越後・蒲原平野の歴史と文化

小休止の後も、越後・蒲原平野の歴史と今にこだわり続けます。

考古長岡市近隣

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先日、長岡市和島、上桐の桐原石部神社を訪ねたことを報告しました。
なぜ、急に、同神社を訪ねたかという点について、順序が逆ですが、少し書いてみます。
実は、同神社の西側を望む写真を見ていただくと分かる通り、向かい側の奥に見えるのは、奈良崎の丘陵です。国道116号線バイパスが右手から奈良崎の丘陵に向かって伸びています。
この辺りに弥生時代や古代、中世の遺跡があって、バイパスのさらに左手には、ここからは見えませんが、全国的にも有名になった古代の八幡林遺跡が横たわっています。
そして、その手前の水田の中に、古代の遺跡が眠っていると考えられます。
ところで、もっとも手前、人家がある辺り、斜線を引いた水田中と、小さな円で描いた畑より、古代の須恵器、土師器の破片や中世の珠洲焼片が採集されたのです。
畑については、ほとんど旧国道116号線まで続いて採集できます。
ということは、この桐原石部神社の西側の斜面の畑、雑草の茂る辺りと続くことが考えられます。
旧国道116号線は、当然のことながら、後々の人々が切り開いた道路。切り開くときに、遺跡を破壊して、その遺物を含んだ土が道の下にまで広がったのか、もともと道の下にまで遺跡が展開していたのかは、発掘調査をしてみなければ分かりませんが、とにかく、一帯が関連していることは明らかです。
そうしたことから、桐原石部神社の境内や周辺丘陵部を訪ね歩いて、確証を得たかったわけです。
古代はともかく、中世の珠洲焼などが、旧国道116号の道下から拾えることは、大きな意味を持つものと考えられます。今後も研究を続けたいと思います。

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桐原石部神社は、小高い丘陵の上に鎮座ましましており、境内でも古代の土師器片が採集されるなど、歴史のロマンを感じさせます。
ついつい、時のたつのも忘れて、境内はもとより、西側の斜面の畑や草薮、北東の畑など丘陵を歩き回り、緑色の自然釉の掛かった短頚壷の破片、自然釉の掛かった横瓶の破片など古代の須恵器片はもとより、土師器などを拾いました。
最後には同神社の正面前の沢に広がる畑を見て中世の遺跡が眠っているなと勘を働かせて、珠洲焼の片口、すり鉢、あるいは、叩き目のやや太目の綾杉紋の甕の破片などを採集。後で、長岡市立科学博物館の田中靖係長にお尋ねし、天王遺跡として指定済みであることも知りました。
とにかく、蒲原平野は未知なる古代の歴史が眠っていて、楽しいフィールドです。
写真上は、境内の西側の展望、写真下は、神社正面の沢に展開する天王遺跡

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新潟県三条市の新潟県県央歴史研究所(池野芳男所長)は、このほど、良寛ゆかりの新潟県長岡市和島の島崎地内、出田神社の近くの排水路より、古代の須恵器、土師器あるいは中世の珠洲焼の甕片を採集。また、同所より、北の荒巻川の改修工事現場より、一定量の須恵器、土師器など平安の遺物を採集しました。新潟県並びに長岡市では、小丹生神社比定の重要遺跡にもかかわらず、遺跡指定していなかったことから、この発見を受けて周知するそうです。
こうした重要な遺跡が、新潟県の蒲原平野にはまだまだたくさんね眠っているものと思われます。

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