ここから本文です
にこにこくんの、のんびりキッチン
あの日と、つながっている今。

書庫全体表示

記事検索
検索

全350ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

私の書いた原稿が、日本食糧新聞社の食のサイト「たべぷろ」に掲載されました。昨年4月から始まった連載の31回目です。


イメージ 1

かつお節とおぼろ昆布の組み合わせで、うま味の相乗効果が期待できます。

よろしかったら記事の文末にある「いいね!」を押していただいたり、ツイッターでツイートしたりフェイスブックでシェアしていただけるとありがたいです。また、たべぷろの記事の最後にコメント欄もあるので、一言書き添えていただけるとうれしいです。

よろしくお願いいたします。

じゃーねー!(*^▽^*)/

先日、映画「ワイルドライフ」を観ました。監督のポール・ダノは演技派の俳優として知られ、この映画で初めてメガホンを握りました。

イメージ 1

舞台は1960年代の米国。古き良きアメリカの理想的な中流階級として、家族三人が仲むつまじく生きていたのですが、夫の失業をきっかけに、次第に彼らはバラバラになっていきます。何とか絆を取り戻したいと願っている息子の視点で、彼らのもがく姿が描かれていきます。

夫であり、父である前に、彼はジュリーという名の一人の男。
妻であり、母である前に、彼女はジャネットという名の一人の女。
息子である前に、彼はジョーという名の一人の少年。
一人の人間が複数の輪を抱え、その輪が重なるところに自分があり、その重なりがさらに重なるところに家族があるのです。

「こうあるべき」という理想的な憧れの、ステレオタイプなライフスタイルから外れてしまうこと。妻はそれを最も恐れていました。そして、その恐れが夫の失業をきっかけに現実のものとなったとき、彼女は家族が生き抜くために、なりふり構わぬバイタリティを発揮します。しかしそれがやがて、家族崩壊へと導いてしまうのです。

失業をきっかけに自分の弱さや迷いにさいなまれ、問題先送りともいえる選択をする父。
家族のためなのか自分のためなのかがわからないまま、生きるためにもがく母。
それを静かに見守る息子は、心の優しさゆえ、幼さゆえに、問題の修復を担うことはできません。

そんな息子が家族のためにとった行動、それは確実に、両親に届いたはず。果たして、この家族の未来は……。

舞台はカナダに近いモンタナ州の田舎町。何もない町と、町の周りを覆い尽くす森林。その森は大火事に見舞われ、消防団もなすすべなく、雪の季節になって自然鎮火するのを待っている状態。

そんな何もない風景の中で演じられる家族の姿が、どことなく寓話のように見えてしまいます。

次第に壊れていき、なすすべのない家族と、消えることのない山火事に、なすすべのない田舎町。この二つがシンクロしているように見えるのです。

元に戻すことはできなくてもいい。元に戻すことだけが解決ではない。変わりゆく家族模様のなかで、一筋の希望を感じます。それは……。

ほろ苦くも余韻のある、味わい深い作品でした。

じゃーねー!(*^▽^*)/

ヒロシマ・ナガサキ

昨日のNHKEテレ「100分de名著・戦争論(あと3回続きます)」でも解説されていた通り、人間は戦争という非合理なものを「聖なるもの」と捉え、命を懸けて戦うことを崇高だと思ってしまう習性があります。戦いに快感を覚えたりもします。

しかし、人間の作った科学は急速に発展して、ヒロシマ・ナガサキのように、これ以上大戦争を起こすと世界を滅ぼしてしまいかねない時代になってしまいました。

もはや、これはもう、二度と戦争を美化してはならない。この気持ちを世界に広めるにはどうしたらいいか、日本人は改めて考え直さなければならないと思います。なぜならば、日本人が海外で空襲や原爆のことを話し、戦争はいけないと訴えても、「日本人は被害者ぶっているが、お前たちがやったことを忘れたのか」と、変なボールが返ってきて、話が噛み合わないのです。その経験をした日本人の中には、日本人がやったことをきちんと勉強せず、相手の訴えをそのまま100%受け入れて反省してしまう人もいて、それが日本の右翼・左翼のつまらない争いのタネになっていたりもします。

日本は終戦後東西冷戦が始まり、その中で西側につき、戦略的に重要な位置に国があることから、きちんと戦争の総括をし、他国とすり合わせをしないまま、金銭によって問題を清算してしまった歴史があります(韓国に莫大な資金提供をすることで両国間の請求権の最終的な解決とした「日韓基本条約」など)。高校でこれらのことを学んだ際、「これは将来、火種になるな」と思ったものです。具体的に何が起こったのかを反故にせず正確に掴んでおかないと、将来の争いのタネになると思ったのです。そして今、そうなっています。

日本がヒロシマ・ナガサキの悲劇を通して世界に平和を訴えるためには、日本が何をしたのか、何はしていないのかを各国間で協力して調べなければならなかったのです。相手国のトップが当時「もういいよ」と言っても、調べるべきでした。果たして今からそれができるのか、難しいところです。相手国が国内の安定や国威高揚のために、過去の出来事を利用するようになったからです。

そんな今、世界に平和をもたらすためには何をすれば良いか、とても難しい問題です。理屈でもう戦争はしてはならないと訴えても、全人類に伝わるわけではないし、核兵器の恐ろしさを知らせても、復興したヒロシマ・ナガサキを見て安心する人もいる。

繰り返しのワンパターンでも、ただのお題目でも、独りよがりの独善でもいけません。かえって逆効果です。道は困難です。それを承知の上で、一歩ずつでもいいから前に進むこと。前に進むのです。それは難しいのです。それでも続けましょう。

戦争で亡くなったすべての人々のために。

今年5月のゴールデン・ウィークの頃ですが、シネスイッチ銀座でジャン=リュック・ゴダール監督の最新作「イメージの本」を観ました。

イメージ 1

簡潔に言うと、彼の新たなオリジナル映像に、さまざまな絵画・映画・文章・音楽をコラージュした映像詩です。

この作品は、表面的には現代社会に対する批判的なメッセージのようですが、そのメッセージ自体を脱構築しているようにも見えます。

また、あまりに過剰なコラージュは、観ている者を幻惑し、トランス状態に陥り、めまい、または眠りへといざないかねません。しかし、意識が遠のいたかと思うと、今度は覚醒し、映像が記憶の奥底にまで刷り込まれます。

つまり、この小間切れのパッチワーク作品は、「理路整然とした主張より、不確かなパラフレーズ(言葉の散乱)」「きちんと正対して意識を覚醒させて観るより、意識と無意識を自由に横断させながら接する」「理解よりも、感じる」といった方向で作られた映画なのではないかと思えました。

ひたすら美しく、現代史の早送りを観ているような感覚にさせる、刺激的な84分間の作品でした。

「イメージの本」公式サイト

じゃーねー!(*^▽^*)/

イメージ 1

老いる、衰える、そして死ぬ。

フランスの作家マルグリット・ユルスナールの短編集「東方綺譚」を読みました。その中の一編「源氏の君の最後の恋」のことをネットで見つけ、興味が湧いたのでアマゾンで購入したのです。また、コミュニティFMの番組「大空なんだの四方山話」の伊勢物語〜源氏物語のコーナーにも投稿しました。

日本、中国、インド、中東、ギリシャという、ヨーロッパの東方に位置する国々の古典や伝説をモチーフにした、彼女オリジナルのストーリーです。

「源氏の君の最後の恋」は、様々な恋愛経験を経た光源氏が、老いて隠居生活に入った後の、最後の恋を描いています。老いて目が衰え、「光」を感じなくなった「光」源氏が、花散里(はなちるさと)の無償の愛を受けながら、死へと向かっていくのです。

現代的な表現が、世界最古の長編小説を下敷きに紡がれていきます。東洋と西洋、現代といにしえ、時空を超えたつづれ織りのような世界です。

光源氏は、これまで数多くの女性たちと出会いました。彼女たちは彼の愛を得ながらも、悲しみ(もののあはれ)の世界を生きざるを得ませんでした。果たして、光源氏最後の女となる花散里を、彼は幸せにすることができるのでしょうか。
 
多くの人は、肉体的に元気な若い時期を経て、次第に老い、苦しみながら死んでいきます。たとえ若い頃に善行を積んだとしても、安らかに死ねるとは限りません。枯れしおれて亡くなるのが自然です。人生の終末にこういうことが待っているなんて、報われるのを期待していたら、こんなにむなしいことはありません。恋愛も、誠実に愛して尽したからといって、報われるとは限りません。なんと不条理なことでしょう。
 
生きるとは、報われるために誠意を尽くすことではない、報われるか否かは関係なく、ただひたすらひたむきに生きること、それこそが幸福なのだ。この短編小説の波乱万丈な結末を味わいながら、そのように思い至ったのでした。

じゃーねー!(*^▽^*)/

全350ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事