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草月流華道 古川青影先生の作品(越前屋ホテルロビーの展示コーナーで2月24日撮影) お雛様(もうすぐ3月3日ですね) きょう2月25日朝、県庁に出向きましたが、三条市と変わらないくらい新潟市街地も雪が積もっていましたので、急いで県庁18階展望回廊に上って写真撮影。人口80万人の政令指定都市の雪景色の一部です。 いつも同じ風景ではおもしろくないので、たて30%、よこ10%に圧縮してみました。県庁の裏を流れる信濃川。そこに架かる橋などがおもしろい構図になりました。川より下の方は、県庁職員の駐車場です。 《08.2.25の県庁展望回廊眺望など 美しき世界》 きょうは写真でお楽しみください。
そうそう、先日、中ノ口川に遊ぶ白鳥を紹介したおり、昼には姿がなかったので北に帰る旅の途中に寄ったのだでしょうかと報告しましたが、きょう2月25日の朝も、同じ場所にたくさんの白鳥が群れていました。ここで越冬しているのですね。昼ころにはやはり姿がありませんでした。 |
美術新潟県央地域
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作品の展示された一角。 良寛と貞心尼 「早く来い、春よ来い」 鯉幟 金魚 番場春雄画伯の「山村雪晴」。正面の白雪を頂いた高い山は、もちろん粟ヶ岳です。 展望台から見た日本海 《おぐに折り紙アート、県庁18階展望ギャラリーを飾る》 今年になって初めて、新潟市の新潟県庁に行ってきました。三条市などは、寒波で積もった雪の上に、きのう17日の夜に降った雪が薄っすらと積もり、一帯は銀世界でした。ところが、いつものことながら国道8号線を旧白根市に入ると、どんどん雪が少なくなり、とうとう、旧黒崎町に入ったら、街も、水田も雪は全くなくなりました。 風は冷たくとも、雪がないから、春の気分に。県庁内であちこち用を足し、県庁の最上階、18階の展望台に出たら、雲が厚く、日本海の向うに見えるはずの佐渡ヶ島すら見えず、やむなく、展望ギャラリーを覗いてみました。 いつもは交通安全のポスター展など、行政関係の作品が多いのですが、今回は、和紙の里として知られる長岡市の旧小国町の和紙と千代紙などを使った「おぐに折り紙アート展」で、子どものころに、女の子が作って遊んでいた折り紙のような作品が展示されていました。 テーマは、良寛と貞心尼などの大人っぽい作品から、もうすぐのお雛様、桜の花をあしらった春を待つ着物姿の女の子たち、男の節句の鯉幟、さらには、夏の金魚まで、さまざまな作品が展示されていました。趣味の世界ではありますが、可愛らしいので撮影してきました。展示は、平日が3月3日までの午前8時30分から午後5時半、休日は午前10時から日没まで。最終日は午後1時ころまで。観覧は無料。 3階の県知事室に入る東廻廊の入り口には、加茂市出身の日本画家、故番場春雄画伯のちょうど今の季節を描いた風景画「山村雪晴」が飾ってありましたので、撮影してきました。 県庁も、よく見て回ると、結構、郷土の作家の作品を見ることができるのです。
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富取芳邨の「四季の草木」 堀浄弘の茶釜「雲竜釜」 《分水良寛記念館「冬の企画展〜良寛と富取芳斎」より》(1) 三連休の最終日。午前10時から、美術品の愛好者を訪問する約束で、素晴らしい作品を拝見する機会です。ところが、朝、悪質コメの問題を取り上げていたら、時間が過ぎて、ブログアップしたい、燕市分水良寛記念館で開催中の冬の企画展「良寛と富取芳斎」で、郷土の日本画家、富取芳斎、清旭など富取家の画家たちや堀家の茶釜を見てきました。あるいは、弥彦の式内社桜井神社周辺の遺跡などなど、アップすべき材料がありながら、すぐにアップできません。 富取家、堀家の作品くらいは、添付して、あとで内容について書きたいと思います。 富取芳邨は、明治23(1890)年〜昭和35(1960)年。 富取芳谷の次男で、名を寿鹿。家業の醤油醸造販売に励むかたわら、俳画や俳句をよくしました。雅号は芳邨で、俳号は芳河士。大正3(1914)年に、雑誌「骨」を発刊し増したが、家業が忙しくなり、大正8(1915)年に廃刊したそうです。僕は、その雑誌を読んでおりませんが。 堀浄弘は、文久3(1863)年〜大正10(1921)年。
江戸幕府から御釜師と認められた堀家の9代目。名越昌晴に入門し、父の8代目堀浄政の跡を継ぎました。 |
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《岩室温泉・ホテル富士屋でパッチワークと人形展》 ホテル富士屋で、神田和子さんのパッチワークと地元の方々の手芸作品が展示してあるというので、きのう2月9日、ドライブがてら見学してきました。 神田さんさん作品と作品の説明、地元の方の手芸作品を展示します。説明は省きます。 神田和子さんの作品。右から順次、下の説明をお読みください。 蝶の説明 孔雀の説明 扇の説明 神田和子さんの作品 入り口を飾る地元愛好家の作品 地元愛好家の作品 地元愛好家の作品 地元愛好家の作品 |
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享保雛の女雛のアップです。髪が本物の黒髪を使っているのが分かりますか。(拡大して見ていただくと分かります) 内裏様を中心に雛飾りの全体です。 内裏様をアップしました。 女雛の正面です。 男雛の正面です。 男雛をやや斜めから写しました。 後ろの屏風は「荻生徂徠の書」と言っておられます。 享保雛を、市民に無料で公開している加賀屋7代目当主井上賢一さん。 《享保雛を見学してきました。》 3月3日はお雛様。新潟県燕市の加賀屋7代目当主、井上賢一さんが、オフイスの一角に享保雛や、現代の装飾雛飾りの名工として知られる草加市の高野光陽さんの雛飾りを展示して、市民に無料で開放していると知り、きょう9日、燕市から弥彦経由で、新潟市岩室に遊んだ足で、立ち寄って、井上さんから、雛飾りのいわれや、見所をお聞きしてきました。 井上さんの祖先は、屋号「加賀屋」というくらいですから、もともとは金沢の出身で、加賀前田藩の藩士だったそうです。加賀・前田藩の藩士という言い伝えですが、確実な資料はありません。ともあれ、縁あって、江戸時代に燕市に移り住み、鈴など銅器はじめ、金物を商っていたそうです。 燕市は大正時代ころから洋食器を作り始めますが、ステンレス材で機械化する以前、真鋳板を手で加工し、銀メッキしていたころから、井上さんの家では先駆けて洋食器を作って、国内外に販売していたそうです。 享保雛や井上家に「荻生徂徠の書」として伝わる六曲半双の屏風など、伝来の品々で、そのほか、輪島塗の重箱や寛永時代のお雛様を描いた掛け軸など、家宝とも言うべき品々を、公開しているものです。それらが、どのようにして、井上家に入ったかは、享保と言いますと300年ほど前のこと、井上家が燕市に来て7代目という家系からも分かるとおり、「伝来」「家宝」という以外ははっきりしていません。 さて、僕の目当ては、享保雛で、写真のごとく、近くから、遠くからと、さまざまな角度から見せていただきました。漆喰で固めた表情は、いずれもしっかりとしたつくりで、300年の歳月の経過を感じさせない昔のまま。美男、美女です。衣は、古代和紙を紡いだものといいます。 特に驚いたのは、女雛の髪で、本物の人間の黒髪を使っているとのことで、近付いてみるとなるほど本物です。300年近くたって、今なおこうして立派な姿で鑑賞できるのは驚きであり、うれしい限りです。 五代将軍吉綱などの学問相手の儒者として知られる「荻生徂徠」の書と井上家では伝えられている書を仕立てた屏風を背景にして、一層立派に見えます。ご堪能ください。なお、一般市民の見学は、毎週土、日曜日の午後1時から4時までです。興味のある方はぜひ訪ねてください。 この日は、ほかにも、あちこち回ってきましたので、順次、ブログアップしていきたいと思います。
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