越後・蒲原平野の歴史と文化

小休止の後も、越後・蒲原平野の歴史と今にこだわり続けます。

京都見物

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京都見物 最終回

《京都見物 最終回》

ようやく、最終目的地の相国寺の承天閣美術館で買い求めてきた山口伊太郎遺作展「源氏物語錦織絵巻」を読み終えました。それほど文章が多い図録ではないのですが、単に「源氏物語絵巻」をそのまま写したわけでなく、第一、色が薄れてしまっている原画、絵具と糸の基本的な違いを超えて、京都に伝わる伝統の技を生かして、原画を上回る絢爛豪華な平安絵巻を制作しよう取り組んだ意欲作。

さまざまなエピソード、制作している間にも、さまざまな角度から技術革新が進むなどで、はじめ、昭和45年に、山口伊太郎がはじめたこの事業、当初考えていた期間をはるかに超えて、全4巻が完成したのは山口伊太郎が105歳で亡くなった8カ月後、平成15年3月3日だったといいます。

とにかく、読み始めたら面白くてすぐに読み終えましたが、すでに、6月7日の京都の旅から20日、最後の番外をブログアップしてからでも、1週間が過ぎようとしています。

とにかく、二条城から、まっしぐらに歩き続けて、京都御所へ。そこから再び延々と歩き、同志社大学の脇を、相国寺の入り口に到達したとき、すでに入場締め切りの時間の午後4時半を回っていました。守衛に聞いて、さらにその奥の承天閣美術館へ。午後5時閉館まで後20分弱。なんとか入管を許可してもらって、足早に本物の「源氏物語錦織絵巻」をこの目で確かめ、見事な輝き、方眼紙に描かれた下絵の見事差など本物でなければ味わない迫力を感じながら、一巡しました。

時間が足りないという思いのほかは、満足、満足で帰り道は、案内標識に基づいて、水上勉の小説「雁の寺」の舞台となった瑞春院前を通って、帰路に。ここから、岡崎公園の駐車場まではまた長かったのです。京大のキャンパスなどを眺めて、駐車場へ。

そこから、神宮道で、陶工、楠部彌弌の作陶の地という家を発見、和食の店で、夕食を食べて、車へ。国道1号線、7号線を大津、近江八幡、長浜まで走って、そこから高速へ。24時間の旅を終え、6月8日午前3時、帰宅しました。


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柏木(一)より

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東屋(一)より。写真が少しボケてしまいました。

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橋姫より

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雁の寺瑞春院

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神宮道の楠部彌弌の石柱

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夕食も和食の店で
《京都見物 番外「幕末の影武者」本間精一郎、木屋町通で斬殺される》

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有馬寛著、恒文社刊「幕末の影武者ー本間精一郎の生涯」

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同書に掲載されている本間精一郎の面影を伝える肖像画。

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本間精一郎が文久2年閏8月に暗殺されたあと、京都の賀茂川河原にさらされた梟首(きょうしゅ)。(「感肝帖」の首級図より)とある。

旅の順序に従ってブログアップしてきましたが、高瀬川の図には記録されていなかった越後・寺泊出身 の勤皇の志士本間精一郎の斬殺された場所ですが、帰ってから有馬寛著、恒文社刊の「幕末の影武者ー本間精一郎の生涯」を改めて読むにつけ、扉の写真に目を通しましたら、なんと、立誠小学校校門前に掲げられていた高瀬川の地図が、同書にも掲載されていて、本間が斬り殺された場所が示されていました。そこで、「京都見物 番外」として、少し「幕末の影武者」から、本間の姿を紹介してみようと思います。

同書によれば、この高瀬川の図は、「寛政13年東高瀬川全図」の一部のようです。本間は、斬殺されたのは、立誠小学校の高瀬川を挟んで斜め向かい、二ノ舟入橋(紙屋橋)畔のようです。

さて、22年前の1984年5月10日に出版された同書は、名文であり、よく本間精一郎の足跡を調べ上げて書き上げられた小説ですが、当時の風潮では、今日ほど、政治の腐敗から政治改革の必要性が叫ばれ、ともすれば倒閣の機運がみなぎっていたわけでなく、今、この書が出版されていたら、もっと違った評価がなされていただろうと思っています。

本間精一郎といっても、すでに地元の人にさえ忘れ去られようとしている時代、全国的には決してメジャーな存在ではありませんが、一地方から青雲の志を抱いて出奔した本間について、同書のカバーに記された一文を紹介してみます。

「幕末、諸国に“草莽の志士”と呼ばれる青年たちが輩出した。越後寺泊出身の本間精一郎は、炎に燃える魂の命じるままに時代を駆け抜け、確かな足跡を歴史に刻んだ。血で血を洗う闘争の中で、惨事に遭い、凶刃を闇に受けた。梟首(きょうしゅ)されたあと、歴史は彼を裏切り者の汚名を被せた。だが、果敢な生きざまを追えば、一人の真摯な志士の姿が見えてくる。本書は、剣法、儒学の達人ながら、終始、浪士として、尊王の大義のために、ひたすら純粋に行動した熱血漢・本間精一郎の波瀾に満ちた生涯を、新進気鋭の作家が綿密な時代考証を経て描いた、長編歴史ロマン!」

 機会を見て、また同書を通じて知った本間精一郎像を紹介したいものと思います。

京都見物 6

《京都見物 6》

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kattinさんのブログで、二条城の庭園や本丸御殿などの素晴らしさを知り、ぜひ、一度見学したいと思っていましたが、思ったより早く、京都見物の機会ができたことから、木屋町通から、本能寺の宝物を収めた大寶殿宝物殿を見学したあと、二条城へ。かなりの距離がありましたが、見たいものがあるときは強いもので、ようやく堀川通に面した受付窓口に。

それから、修学旅行でおなじみの二ノ丸御殿を見学、一端外に出て、石造りの庭や、内堀の石垣や堀などを見て、天守閣へ。江戸城も、天守閣跡だけだが、ここも天守閣跡があるだけでした。

面積も狭く、本丸御殿などが見える眺望を楽しんだ。

京都見物 5

《京都見物 5》

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京都高島屋の老舗玉川堂(ぎょくせんどう)のコーナー

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木屋町の高瀬川の看板(拡大して見てください)

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木屋町の喫茶店でケーキセットを食べながら古の京都を思う


さて、祇園を離れて、河原町に。阪急百貨店、京都高島屋の両デパートを歩いたり、みやげ物店を歩き、川原町の混雑振りにへきえきして、木屋町の通りに入りました。

高島屋では、燕市の鎚起銅器の製造メーカー、老舗の玉川堂のコーナーがあって、嬉しくなりました。社長の玉川基行さんとは知り合いです。若いのに良く頑張って国内はもとより世界に商品を販売しています。

鎚起銅器というのは、言葉の通り、1枚の銅板から、鎚を使って銅器を起こしていきます。高級品などはお茶の愛好者に好まれす。

さて、木屋町の通りは、森鴎外の短編小説「高瀬舟」でも有名な高瀬川が流れ、高瀬川の由緒などを記した看板を見つけました。明治維新の舞台でもあり、越後・寺泊出身の勤皇の志士、本間精一郎も、先斗町に遊んでの帰り道、斬り殺されました。三条市出身の作家、有馬寛の小説「幕末の影武者ー本間精一郎の生涯」(「ベースボールマガジン」の恒文社刊)などもあり、興味の尽きない一角です。

そこで、気のきいた喫茶店を見つけて、美味しいケーキセットを食べながら、しばし、歴史の舞台、京都の気分を味わいました。

京都見物 4

《京都見物 4》

初めて歩く祇園の町の表通りと裏街。表通りは人も多く、車も通しているので、賑わいが感じられましたが、一歩、裏街に入ると閑散としていました。
 
その裏街の一角で、ステンドグラス展が開かれていたので、覗き見たり、赤提灯の店が、ランチタイムから営業していたので、おいしい昼食を食べました。坪庭も、三条市街の昔の花街の坪庭のようでよかったのですが、写真を撮り忘れました。青い目の外人さんが庭の隅にある祠を目ざとく見つけて撮影しているのを眺めて、なるほどと感心していたのですが。

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