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舜華先生のブログのコメントです。 |
文学新潟県央地域
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良寛が好きとおっしゃるKattinさん。せっかく、地元三条とゆかりの深い良寛ですので、今回も三条八幡宮の石碑などを紹介してみます。 5日から7日まで、三条市にある真宗大谷派三条別院のお取り越しで、門前に、高市や植木の店が並んでいます。このころになりますと、温暖化が進む以前は木枯らしが吹き、冬支度が始まったものです。 いまでは、お取り越しを迎えても木枯らしも吹かず、霰、霙の降るような寒い日もまだありませんが、やはり、冬型の気圧配置になったきょう6日はやや冷え込んでいます。 自分の部屋でじっとしていると体が冷えるので、きょうのお茶は、自分でインスタントコーヒーでも入れて飲みながら、良寛の「焚くほどは風がもてくる落葉かな」(三条で読まれたもので、三条市元町・日吉神社の境内に石碑があります)ではないですが、体を温めながら入力します。 写真は上に、前回、ご紹介しなかった三条八幡宮の拝殿並びに神楽殿などの改築事業に伴い、境内に建立された托鉢の詩の新しい石碑(趣意文は下に掲載)。 写真下は、変哲もない三条の市街地ですが、街路樹が黄色く色付き、すでに茶色を帯びて散り際を迎えている葉も見られます。 前回、十字街頭の石碑の写真を掲載しましたが、その碑の拓本(三条郷土史研究会刊「三条のいしぶみ」より)は、「三条八幡宮と良寛歌碑」に添付しました。 托鉢の詩の趣意文より 今日(このひ) 食(じき)を乞うて 驟雨に逢い
暫時(ざんじ)回避す 古祠の中 笑うべし 一瓶(いちびょう)と一鉢と 生涯 しょう灑(さい)なり破家の風(ふう) ※しょうは瀟の氵がない文字 (「石碑の背面の趣意文」より) |
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きょう11月4日午後0時半から、三条良寛会副会長の長谷川金七郎さんの告別式ということで、午前中、所用もあって、三条八幡宮を訪ね、良寛ゆかりの歌碑などを一基ずつ、眺めてきました。 良寛の書は、万葉仮名の上、崩してあるので、僕などには読めない文字が多いのですが、案内板などを頼りに読んだり、家に戻って、資料を改めて確認したりです。 良寛というと、生まれ故郷の和島や修行時代の岡山・円通寺、托鉢や子どもとのまりつき、筍の話、泥棒の話など逸話を多く残した分水の五合庵などが有名ですが、実は、良寛が托鉢でよく訪れた三条の街ことは、あまり知られていません。 当時、五合庵から、托鉢に訪れるとしたら、蒲原でももっとも繁華だった三条が、僧侶、文人墨客、あるいはスポンサーとなる商工業者なども多く、多くの足跡を残しています。 また、良寛の書を広く世の中に知らしめたきっかけは、三条出身の幕末、勤皇画家、村山半牧です。半牧は、良寛の書のすばらしさを見出し、出版しようと考えますが、自らは、勤皇の画家ということで、幕末、追い詰められて、見附の地で自害して果て、目的を果たせませんでした。 それ以後のことは、村山半牧公徳碑の案内板に詳しいので写真を掲載します。 もちろん、三条八幡宮だけでなく、宝塔院の境内や、日吉神社の境内などにも、良寛ゆかりの歌碑が建てられています。 今回は、三条八幡宮の境内に建つ歌碑の中から、2点と、半牧頌徳碑の案内板を紹介します。 写真は上から、改築なった三条八幡宮の拝殿、境内の池の中にある厳島神社境内に建つ現代文で書かれた歌碑、乞食(こつじき)の詩として知られる「十字街頭」の碑と、その碑の拓本(三条郷土史研究会刊「三条のいしぶみ」より)、十字街頭の碑の案内板、半牧の頌徳碑の案内板です。
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