小説・炎のなかのミセスたち

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8.大友家のマドンナ(3)

 年が明け、春はもうそこまで来ていた。

 竜馬の父、龍之介が、見舞にきた春香の父へ、感謝をこめて言った。

「春香さんと竜馬とのふたりが、会社をあそこまで良くしてくれるとは思いませんでした!」

「古くから会社にいる者たちが、感心して言っておるのですよ!」

「新社長になって、会社の雰囲気が良くなったとね・・・」

「自分たちもチャレンジしていかないと、進歩に乗り遅れると言出したのです」

「春香さんのお陰だと感謝しております。大曽根さん!」

 搾り出すような声で話す龍之介の代弁をするように、妻のなつが車イスの傍で、微笑みながら陽一郎へ話を続けた。

「小さな小川が幾つも集まって、やがて、大河となっていくように・・・」

「新しい仕事も、きっとうまくいくでしょう!」

「何しろ、組合の若いひとたち、やる気満々の一生懸命ですから!」

「この間も、見舞に来てくださった同業の八木さんが、久しぶりに活気のある話でうれしいと、たいへん喜んでおりましたわ!」

「息子さんに、フォーザベストの意気込みを感じるのだそうです・・」

「若い人達が、本業を終えてから、建築関係の人やセキュリティの専門家、それに、システムエンジニアという人まではいって、夜遅くまで熱心に勉強をする姿を見ていますと、将来は必ず、あの人たちのものになると思います」

「私は、もう、あの人たちの時代になったのだと思いますの」

 何処からとなく流れる、ひばりの《川の流れのように♪》を聞きながら、車イスの龍之介が、なつの話に静かに頷いていた。

 母親似の春香の性格を存分に発揮させてくれる、娘婿の竜馬に感謝しながら、自分が成しえなかった事を見事に実現していく愛娘の話を、陽一郎は春香の嫁ぎ先で、姑から満足気に聞いていたのだった。
8.大友家のマドンナ(2)

「竜馬さんに打ち明けるときが、ついにやって来ました・・」

 春香は、竜馬が会社の引継ぐ話をし始めるのを待ちかねていたように切り出した。

「銀行の《貸金庫》と似ているのですけど、サービス内容は異なる方法で、新しいビジネスモデルを開拓したいと思いますの・・」

「一つは、24時間、出し入れが可能なサービスを提供すること」

「二つは、銀行の貸金庫の料金体系よりも安いこと」

「三つは、出し入れがATM並に簡単で、かつ、安全であること」

「四つは、利用者の本人確認を最先端技術の声紋と顔写真の照合と、ワンタイムパスワードで行うこと」

「五つは、預ける物は動植物や食物を除く、貴金属と、それに準ずる経済的価値のある物で、損害保険の担保要件を満たす認証ができるシステムであること」

「このコンセプトを実現して、銀行業でもなく倉庫業でもない、新しいサービスのビジネスモデルを構築するのです」

 貸金庫の自動倉庫化をロボット技術で実現するというアイデアも面白いが、ICタグで識別する《秘密箱》、《宝石箱》なるものを、小学生のランドセル程度の大きさに統一して、ハチの巣状のスペースから、効率よくロボットアームで安全かつ容易に出し入れを可能にするとか、ATM装置と同じように簡単に格納・引出しを行えるようにする等々を骨子とするプランだった。

 新しいサービス業を創出するという、春香らしいというか、素人らしからぬユニークな発想に、単なる思い付きではない熱意を感じる竜馬だった。


「とても画期的で、おもしろいプランだと思う」

 取引先のコンピュータメーカーのアウトソーシングセンターを一平と訪ねた折に、数十万巻のカセット磁気テープを格納庫からロボットアームで取出し、複数の大型コンピュータへ自動装填して、読書きする、システム装置を特別に見せてもらったことを思い浮かべていた。ひょっとすると、春香はそういうものをヒントにしているのかも知れないと竜馬は想像した。

 機密性の高いデータ保管のニーズは高まるばかりだし、コンピュータハウジングのニーズも高いと聞いているので、竜馬の頭には新しいサービスの輪郭が、にわかに現実味を帯びてきて、夢がふくらむのだった。

「さっそく、会社の人や滝山さんとかに相談してみよう」

 竜馬は、まじめにそう思い、春香の目に感謝の気持を伝えた。

 やがて竜馬と同じ二世の組合仲間が、このアイデアをベースに新しいサービスの企業化に向けて、Hプロジェクトを精力的に立ち上げることになったのは、それから実に二ヶ月後という早さだった。

 (つづく)
8. 大友家のマドンナ(1)

 春香の挙式を目前にして、米国から父、陽一郎より一足早く帰国し、春香のところに宿泊していた母、ハルの発症に気づいた春香は、竜馬と相談し、予定していたハネムーンをキャンセルしたのだった。

 そのことを知った竜馬の父、龍之介がいろいろ手を回し、家族総出で春香の母を世話してくれたお陰で、短いながらも想い出の多い新婚旅行が出来たのだった。

 その春香の母は、夫の陽一郎が帰国して以来、近くのマンションで一緒に生活をはじめてからは、見違えるように元気になって、夫の世話をするようにまでなっていたのだった。

 秋の気配が深まり、街路の銀杏並木が黄金色に染まり始めた頃、大友の父、龍之介が軽い脳梗塞のため会社で倒れたのだった。


「もしもし、大友社長の様子がおかしくありませんか?」

 日頃から組合の仕事のことで龍之介と力を合わせている同業者の八木社長が、電話で話す大友社長の様子に異変を感じて、事務所へ掛けなおしてきたのであった。

 知らせを受けた社員が社長室を覗き、すぐに救急車を呼んだ。

 脳血管医療センターへ運ばれ、発症してから最新の医療チームの手当を受けるまでが、非常に早かったことが幸いしたと、駆けつけたナースセンターで、春香は義母のなつと一緒に聞いた。

 まもなく、竜馬が一平と共に駆けつけてきた。

「手術は成功です。きょう明日がヤマでしょう・・」

「順調に経過すれば、年内には、退院できると思います」

 主治医は、発見が早かったので、早く処置ができたのが幸いしたと説明した。

 八木社長の間一髪の機転が、龍之介の生命を救ったのだった。

 人の生命も健康のことも、周囲の者が日頃から大きく関係することを、あらためて痛感する竜馬と春香であった。

 竜馬の父から受けた恩をけっして忘れてはいけないと、いつも自分に言い聞かせている春香だった。

「こんどはわたくしが、お父さまに何かをいたさなければ!」

「竜馬さんとわたくしで、お父さまの会社を受け継ぎましょう」

「わたくし、こういう日がいつかは来ると思い、少しずつ温めているプランがあるのです・・」

 家路に着く車の中で、義父への思いを寄せる春香だった。

 竜馬は、春香の真剣なまなざしから、並々ならぬ決意の告白に迫力を感じつつ、いつの間にか、大友家の将来を親族になりきって、熱く語ろうとしている春香へ、うれしさの込み上げるのを抑えながらハンドルを握っていた。

 龍之介の状態が良好に経過して一週間たったとき、一平が病院を見舞いに訪れた。

 そして一平は、竜馬を控えの部屋に呼んで言った。

「親父さんの会社のことを、春香さんとよく話し合ってくれ」

「事務所のほうは、これまで通りおまえと俺の名前で通すから、心配するな」

「俺も出来る限りの力を貸すから!」

 一平は、竜馬が親の会社を引継ぐべきだろうと、覚悟をして、いたようだった。

 (つづく)

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7. 父、陽一郎への手紙


 春香は、剛志の育児に追われているあいだに、風邪をこじらせていた母、ハルの様子が再びおかしいことに気づいた。

「お父さま、どうかお母さまのそばにいてあげてください・・・」

 母に対する思いを切々としたためて、父、陽一郎へ送った。

 陽一郎は、ハルの症状が再び思わしくないとの春香からの手紙で、任期を残して帰国することを決意した。

 米国では、留学時代を含め人生の半分あまりを、強いアメリカと苦渋に満ちたアメリカの両方を見ながら過ごしたことになる。

 そのほとんどを、妻のハルと共に過ごして来たのだったから、妻ぬきでアメリカを語ることは出来ないのである。

 その妻、ハルがいま日本で病んでいる。

 ハルの元へ思い出を届けてあげなくてはならない。

 春香からの切なる願いでもある。
 
 帰国にあたり、ハルとの思い出の地ボストンとニューヨークを訪ねてから、日本へ向かうことにした。

 手紙から、恐らく二人で一緒に訪れることは叶わないだろう・・と陽一郎は予感した。

 ボストンは、ハルとの出会いの地でもあった。


 冬の寒い日に、友人の誕生パーティに呼ばれて、暖炉のある部屋で同席したのが最初だった。

 やがて、ハルはニューヨークの大学へ移ったのだったが、陽一郎がニューヨークまで出かけて行って会うことが多かった。

 ニューヨークは、ふたりの友情を深めた地として、生涯忘れられないところであった。

 ことに、スクエア広場や自由の女神は、彼女のお気に入りのところであったので、ぜひもう一度立寄って帰りたかった。

 そんな矢先、2001年9月11日の、いたましいテロ事件が起こった。

 かつて、広島や長崎の人たち、そして、戦争に苦しんできた世界の多くの人たちと同じように、あの日、映画でも見るような恐ろしい思いを、世界の誰よりも、アメリカ国民は経験したのだった。

 東西冷戦をなくし、平和な世界へソフトランディングさせた、かつての強いアメリカが、それを機に再び戦争を標榜したことは、真に皮肉なことであった。

 世界はいま、EC統合や中国、アジア諸国によるグローバリゼーションが進み、地域の宗教や習慣、あるいは、連帯感からなる人々の接点が大きく変貌しようとしている。

 新しい接点から生まれる価値観や社会像が、人びとの生き方を変えていかざるを得ない中で、変化に対応できるひとと、対応のできない人の二極化が進むことにより、不満分子が往来し、テロの発生する要因が次第に増大しているのである。

 地域紛争とテロ組織撲滅の課題は、地球の環境破壊の問題と同じく、地球規模での深刻な問題である。

 グランド・ゼロに立ち、地球人のひとりとして、経済学者として、これからも何らかの形で役に立ちたいとの思いを一層強くし、帰国の途についた陽一郎であった。


 ネオポリスの庭に咲くコスモスの花を、ムッシュ江川がスケッチしているところへ、孫娘をベビーカーに乗せた絹婦人が通りかかった。

「こんにちは! 江川さん」

「コスモスを、お描きになっていらっしゃるのですね・・」

 にこやかに微笑んで、優しく語り掛けてきた。

「すてきな絵をお描きになりますのね!」

「わたくしも、以前はよく画いておりましたのに、近頃はなかなかそのような気持ちにならなくて・・」

「イヤ!実はわたしも、40年振り位に筆を持ったのですよ」

 とそんな立ち話をしているところへ、ネオポリスの前にタクシーが止まって、長身の紳士が降り立った。

 足早に訪問先へ向かうように入ってきて、ムッシュ江川と目が合った。

「やあ! ムッシュじゃないか!・・・」

 大学の学生寮で1年先輩だった、大曽根陽一郎が声をあげた。

 議論好きの寮の学監の部屋で、よく酒を交わしたものだった。

「大曽根さん!なんとしたことですか?・・」

「娘のところに家内が・・・」

 陽一郎が奥の館を指差して言った。

「イヤ、大曽根先輩も、お変わりないですね!」

「わたしは、もっぱらこういう生活を楽しんでいます」

「その道の向こう側の家に、住んでいますので寄ってください」

「わたしは、藤が丘の駅近くのマンションへ越してきましたから、こっちの方にも遊びに来てください・・・」

「イヤ、驚きました!」

 大友夫人の母、ハル婦人のことは、絹婦人の新しい友人として、ふたり一緒の姿をよく見かけていたムッシュ江川だった。

 そのハル婦人が、大学時代の先輩のご令室だったことを知って、縁の不思議さ世間の狭さに唖然とするムッシュであったが、ネオポリスのひと達とは、縁の深まるばかりだと述懐するのであった。
6. マドンナの宝石 

 結婚式を挙げて7ヶ月目に入り、そろそろ桜の開花だよりも聞かれるようになった頃、春香のお腹に陣痛が始まった。

 出産のために予め決めてあった産院へ、いよいよ入院という時になって、竜馬の仕事の都合がどうにもつかず、福岡へ出張に出かける朝、春香の母に深々と頭を下げて竜馬は言った。

「お母さん、たいへん申し訳ありませんが、春香をよろしくお願いします」

 竜馬に不安の様子はまったくなく、手を振って羽田へ向かって行った。
  
 午後になり、陣痛の波の間隔が短くなってきて、そばでジッと見ていた春香の母、ハルが、突然、声をあげた。

「いよいよのようだわ!」

 陣痛をこらえていた春香が、ハルの母の声を聞き、痛みを忘れて感動した瞬間でもあった。

 産院の救急車がネオポリスまで迎えにきて、荷物を抱えたハルと一緒に産院へ向かった春香だった。

 分娩室に入るまでの間、カーテンで仕切られたとなりのベッドで、出産の時を待つ春香に、ハルは何度も言った。

「春香、強くなるのよ!」

「強くなるのよ!」

 まぎれもなく、かつての母の声、母の言葉だった。

 遂に出産の陣痛が訪れて、春香とハルは分娩室へ入った。

 「春香、強くなるのよ!」

 ナースが、春香にいろいろアドバイスする傍らで、ハルの手が春香の手をやさしく握っていた。

「春香、強くなるのよ!」

 力強く繰返す母の励ましの声に、こみ上げる嗚咽と陣痛が、春香のなかで交叉していた。

 そして、感極まった春香の嗚咽が、天高く届くように炸裂したそのとき、新しい生命の産声が、分娩室に高らかにこだました。

「おめでとう!春香 ・・ 男の子ですよ・・」

 元気な産声を上げる男の子を抱く、母の姿が春香の目に映った。
 満面笑みの母の姿に、春香は安堵して感動の涙を流していた。


 男子誕生の知らせを受けた竜馬は、福岡空港へ駆けつけ、羽田行の便へ飛び乗るように搭乗した。

 搭乗機が着陸態勢に入り、厚い雲を突き破るように降下すると、突然、羽田空港の照明が機内のスクリーンの前方に赤く映しだされた。

 蜃気楼のように揺れる誘導灯の光線を見つめて、めずらしく無事の着陸を祈りながら、はやる気持ちを抑える竜馬だった。

「本当に、ありがとう! ・・」

「お母さんも、本当にありがとうございました!」

 産院に駆けつけた竜馬は、春香の手を優しく握り、興奮気味に春香と義母へ労わりの言葉をかけた。

 母、ハルのおかげで安産だったことや、ハルの力強い励ましの言葉を、うれしそうに竜馬へ伝える春香だった。

 ハルはうれしそうに、満足そうな笑顔で応えた。

「竜馬さん!早くまいりましょう・・」

 新しい生命の誕生に立会い、生き生きとしたハルの声が、竜馬の背中を押すようにして、長男のいる新生児室へ案内すると、ガラス越しに見える大友春香の名前が書かれたベッドで、健やかにねむるわが子と、竜馬は興奮した面持ちで対面した。


「名前を《剛志》にしたいけど、どうでしょうか?」

 春香の部屋に戻ってきた竜馬がいきなり言うと、春香とハルが顔を見合わせて、うれしそうに笑った。

「剛志は、竜馬さんにそっくりの顔をして、とても可愛いのです」

「わたしの宝石みたいに、剛志、輝いているのです!」

 春香が、満面に幸せいっぱいの笑みを浮かべて、父、陽一郎へ安産の報告と母、ハルの声を電話していた。

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