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8月25日(土)に第74回大会を開催します。

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第74回大会の要旨

 今回の講演は大倉比呂志氏にご依頼しました。

講演
中世王朝物語と中世女流日記文学ー〈性〉への照射ー
                      昭和女子大学(名)大倉比呂志
 
従来から余り取り上げられることのなかった中世王朝物語と中世女流日記文学に関して、〈性〉という視座から気の付いた点を少々述べていきたいと思う。具体的には『風に紅葉』の男主人公(男君)と『とはずがたり』の後深草院における〈性〉に関わる類似性に注目していきたい。二人とも最初の〈性〉の相手として年上の女が与えられる。『風に紅葉』ではその後も年上の高貴な女たちの能動的なアプローチが続くものの、男君は故式部卿宮の姫君を獲得するが、姫君の異母姉によって失踪させられた後、正妻一品宮の〈性〉を甥の遺児若君に贈与する。一方、〈性〉の最初の女(典侍大)の娘である二条を獲得するものの、その二条を異母弟「有明の月」をはじめ、上層部の男たち(例えば、そこに政治的意味があるとしても)に贈与していく後深草院。〈性の被管理者〉から〈性の管理者〉へと変遷していった二人の男に注目すると同時に、〈性〉のえじきにされた男君の正妻一品宮と後深草院の愛人二条とが〈性の被管理者〉となったことは、いわば男が〈性の管理者〉として確立したことを意味するのであり、そこに二人の男の同質性を見るのである。

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第74回大会の要旨➁

『更級日記』の〈物語〉ー「見る」「読む」「語る」「聞く」ー
                      大阪府立東住吉高校  山下太郎   
 
 『紫式部日記』が物語作者の日記だとすれば、『更級日記』は、ひとまずは、物語読者の日記である、といえよう。『更級日記』に「夜ふくるまで物語を読みて起きゐたれば」の例がある。この「読む」は、現代の黙読であろうか。他に、「見る」があり「語るを聞く」もある。物語を「語る」ことは、物語の詞あるいは内容を声に出して語ることである。「見る」は、一般には、現代の黙読に近い行為と見なされる。「読む」の原義は、数を一つ一つ数えることだ、という。歌をよむ、あるいは、漢籍をよむ、にしても、声に出すことが付随している。「物語をよむ」にも、声が響いているのではないか。『源氏物語・若菜下』には、「対には、…人々に物語など読ませて聞き給ふ」の例がある。この「読む」は、現代の音読に近い。紫上は女房の読む声を聞く。上総の少女は、「姉、継母などやうの人々」が源氏物語などを「語る」のを聞く。物語は、「見る」ものであり、「読む」ものであり、「語る」ものであり、そして「聞く」ものであった。『更級日記』には、竹芝伝説、富士川の除目伝説など、語られた物語が書きとめられている。さらに、自己の体験見聞を物語として語ろうとする姿勢がある。物語読者の日記は、物語作者の日記、あるいは、「日記物語」(大橋清秀)でもあった。

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第74回大会の要旨

第74回大会の発表要旨をご紹介します。まず最初の発表から。

『更級日記』における短連歌の記事についてー嵯峨野の花見ー
          早稲田大学大学院教育学研究科修士課程修了 西村亜希子
 
『更級日記』作品中の、男車の主と作者との短連歌「花見に行くと君を見るかな」「千ぐさなる心ならひに秋の野の」の贈答が太秦参詣の途次に行われている意味については、従来触れられることがなかった。しかし、当該記事の季節や場所が、「八月」「一条より詣づる道」に設定されていることに注目すると、二つの記事の関連性が見えてくる。
八月、つまり「秋の花見」は、嵯峨野での花見を指すことがある。また、作者が男車と出会ったのが「一条より詣づる道」であったことについて、従来は作者の居住地との関係から理解されてきた。しかし、作中に通りの名が記される例は少なく、本文の読みの面からも考察が必要であろう。平安時代後期には、一条大路末から西へ向かう道が嵯峨野や広沢池への道として整備されていた。一条大路から嵯峨野へ花見に行こうとしていた男車の主は、同じく一条大路を西へ向かう作者を見て、作者も嵯峨野へ向かっていると考えたのではないか。当該記事における「一条」という通りの名は、嵯峨野の花見のイメージを喚起する仕掛けとなっていると考えられる。当該記事は、作者が一条大路を太秦に向かって西行していることを契機として、連想的に嵯峨野に花見に行く貴人のイメージが引き出される記され方となっているのではないか。
本発表では、従来注目されることの少なかった短連歌の記事に着目し、当該記事と太秦参籠記事との嵯峨野を介した連想性について考察したい。

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