました。
多くは聞きませんでしたが、何でも県外の作家で、賀状をやり取りしておられる。宿根木に逗留、「やました」の店舗を設計施工、プロデュースしたということです。
30分ほど休憩して、また宿根木の家並みに出て一般開放されている金子家などを見学してきました。

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