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〈燕市(旧分水町)新堀の中世墓地〉 2011年3月5日(土)の午後、久し振りに新堀の浄土真宗永了寺の近くの中世墓地を訪ね、表面採集を行なった。これまでも何度か訪ねて、珠洲焼の甕やすり鉢の破片、越前焼の甕片などを採集しているので、古くからの墓地で、今も使われていることが分かっている。もちろん、中世の墓地に埋葬された人びとと現在の墓地の人々とは関わりがないのだろ。 中世の人びとが埋葬されているのを知って知らずか、最近どんどん古い墓が壊されて、新しい墓が建てられている。そのたびに、地下に眠る骨壷などが破壊されて出土する。 今のところ、五輪塔や板碑など墓石の類は見つかっていないが、今回、経の文言を、一つの石に、一文字書いた一字一石経の石が数個発見された。写経は平安時代から始まり、一字一石経を埋納する風習は、江戸時代まで続いたという。この文字がいつ頃の書体なのか、専門家が見れば分かるのだろうか。 経筒などは発見されていない。 まずは、墓地風景から。写真の奥に見える寺院の屋根が永了寺 墓地から採集の一字一切経の墨書文字 同じに採集した珠洲焼のすり鉢片と甕片 |
考古新潟県央地域
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〈御館の乱に敗れた景虎方の中世山城のひとつ見附城〉 |
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〈三条市井栗、福楽寺の西の遺跡〉 |
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明治35年に建てなおされた新羅王の石碑 新羅王の墓。高さ60センチほどの自然石で、酒を掛けるのは、新羅王を祀る丘主の海津和恵さん 新羅王の墓の傍にある夏でも枯れない清水 海津政春さん方の近くの排水路から採集した古式土師器の高坏の脚部など 《新羅王の墓碑を祀る村「竹ケ花」》きよう6月14日、燕市分水地区の竹ケ花で、海津一族によって、昔から祀られている新羅王の墓や石碑などの前で、恒例の祭りが行われるというので、見学してきた。 同集落は、いまでこそ19軒中、15軒が海津一族だが、昔はすべて海津一族だったという集落。段丘の上の部分に、新羅王の玉垣に囲まれた石碑と、自然石の墓がある。 また、参列者が酒を飲み交わしている間に、周辺を歩いて、古墳時代の高坏の脚の部分を発見した。まだまだ遺物はあるだろうと思うが、きょうのところはそこまでで帰ってきた。 |
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《見附市坂井町周辺の遺跡調査》見附市坂井町は、国道8号線のバイパス工事に伴う、県の発掘調査で明らかになった中世遺跡「坂井遺跡」があることで知られている。同報告書では遺跡の中核は、この位置ではなく別の場所が考えられるという。 そこで、新潟県県央歴史研究所では、同地区が圃場整備される以前から遺物の表面採集を続け、グリーンの文字で図示した高梨家墓地周辺から須恵器、土師器、珠洲焼の破片が採集できることを確認。見附市で試掘を行ったようだが、遺跡を確認できなかった模様で、全て破壊された。破壊された後から、珠洲焼の甕、擂鉢、青磁碗などの破片が採集され、特に珠洲焼の甕片が多かった。少し位置が北にずれ、鉛筆で謝し根をいれ、丸にBと記したあたりからは、須恵器片など古代の遺跡の存在を知らせる須恵器片が大量に採集される。中には、鳥の羽をした須恵器風の焼き物も出土、採集している。 話題の多い遺跡で、今回は、坂井遺跡と、高梨家墓地周辺と、現在の集落との関係を見るために、あえて、旧国道8号線を挟んだ地域を重点に表面採集を実施、上の写真のごとく、珠洲焼の破片を発見することができた。 これまでにも、三条市栄地区の茅原集落で、現集落と中世の遺跡が重なっていることがあり、各地で確認されている。越後平野の開墾の推移などを研究する好材料になった。 |




