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職人が出払っておりまして・・・・・・。今日は社長が「丁張」作業です。
丁張って何よ?ていう方もいるでしょうから簡単な解説をして今日のネタとします。
設計図というのは、基本二次元。平面図というのは、天空から見下ろした図面。立面図というのは、東西南北四方からそれぞれ見え方を描いた図面。この組み合わせで、5方面から見える形を描くことで、3次元の立体構造を想像させるのが設計図です。これをもとに建築はすべて進みます。
現在では3D-CADと言って、立体形を作りその形状をあらゆる方向から見ることもできますね。
そんな時代が来ても・・・・・現場はこれが出来なけりゃ建築は進まないんです。
外構工事では全て使うわけではありませんが。家の基礎工事はこれが出来なきゃ作れません。
まず基礎を立てるであろうの位置の外側に材木で「枠」を作ります。この枠は厳密に直角の四角形である必要はありません。ですが厳密に水平でなくてはなりません。天空視点である平面図は、この木枠の上に釘を打って、それに結んだ糸で基礎の外周を描くのです。その糸の交点は直角になりますが、その職人技説明はここでは割愛します。
平面図で位置と、広さの構造はわかっても、垂直方向の位置が決まりません。
家を建てるには、基準になる高さをまず定めます。図面では「G.L」と記されています。
水面のような土地はまずありません。傾斜地でなくても、水が流れるくらいの勾配は少しはついているものです。そこに水平の構造物=基礎を作るわけですから、4角はそれぞれ地面からの高さが違うのが普通です。
そうした垂直方向の「図面」も「丁張」で示します。つまり糸の高さから○○mm下がった地点が基礎の天端。○○mm下がった所が下地砕石の転圧高さ。○○mm下がった所が掘削土取りの高さ。というメモ書きが添えられて。
基礎の平面図と立面図が現場で描き出された。ということなんです。
だから他人さまからは、何も見えません。ただ材木の枠と糸が張られただけ・・・・でもこれで基礎屋さんは準備完了なんですね。
今回は外構なので簡略した丁張です。
一本は駐車場周りの土留めに積むブロックのラインを表し、右側は、その中に立つカーポートの柱のラインを示してます。先に書いたように、ブロック↓○○が砕石、○○が基礎コンクリートなんて指示票をつけています。
国府田産業HP
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外構工事
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土を掘る仕事をしています。
日光といえば、埋蔵金伝説が・・・・・・・・。
一つは徳川埋蔵金。家康の墓所ですから家光あたりが埋めておいてもおかしくないですな。家光の墓所も隣にあります。
もうひとつは平家の埋蔵金。北部旧栗山村は平家の落人集落。生活や再興のために、金を持って逃げてくることは当然です。
どちらも里に埋もれているわけないんですが。旧日光や旧栗山村で土を掘る時に、つい「埋蔵金」伝説を思い出すんですわ。
しかし地中ユンボのバケットに当たるのは、古い下水の蓋位なもんなんです(^_^;)。
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本日は外構工事の相談が一日で3組もやって来ました。1組は成約でした。
7月1日。つまり今年の下半期開始の日でして。これりゃ運気が良くなってきたかも・・・・・「上げ潮じゃ」 上半期のことは忘れよう、と思いを新たにしたのでした。
さてその内の一件は、竹垣の更新ということでした。アルミや樹脂の既製品の取り付けなら誰でも出来る。自然素材をオーダーメイドで作れるのが、当社の強み!と豪語してますから、手ぐすね引いいて出かけて行くと・・・・。
「竹だと腐るから樹脂に更新」と言われて少々拍子抜けしたのですが・・・・・。
「年齢や家族構成によって庭の機能や手のかけ方が変わってくるもの」とも日頃書いてます。
メンテナンス軽減のお役にたつのも当社の使命です。
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今日は半日表題のような 会議というか出張だったのですが・・・・。色々ありまして・・・遅刻です。
零細商店。最小限の人員で営業してますので。タコ社長抜けられないことも多々あります。
振り返れば、仕事が切れて・・・・・不運が束になって襲ってきたちょっと前のことを思い返せば、仕事が詰まってきたことは、運気が上向いてきた、と思って良しとせねばなりません。
一転して梅雨で計算通り運ばないし・・・・依頼は増えてきたし・・・職人は相変わらず不足だし・・・・・・・・一様に上げ潮とはいえませんが・・・・・。バイオリズム最悪のどん底は抜けたか、と信じたいですね。
今日はある壁材メーカーの塗り替えも対応できる新製品のデモです。
皆さん施工会社のトップですから、質問その他鋭いです。コストは勿論、作業性、仕上がり具合、寒さや雨までの養生期間など・・・・・。明確な回答がないと・・・・・きっと採用されないでしょうね。でも全体的に好印象の製品だったみたい。
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常連さんならご存知。何時だって一石二鳥・・・一粒で二度美味しい路線追求のコウダですから。
平日仕事で富山に行っても、それだけで帰ってきません。初日は午後1番から工業会の総会。二日目は、10時から各社のデモンストレーションですので、狙いは二日目早朝から10時までですよ。本当は夜に美食散策をしたかったのですが・・・・懇親会のため諦めました。
午前5時起床で、ちょっと歩いて富山城へ。こちら加賀藩の支藩みたいで、つまり前田家分家ですな。歴史からして何となく地味な感じです。城も昔から残っているのは石垣だけみたいです、で実際地味なのですが・・・・・・結構これも面白いのですよ。
マニュアックな石垣探訪です。
石垣積み、というのは日本においても、それこそ古墳からニ千年の歴史があるのです。
火器つまり鉄砲が伝来して、防御のための城も飛躍的に頑丈になりました。そうした戦国時代の城は当初は、攻めるに難しい山の頂上に築かれたのですが。戦時はともかく平時には、高い所に居ては領地経営や生活に負担が多く、城は段々平地に降りてきます。
城下町経営(政治)と防御の拠点としての城は、平地であっても要塞機能を持たせるために、高い石垣や水を張った堀に囲まれるようになります。
そんな城の歴史の中で「あのう衆」という職能集団が日本の歴史に出てくるわけですよ。つまり地震が多く、雨が多い日本において、強固な石垣を積み上げる「プロの」職人集団がいたということなんですな。
でもこれは、ここが「あのう衆」の造作だ。というのがはっきりしてないんですね。
城の石垣というのは、形状だけ見てもいろいろあります。石と石の目地がカミソリ一枚はいらないんじゃなかという精緻な石組みもあります。
本家の金沢城は「あのう衆」一派が作ったと言われている様のなのですが・・・・・
富山城石垣は・・・・なんか大分積み方が違うのですよ。一言で言えば「ラフ」。
富山城は戦国時代の要塞でなく、徳川泰平期の、前田家の隠居あるいは分家城なので、こうした「手抜き」石垣になったのでしょうか????。
石垣って登るに大変。登るが良いが、上から熱湯が降ってくる、というイメージですが。少なくても富山城石垣は、私でもノーザイルで登り切れますね。なんか本家金沢城と大分違うように見えるのですよ・・・・・。このあたりごんじの方いれば、教えてください。
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