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朝一も川の温泉につかり、タトパニを出発した。今日の目的は、再度山を登り、ゴレパニという高地にいくことだった。タトパニは標高約1000M、ゴレパニは約2800Mと急な道になる。また、ゴレパニからポカラへ帰る途中、ガンドルンという場所にもよろうと思っていたが、そのあたりでは殺人もするような山賊が出るとのことだった。いずれにせよ一人歩きは避けるべきだと思ったので、ここタトパニで、400Rsでポーターを一人雇うことにした。
17、18歳くらいの年齢の若い青年で、かなりひょろっとしていた。俺のバックパックをちゃんとかつげるのかと、少し不安だったが、やはりそこは地元の人だけあって大丈夫だった。かなり急な石段の上り坂をグイグイ登っていく。俺はこのトレッキングで初めて荷物を背負わずにすみ、かなり気分よく登山をすることができた。
彼は謙虚な青年だった。ポカラに彼女がいるとのことで、俺をポカラまで送ったらそのまま彼女に会いにいくのだと言っていた。15分に一度ほど休憩をする度に俺はタバコを一服していたのだが、彼に勧めると喜んで吸った。しかし彼からねだることは決してなかった。
道のりはかなりうっそうとした森、という感じだった。これまでのルートがかなり開けていたため、この風景はかなり新鮮だった。森があるということは、それだけ湿度も豊富なのだろう。その証拠に、登れば登るほど霧が深くなっていった。
昼食をとるためにある集落に寄った。頑固そうなおじいさんが一人で経営しているロッジに入ったのだが、ポーターとおじいさんが微妙な距離感で会話をしているのが印象的だった。地元の言葉なので何を言っているのかサッパリわからなかったが。
俺のような旅行者から見ると、このポーターもロッジのおじいさんも同じ山に住んでいるのだから親しい仲だと思うのだが、何だかよそよそしい。集落が違うとそれほど親しくしないのか、それとも2人の間に何かわだかまりのようなものがあるのか…。妄想の域は出なかったが、やけに興味深いやりとりだった。
昼食後もガシガシ登り、午後3時ごろにゴレパニに到着した。ナマステ・ロッジというところにチェックインし、自分の分とポーターの分の部屋をとった。ポーターの部屋は契約の400Rsの中に含まれているので、支払うのは自分の分だけだった。ポーターとはまた明日よろしくということで、一度ここで別行動とした。
霧の深いゴレパニ村をフラフラ歩くと、物々しい集団がいた。よく見ると、若い女性なのに銃を背負っている。そんな人たちが10人ほどいる。ちょうど近くに一人のフランス人青年がおり、彼が教えてくれたのによると、彼らはマオイストのようだった。
ポカラなどでは取り締まりが厳しいため、ちりぢりに山に潜んでいるそうだ。その一部がゴレパニに出てきたらしい。
「しかしそんなに恐れる必要はない。彼らは挨拶をすれば普通に返してくれる。ためしに行ってみたらいい。」
と、そのフランス青年のにわかに信じがたいアドバイスに身を任せ、マオイストの集団の方に一人で歩いていった。不思議と威圧感は感じない。向こうは俺が旅行者だとわかると、にこやかに挨拶をしてくれた。それを見て俺も大分安心したが、「マオイストですか?」というような、妙な質問を投げかけるのはさすがにやめておこうと思った。
この件を通じて、フランス人青年とともに行動することになった。彼はポカラから登ってきたらしく、ゴレパニに滞在した後、ポカラに戻るかタトパニに降っていくかは決めていない、とのことだった。
それにしてもなかなか話の内容が面白い男だった。
フランス人の若者は皆昼間からワインを飲んで酔っ払っている、という母国の現状を馬鹿にしながら、自分も同じ部類だと認め、しかももうすぐ30歳になる自らを滑稽な男だと主張した。
また、ジャン・レノは日本で妙に人気があるが、フランスでは全然大したことがない、ということを熱弁した。俺はそもそもジャン・レノに興味がない、と彼に伝えたが、どうもジャン・レノが人気があるのが気に入らないらしい。
さらに、セルジュ・ゲンズブールの素晴らしさについても熱く語る男だった。
フランスのテレビ番組で、ゲンズブールがホイットニー・ヒューストンとテレビ電話で会話した際、ゲンズブールがずっとホイットニーに向けて甘いフランス語を語りかけていた。ホイットニーはフランス語がわからないので、「彼は何を言っているのかしら、とても気になるわ」ということを言っていた。その番組を見ていたフランス人は皆爆笑したそうだ。なぜなら、ゲンズブールが発していたフランス語は、英語に訳すと”I want to fXXk her”だったらしい。それをひたすら連呼していたそうなのだ。
そして、サブライムが大好きらしい。これが俺と妙に意気投合した理由だった。
そんな彼と村を歩いていると、なんとこのような山岳地帯でバレーボール大会が開催されていた。どうも今日はゴレパニの(地元の人向けの)祭りの日らしい。我々は2人で、バレーコートの端に腰を下ろして試合を眺めていたが、割とお粗末な試合だった。まともにレシーブも出来ないようなプレイヤーばかりなのでボールが結構あちこちに飛ぶ。下手をすると1000M下までボールが転がっていくこともありえ、1日かけて取りにいく羽目にもなりそうだった。
フランス人はそれを眺めながら、事あるごとに”crazy”とつぶやいた。確かにそれはクレイジーな光景だった。
バレーも見飽きたので、近くの建物を見ると、地元の人が集まっているようだった。中をのぞくと、おじさんおばさんが火を囲んでいた。本当に地元の集まりだったので、彼らのほとんどは、我々を見て怪訝な表情をしたが、一人のおじさんが手招きして入れといってくれたため、暖を借りることができた。そうは言ってもどことなく招かれざる客という雰囲気はあった。モモを少しわけてもらいながらも、どことなく居場所がないなと思ってフランス人と顔を見合わせていると、ネパリの若者が4人ほど、ギターをかついで入ってきた。
彼らは我々を見てwelcomeと言ってくれた。そしてネパール演歌を演奏して聞かせてくれた。一通り歌い終わると、ギターを弾けるかと聞いてきた。弾けると答えると、「何か外国の歌を歌ってくれ」と言われたので、beatlesのblackbirdを歌ってみた。2番くらいまで歌っていて感じたのだが、どうやら全く知らないらしく、ネパリたちはほとんど興味をなくしていた。フランス人だけが聞き入っていた。やはり我々は招かざる客だったのだ。
写真1「ポーター」
写真2「ゴレパニへの森の道」
写真3「羊追い」
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