越後・蒲原平野の歴史と文化

小休止の後も、越後・蒲原平野の歴史と今にこだわり続けます。

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午後7時頃、小雨の降る天気とはいえ、最も日の長い時期。ようやく薄暮になって、大樹の下では、とうろうが輝き始めた。

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この日、市民に呼びかけて、新しいとうろうに組み込む「切絵」づくりを行い、完成したばかりのとうろうも飾られた。

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午後3時から、加茂青年会議所のメンバーが参加して飾りつけが行われたが、午後6時を回ってもまだ日が高い。僕は、宮大門にある人気の店「貴布禰」で、加茂市の産業のひとつ桐箪笥にちなんだ名前の「桐箪笥御前」を食べて腹ごしらえ。休日などになると、小さな町の飲食店には珍しく、店の前に列ができる人気店。これも青海神社のご利益か。

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親子、友人などがつれだって、切絵づくりに参加。加茂市の名所旧跡の写真やかるたの絵柄などを元に切絵を楽しんだ。予定では、次回から飾る予定だったが、この日から、家紋の灯篭200基とあわせて飾られることになった。

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宮大門の前に飾られた幾何学模様の灯篭。カラフルで昼間見ても美しい。通る人も珍しそうに目を見張っていた。

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午後3時ころから、加茂青年会議所のメンバーが、灯篭の設置をはじめた。まだ日は高い。天気予報は3時頃から雨だったが、まだ降らない。結局6時前に少し降って、7時過ぎから本格的な降りになったが、雨を心配しながらの作業になった。

《北越の小京都加茂市のAKARIBAin加茂山》大不況で、仕事が忙しく、日にちの過ぎるのが早
い。気付いてみればブログアップももう1週間もご無沙汰。片岡球子の展覧会も中途半端だが、5月30日、北越の小京都加茂市の加茂山山麓に鎮座する青海神社での加茂青年会議所小京都活性委員会主催の「AKARIBAin加茂山」を見学してきたときの写真も遅れてのアップになった。
イベントは午後6時から8時までで、準備が午後3時から。写真はあえて、暗くなりかけた午後7時頃の写真から、午後3時過ぎ、準備の始まった頃へと逆にアップしてみた。
あいにく、時折小雨の降る天気だったが、漏電防止の備えも万端整えての実施だった。今後、6月20日(土)、7月20日(月)、8月22日(月)と同じ時間帯で実施される。ぜひ一度見学を。

分水のおいらん道中

↓いずれ劣らぬ美人ぞろいのおいらんが、桜散る分水の目抜き通りを練り歩き沿道の観衆を喜ばせました。

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《分水のおいらん道中》

少し掲載が遅れましたが、分水のおいらん道中をブログアップします。好天に恵まれ、全国的に例年より開花が早かった桜が散るなか、盛大に執り行われました。

4月4日から22日まで行われた分水さくらまつりのメーンイベント、分水おいらん道中は、22日、大河津分水桜並木と地蔵堂本町通りで行われ、約10万人の観衆が詰めかけ、艶やかなおいらん役に魅了されました。

分水おいらん道中3要素と言われる「おいらん役」、「サクラの花」、「天候」。おいらん役は過去最高の応募者数の140人から選ばれた4人、天候もここ数日にない快晴。サクラの花は散り始めましたが、大河津分水桜並木では散るサクラがおいらん道中を彩りました。

地蔵堂本町通りでは、沿道を埋める人たちに加えて、商店街のアーケード上や商店の2階から見物する人の姿も見られました。
 
信濃太夫、桜太夫、分水太夫の3役が地蔵堂交差点を過ぎると、それまで観客との記念撮影に応じていた染井吉野太夫も行列に加わり、おいらん役4人でさらに絢爛豪華な行列になりました。見物に訪れた人たちはおいらん役を一目見ようと、背伸びをしたり、しゃがんだりとさまざま。

行列が立ち止まって、おいらん役が「外八文字」の足さばきを披露すると、ちょうど目の前で見物できた人は大喜びで、盛んにカメラのシャッターを切っていました。

地蔵堂本町通りでは、飲食物や特産物を販売する屋台や、歴代おいらん役との記念撮影、おいらんの衣装やメークを体験する催しも開かれて、大勢の人がおいらん道中の雰囲気を満喫していました。    
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写真左から、久住絵美(くすみ えみ)さん、燕市在住、 22歳、会社員。大場葵(おおば あおい)さん、新潟市中央区在住、20歳、学生。泉慶子(いずみ きょうこ)さん、新潟市北区在住、25歳、主婦。塩入美加子(しおいり みかこ)さん、見附市在住、33歳、パート社員。(写真は、主催者の燕市分水地区観光協会からお借りしたものです。拡大できます)


《分水おいらん道中のおいらん役決まる》

4月20日に、桜の名所、大河津分水路の公園などを主会場に盛大に執り行われる分水おいらん道中のおいらん役を決める第2次審査会が、日曜日の2日午前10時から、燕市分水保健センターで行われ、4人のおいらんが決定しました。

おいらん道中は、燕市分水地区観光協会(田中公一会長)の主催で行われるもので、今年は、過去最多の140人が応募し、1次審査で20人を選考。この日は、1人が辞退し、19人がおいらんに選考されることを期待して挑戦しました。

審査には、燕市分水地区観光協会正副会長4人、観光協会専門委員会5人、特別委員2人、合わせて11人の審査員が非公開で当たり、正午ころ、選考された4人が報道陣の前に、その美しい姿を披露しました。

140人もの応募者の中から選ばれただけに、いずれ劣らない美人で、これから、3月29日、4月11日、4月16日の3回にわたって、おいらん道中での歩き方など練習を重ね、4月20日の本番に臨みます。
《このド迫力を拡大してお楽しみください》


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赤鬼に捕らえられて泣く子ども。

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本成寺の根本道場で繰り広げられる鬼踊り。このほか、緑の鬼や白髪で白装束の三途川婆(しょうずかばぁ)、これを追い払う僧兵なども登場します。

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踊り終えた後、舞台の下にいる子どもを抱きかかえて、振り回します。鬼を見ただけで泣く子どものこと、恐怖におののいて泣きます。

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根本道場でひと暴れ。僧兵や善男善女の投げつける豆に追われて、回廊に逃げても、なお手すりに足をかけたりと暴れまくります。


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ついに、根本道場を追われ、犬走りに。実は、今年は参詣の善男善女が多すぎて、根本道場に入れず、溢れた人が多かったので、急遽、ここでも、ひと踊りすることに。大サービスで、境内で待つ善男善女に向かって、虚勢を張って、踊りまくりました。

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境内でも、子どもたちを捕まえて泣かせます。大人が、それをカメラに収めます。
そして、鬼たちは鐘楼に逃げ込んで、鐘を突いて改心します。めでたしめでたし。


《法華宗陣門流総本山本成寺の追儺(ついな)式。鬼踊り》

三条市西本成寺一、法華宗陣門流総本山本成寺は、日蓮聖人を宗祖、直弟子の日朗聖人を初祖として、永仁5(1297)年に、日印聖人が三条の地で開創されました。日印聖人は、越後・寺泊の出身で、8歳のとき、はじめ天台宗の清竜寺智観法橋師の弟子として出家し、以来、仏門に身を投じて、行学2道に励み、後に、鎌倉に出て、転じて日朗聖人に帰伏して研鑽を積まれた。永仁5年、ふるさと越後に帰る途次、三条市大面(おおも)の荘薄曽根の地に青蓮華寺を創建したのが始まりです。

当時の中世三条城主、山吉定明、山吉長久などの庇護により、七堂伽藍を整備。正和2(1313)年、長久山本成寺と寺号を改めました。日朗聖人を初祖に仰ぎ、以後、さまざまな変遷を経て、全国に布教、信者を広げて行きました。山吉家の後、上杉家の庇護を受け、上杉為景の時には、1300石の寺領を有していました。

上杉景勝のとき、上杉家が会津に移封になり、江戸時代に新発田藩主溝口秀勝が、五十嵐川の南側、いわゆる嵐南地域を所領としてからは、溝口家の庇護を受けて、明治時代を迎え、今日に至っています。同寺の伽藍、寺宝などについては、後にブログで紹介する機会もあるでしょう。

《追儺式・鬼踊りについて》
立春の前日の節分会の行事は、同寺院の年間行事の1つとして古くから行われてきましたが、鬼踊りが始まったのは、そう古いことではないようです。しかし、何匹もの鬼どもや三途川婆が、金棒はおろか、大鋸や鉞(まさかり)、大きな鎚などを振り回し、所狭しと暴れまわる姿は勇壮で、一躍有名になりました。

特に、子どもが鬼に頭をなでてもらうと丈夫に育つと言われ、幼い子どもを抱いたお母さんたちが舞台の近くで鬼どもの登場を待ちます。子どもは、根本道場に、口上が流れ、鬼どもが大きな声を出して踊り始めると、一人泣き、つられてまた一人と泣き始め、ついには鬼に抱きかかえられてステージに。恐怖におののく子どもたちを見て、お母さんやお父さんたちは、これで子どもが丈夫に育つと喜ぶのです。

今年は、日曜日でもあり、天候にも恵まれたことから、例年の2倍、2万人の人出だったそうです。
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御粥は、小豆粥に餅を入れたもの

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神事が終わったあとに、参詣者に配られる。各自が持参した、ラップやプラスチックのパックなどの容器に御粥を入れて帰り、家でいただき、無病息災を祈る。

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白い装束の伶人が、笛、太鼓で、神事の始まりを告げる。

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奥にある本殿の扉を開き、祭神を迎えて、古川洸宮司が祝詞を奏上。

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神事も滞りなく終えて、御粥を頂いて帰るのだが、100を超える石段を照らすのは幾つかの灯篭の明かりだけ。

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境内の狛犬も、薄っすらと雪化粧。目が隠れて、顔すら分かりません。


《加茂市の青海神社の御粥行事》

三条八幡宮の献灯祭が、明るく華やかなのに比べ、加茂市の青海神社の御粥行事は、古式そのままに、粛々と進められ、威厳すら感じさせる神事です。

青海神社に、京都の上、下の賀茂神社が御遷祀されたのは、桓武天皇が延暦13年(西暦794年)、平安京に遷都した折、その場所が、賀茂神社領だったことから、全国に替わり地を与えられましたが、そのときに、青海郷だった加茂の地も含まれていました。青海郷の枝郷だった加茂市石河の地にある貴船神社に遷宮。ついで加茂山の麓の現在地に遷宮されたと伝える由緒ある神社です。

中世には、加茂山に山城が築かれ、お経を収めた経塚も何基か築かれています。経塚の中から、治承2年6月24日の紀年名のある銅製の経筒の入った中世須恵器の壷などが出土しています。収めたの「菅原氏倉持宗吉」。治承2年といいますと西暦1178年で、鎌倉幕府の成立する1192年より、14年前のこと。経筒は、新潟県指定文化財です。

さて、同神社の由緒については、加茂市史に詳しいですが、とにかく古い神社で、加茂山一帯に、さまざまな時代の遺跡が眠っている状態。今でも杉木立が鬱蒼としていますが、かつてはもっと杉の大木が多く生い茂っていたのですが、台風などで倒木しました。加茂山一帯には新潟県の木の雪椿が自生しています。

由緒のある神社なので、説明が長くなりましたが、御粥行事は、毎年1月14日の午後10時から、拝殿で執り行われています。2年参りや初詣と違い、1年のさまざまな行事の中でも、知る人ぞ知るという地味な行事です。

善男善女が、拝殿に上がる前に、賽銭を投じてお参りして、拝殿に上ります。拝殿は、戸が開け放たれています。寒中で、夜の空気はかなり冷え込みます。ストーブや昔ながらの火鉢の火で暖を取りながら神事の始まるのを待ちます。

まず、白装束の伶人が笛、太鼓を奏で、やがて、奥にある本殿の扉が開かれ、祭神を迎えます。拝殿の祭壇には五穀や果物、鯛などが献じられ、古川宮司が祝詞を奏上。その後に、神官らが、玉ぐしの舞、白扇の舞、剣の舞を舞いました。動きがあって、拝殿が暗いためにデジカメではブレてしまって使えないのが残念ですが厳粛な舞でした。神事はすべてで約1時間かかります。

再び、祭神をお送りした後、本殿の扉が閉ざされ、祓い清め、下げられた御粥が、参詣の善男善女に配られます。参詣者は例年のことで、プラスチックのパックやラップなどをてんでに持参し、御粥を頂いていきます。御粥というので、病院などで出される3分粥、7分粥のように、水気の多い粥を想像していましたが、小豆や餅が入っていて、粥にしてはかなり固めで汁も出ませんでした。

拝殿を降りて、100を超える石段を滑らないよう気をつけております。途中で、神矢、熊手やお札を買い求めていく人もいます。僕は、神矢を買い求めてきました。境内や石段は、それなりのに照明が付けられていますが、夜のことで、薄暗く、拝殿もデジカメでは絵になりません。石段を照らす灯篭や雪を被った狛犬などを写してきました。

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