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GWに突入したというのにちっとも休み気分が味わえない今日この頃です。
これも昨今はやりの国際的にグローバル化された業務の国際的分業のせいかと。 ところでたまたまニュース記事を読んでいると、「アルプスの少女ハイジ」のパクリ疑惑という記事を見かけましたのでちょっと考えてみる。 多数の報道によれば、19世紀スイスの児童文学作家ヨハンナ・シュピリのスイス文学を代表する児童小説『ハイジ』よりも50年も前に良く似た短編小説『アデレーデ:アルプス山脈から来た少女(Adelaide, das Maedchen vom Alpengebirge)』がドイツ人のチューリヒ大学博士課程の若手ドイツ文学・文化研究者によって発見されたそうです。作者はドイツ人のアダム・フォン・カンプ(Adam von Kamp)という作家だったそうです。 ちなみに「ハイジ」。彼女の本名はアーデルハイトであり、ハイジはその愛称です。そしてドイツ語では高貴という意味であり、アデライード、アデレード、アリス、アリシアなどに対応しています。 題名もストーリー構成もほとんど同じそうなので物議をかもしているそうです。 物語の長さはドイツの『アデレーデ』は30ページほどですが、ハイジはその10倍の長編です。 当時、『ハイジ』が書かれた経緯としては、ヨハンナ・シュピリが姪に「子供向けの物語を書いて欲しい」と頼まれた事がきっかけだそうです。『ハイジ』が匿名で出版されるとこれが好評となり、出版社がぜひ続編を、と頼んできたそうです。 確かにヨハンナ・シュピリが先に書かれた小説をもとに新たな物語を考え作品にしたとしても、小説家の腕というか発想力や表現力によってその評価は大きく変わると思います。同じストーリー構成としてもその表現や描写で読み手の受ける印象は大きく異なるはず。 一度その発見された30ページほどの短編小説を読んでみたいところですね。 日本ではアニメとなってこちらの方が有名だと思いますが、アニメでは野山を駆け回ってちょっとテンションの高い天真爛漫な野生児っぽいハイジという印象を受けますが、原作を読んだことのある人からすると『ハイジ』は宗教の信仰心を説く描写が多くあり、ハイジも繊細でちょっとした聖性を持っている印象を受けるそうです。 アニメではすべて宗教色をとっぱらい子供向けにアレンジされたものかもしれませんね。 こう考えると同じ題材をとってもそれを作品にする人によってアレンジされてしまうでしょうし、逆にアレンジされた方のものが有名になったり、人々に感銘を与えたりすることもあったりするとも思えます。あるいは感動シーンが別のところであったりと。 当時の「ハイジ」が書かれた背景を考えると子供向けに小説を書いて欲しいと頼まれて、元ネタに新たな発想や創作を加えて小説にしててもおかしくは無いともいえる気がします。限りなくオリジナルではないという可能性が高いといえますが、作品としての価値が貶められるようなことが無ければいいですね。 元ネタにはよくテレビでアニメの感動シーンランキングで出てくる「クララが立った!!」というクライマックスシーンはあったんでしょうかねぇ。「クララが立った!!」といううるうるシーンがないとハイジが成り立たないというか、このシーンしか記憶にないというか。ここが重要なのでは。感動シーンがないと小説でも映画でも売れないですよね。 ちなみに「クララが立った!!」という感動シーンについてhttp://ec3.images-amazon.com/images/I/511325YFWAL._SL500_AA300_.jpgこういう本があるそうです。名作といわれる少女小説には「克服する」ものとして障害をもった少女が登場してある日突然やってくる奇跡的な治癒によって感動を生むパターンが多いわけですが、その克服にいたる過程である種の経験を踏み人間的にも成長をしたことも同時に描写されることが多いですね。クララの場合は、アルプスでヤギに餌を与えることで世話をされるばかりではなく世話をする喜びを得て、他人に頼らず、自立する感覚を持つようになる。生きることに対し以前より前向きになり、その経験によって奇跡的に回復し、歩くことができるようになる。逆に言えば、障害の原因は心の中に帰していた。車いすは依存的な状態の象徴で、それが不要になることによって、自立した大人になったことを示していたともいえる。といった感じで分析をしている本です。 |
書籍
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http://ec3.images-amazon.com/images/I/51hYEn1sZAL._SS400_.jpg
また、ゾンビねたで恐縮です。 他所の記事などをみると、ジェイン・オースティンの恋愛小説の古典名作『高慢と偏見』の登場人物のキャラ設定はほぼそのままなんですが、8〜9割は原作のストーリーを踏襲して、時々ゾンビ登場らしいです。なんかパロディっぽいものなんですかね〜。 『高慢と偏見』そのものは、18世紀末のイギリスの片田舎で起こる誤解や思い違いから起こる恋愛小説の原点とも言うべき古典的作品だそうで、あの夏目漱石も、出だしがすばらしいと絶賛したそうです。 この作品はそのオリジナルの設定を生かしたまま内容としては、18世紀末イギリスで謎の疫病が蔓延し死者がゾンビとなり人々を襲う日常。上流階級の貴族は、ゾンビを倒すために忍術やカンフーなどの武術を嗜むことが奨励されており、田舎町に暮らすベネット家の五人姉妹は少林拳の手ほどきを受け、りっぱな戦士となるべく日々修行に励んでいた。そんなある日、近所に資産家のビングリーが越してきて、その友人ダーシーが訪問してくる.......。 といった感じなっているそうです。 個人的には、その〜、なんというか、男女間の誤解や気持ちのすれ違いによる恋愛ラブロマンス、初対面では「なにこの人」とか「なんだ、この女は」とかお互いにネガティブ印象だったのが、途中でライバルなども現れて、すったもんだで、最後はお互いに分かり合えて結ばれてハッピーな映画とかドラマとかは昔は、はらはらドキドキで見てましたけれども 最近は主人公たち、どんだけ鈍感なん〜、う〜ん、もどかしい〜、そんな好都合な展開ありますか〜ってちょっと敬遠気味だったんですけど この作品は原作のラブロマンスにゾンビを追加することにより、全米でいまだかつてない誰も予想だにしなかったコラボレーションで100万部突破、かつ映画化決定となったそうです。 ゾンビ、すげ〜 しかし、ゾンビ相手には拳法は不利と思うんですけど。動きはのろいですけど、打撃や蹴りは効果ないですからね。ゾンビに捕まったら最後、むしゃむしゃ脳を食べられちゃいます。感染系ならひっかれただけでアウト。やるなら、ゾンビに直接皮膚が触れないようにブーツを履いて、かかと落としで脳天へ一撃なんでしょうけど。大量にやってこられた場合には一人のゾンビを倒している間に、後ろから捕まえられちゃいますからねぇ。う〜ん、難しい。 プレステのバイオハザードでも、銃だと2〜3発くらい頭に打たないと倒れないし、玉切れしたら捕まってやられちゃいますからね。できれば、ロケットランチャーか火炎放射器が一撃で倒したいところですけど、18世紀末のイギリスだとちょっと入手が難しいかもしれませんね〜。ボーガンでも数発は必要ですからねぇ。 いずれにせよ、素手はありえませんね。せめて手に鉤爪くらいつけてないと.....っとと、ちょっと熱くなってしまいました。ゾンビマニアとしては。 と、考えさせられてしまうという点で、またもや、ゾンビ、ちょ〜すげ〜 あと、最近視聴率が低下しているいわれるドラマでも、「〜とゾンビ」と加えると視聴率アップするのでは。 あるいは、昔の古典小説に「〜とゾンビ」と加えるとどうか。というかいろいろなものにつけてみてはどうか。 「徒然草とゾンビ」 徒然なるままに日ぐらしゾンビに向かひて 「人間失格とゾンビ」 ゾンビは人間失格か。 「アリとキリギリスとゾンビ」 「部屋とワイシャツと私とゾンビ」 「ビールと枝豆とゾンビ」 「国際社会とゾンビ」 う〜ん。冒涜するな〜っ感なものもありますけど、気になる。 |

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よくホラー映画とか見るんですが。
よくありますよね〜、車で旅をする若者たちがちょっと立ち寄った不気味な感じの寂れた街のモーテルに一夜を過ごす羽目になったりするパターンで、夜になると街に次々とゾンビが現れて襲われたりする映画とか もし、そういった状況になった場合、生き残るためにあなたならどうしますか。やっぱり映画の主人公たちのように武器をもって立ち向かいますか? 一番いい方法は、ゾンビの中にうまく溶け込めればOKです。ゾンビのいる喫茶店にいってカフェラテを注文したり、ゾンビのいる商店街で買い物を違和感なくこなせれば、問題なしです 電子モジュールとかついていて、ゾンビの正しい発音が学習できるそうです。"RAHHHhh!"とか"Raaaaah." とか。テキストもゾンビの生活や習慣を紹介しており、ゾンビの生活習慣や言葉を学習できるそうです。 ZOMBIE A :「うがあぁぁぁぁぁ」(やあ、お元気ですか) あなた:「うがぁお,うがあぁぁ、うぇうがぁぁぁ」(元気です、あなたはどうですか) ZOMBIE A :「うがあぁぁ、うがががぁぁぁ」(はい、わたしも元気です) あなた:「うがぁぅ、うがああぁ,うがぁ、うがぁ」(でも、あなたの体、腐ってますね) みたいな。 How to speak ZOMBIE |

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成功者とはいったいどういう人なのか、あるいはどういった過程を経て生まれるのかを分析した本。 「天才!成功する人々の法則」著者: グラッドウェル,マルコム(Gladwell,Malcolm) 前にも読んだ本ですが、この前読んだ本で「下積みが長いほうが売れたとき息が長い」をいうのがあったので、では下積みはどれくらい長ければ良いのかということといつ売れるのかということで再度読み返してみました。 誰しも最初はほんの些細な差しかないのだが、ちょっとしたアドバンテージにより、これが好機を招き成功へと導く。小さな成功したものは好機が与えれる可能性が高くなり、ますます成功する可能性が高くなる。成功とは「累積するアドバンテージ」の結果であるという。 人はみな成功は才能によるものと勝手に決め付けるが、成功者が成功をおさめるための与えられる好機の存在を見逃している。成功者とは社会やシステムにより作られるのだ。ほとんどの人はこの事実を見落としていると著者は述べる。例えば、運動選手なら子供の頃なら早生まれと遅生まれで体格差が違い、体格の良いものはより高い練習を与えられる機会があるともいえるし、ちょっと勉強ができる生徒はより高い教育を受けることができる可能性が出てくるという。 過去に成功をおさめたものは次の好機を与えられやすいという風潮は見られますね。 では、成功をおさめるものは才能も必要といわれますが、生まれつきの天才はいるか?著者は天才と呼ばれ成功者が成功した経緯を詳細に調べた。サン・マイクロシステムズ社を共同で設立したビル・ジョイ、ザ・ビートルズ、マイクロソフト社を共同で設立した世界の大金持ちビル・ゲイツなどの成功者の例を挙げて分析をする。 ビル・ジョイ、ビル・ゲイツは学生の頃からコンピュータに触れる機会に恵まれており、また興味をもってプログラミングを行っていた。一日8時間から10時間も。それはおよそ、一万時間をこえるという。ザ・ビートルズもまだ売れる前の下積み期間がある。ドイツのハンブルクでのストリップ劇場での演奏。週7日で一日8時間もステージに立っていた。そして1964年の爆発的な成功をおさめたときにはすでに1200回ものライブをこなしていた。そして、作曲家、運動選手、小説家、ピアニスト、チェス名人、大犯罪者などなどを調査した結果、一万時間という「魔法の数字」が現れるという。 複雑な仕事をこなすためある程度の練習量が必要なことは専門家の意見では一致しているが、世界レベルの技術に達するためには、どんな分野でも一万時間が必要となるという。天才と呼ばれ成功をおさめるものは一万時間という圧倒的なたくさんの努力を重ねているという、どんな才能や技量も、一万時間練習を続ければ“本物”になる「一万時間の法則」。 寝食を忘れて一つのことに没頭できる環境であれば、一日8時間として1年365日でおよそ3年半くらい。一日5時間で休日は休みをとって1年200日10年ですね。うーん、寝ることに関しては、すでに世界レベル。 そうした一万時間で培われた才能も好機に恵まれないと成功の道へと上りつめることはできないという。 産業界でいうとその産業がこれから発達する絶妙な時期に生まれてなくてはならないという。調べてみる。 ジョン・ロックフェラー 1839年生 (米国)/ スタンダード・オイル創設 アンドリュー・カーネギー 1835年生 (米国)/ カーネギー鉄鋼会社創設 ジェイソン・"ジェイ"・グールド 1836年生 (米国)/ 資本家 ジョン・ピアポント・モーガン 1837年生 (米国)/投資家 ウォルター・パーシー・クライスラー 1875年生 (米国)/ クライスラー社創設 ウィリアム・クラポ・”ビリー”・デュラント 1861年生 (米国)/ ゼネラルモーターズ(GM)創設 ヘンリー・フォード 1863年生 (米国)/ フォード・モーター創設 南北戦争(1861〜1865年) 西部開拓時代 (1865〜1890年) 帝国主義時代 (1890〜1917年) 石油や電力を中心とした第二次産業革命が起こった 第一次世界大戦 (1914〜1918年) 史上最高の繁栄と没落 (1918〜1939年) 大量生産・大量消費の生活様式が確立 ビル・ジョイ 1954年生 (米国)/ サン・マイクロシステムズ社創立 ビル・ゲイツ 1955年生 (米国)/ マイクロソフト社創設 スティーブン・ポール・ジョブズ 1955年生 (米国)/ アップル社創設 エリック・エマーソン・シュミット 1955年生 (米国)/ 米ノベル社経営後Google会長兼最高経営責任者 ポール・アレン 1953年生 (米国)/ マイクロソフト社創設 マイケル・ソール・デル 1965年生 (米国)/ デル創設者 冷戦前期 (1945〜1969年) 冷戦後期 (1969〜1989年) 半導体を用いるコンピュータを中心とした先端工業が発達 冷戦後 (1989〜2000年)情報スーパーハイウェイ構想 本著では、米国実業界の大物が皆、同世代とはいわないが、パターンが見られ与えられた好機に熱心に取り組みチャンスをものにし、成人したときにその並外れた努力が社会に認められた物語という。そして彼らの成功は彼らひとりの力で勝ち取ったものではなく、彼らが育った社会が生み出したものなのだと力説する。 一概に一万時間といっても量よりも質が大事と思いますが、成功した人はその努力も質が高かったんでしょうかね。また質の高い努力を行える教育環境や社会であったかもしれない。また、成功=社会に認められることと言うのであれば、たゆまぬ努力に加えて時代に対して先見性があるとか時代の流れにのるというのが上手かったということなんでしょうかね。あるいは時代の流れに敏感であったとか。
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他所様のブログで何冊かの気になる本があったんですけど〜。 買い物ついでに駅前の本屋さんによってみたのですが、残念ながら見つけることができませんでした。 その代わり別の気になるタイトルの本を数冊買って読んでみました。まだ全部は読んでませんが。 私の場合は、ビジネス書などは気になる目次のタイトルのところからつまみ食いをするように読みます。 本の著者がわざわざ読者に分かりやすいように順番を考えて章立てしているのを思いっきり無視してますので「これは前章で述べた」とか「第何章で述べた」という文章が出てくると前に戻って読み見直すことになります。「これはすでに述べた」とかだと「え〜、どこ?どこで〜?」って感じになります。 効率悪いですね。 さすがに小説や漫画などは最初から順番に読みますが没頭してたら一気に読んでしまって、その日のうちに次の巻を買いに行くこともありますが、読むのに飽きると途中まで読んでほったらかしで、数ヶ月ぶりに読むとすでに読んだところを忘れているので、また最初から読み直すこともよくあります。 えーっと、今回読んだ本のうちの一冊は対談形式で読み易い本でしたがまだ全部は読んでません。 目次) 1時間目 欲望をおさえる経済での生き方-夢の持てない国、恋愛のできない国でどう生きるのか?(石田衣良 菅下清廣) 2時間目 ビジネスは変わり始めている!-今すぐ動いた人が勝つ理由(神田昌典 菅下清廣) 3時間目 行動→継続→変化→進化で道を開く!-自分を追い込む力(榊原暢宏 菅下清廣) 4時間目 ヒントは近くにある!-10年後に成功するために知っておきたいこと(つんく♂ 菅下清廣) 5時間目 挑めばチャンス、逃げればピンチ-0から1を生み出す方法(鉢嶺登 菅下清廣) 6時間目 難しいことにチャンスがある!-自分の強みにフォーカスする方法(アーネスト・M・比嘉 菅下清廣) 7時間目 クリティカルワーカーを目指そう!-問題解決能力をアップさせる方法(牧野正幸 菅下清廣) 作家の石田衣良さんとの対談ではまあ、この通り日本は不景気感が漂ってますので、恋愛も消極的で贅沢もぜずに生きている若者が多いという話など。少子化はやはり問題で恋愛や結婚をどうするか、子供手当ては?海外では?などのお話でした。モテル男性とは、モテル女性とは、などなど。 結局のところ、まあ昨今の不景気感で日本が元気ない感じですけど、まあそう言わずに知的好奇心をもって仕事のモチベーションも下げないようにして恋愛もして、結婚もして子供を作って少子化対策しようではないか!というお話でしたね〜。 つんく♂さんとの対談では、他にもいろいろありましたけど、若くして一発当ててすぐに消えてしまう人と下積み経験長くして売れる人の話があり、下積み経験の長い人は息が長いという話が気になりました。 下積みが長いほど人生経験も豊富で引き出しがたくさんある。何事も一生懸命食らいついていれば、まわりが手を引いていくので自然とチャンスが巡ってくる。それだけ本気で何かに取り組むということは重要かもしれないと感じる話でした。 まあ、お笑い芸人さんでも下積みの長い人はいますよね〜。ドリフターズでいうと志村けんみたいな感じですかね〜。 付き人からドリフ入り
志村けん 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』1950年、志村憲司・和子の三男として東京都北多摩郡東村山町(現在の東村山市)に生まれ、厳格な家庭に育つ。本名の「康徳」は、父親が徳川家康を崇敬していたことにちなみ、頭の「徳」と尻の「康」をとり、逆さにした[2]。芸名の「けん」は、父親の名前「憲司」に由来する。 幼い頃、厳格な父親の支配する家庭はいつも重苦しい雰囲気に包まれていたが、当時まだ珍しかったテレビのお笑い番組で漫才や落語を見ていた時だけは、嫌な気持ちを忘れることができた。その時だけは、厳格な父親も笑いをこらえながらテレビを見ていたという。そのような体験から、お笑い芸人の世界に憧れを抱くようになった。 小学校時代、運動会で脱糞したことがあったという。東村山第二中学校時代は文化祭でよくコントをしていたといい、所ジョージ(埼玉県所沢市出身)の遠戚とバンドを組んだこともあった。中学の頃から将来はお笑いで仕事をやっていくことを決心したという。東京都立久留米高等学校に進学する。 1968年、卒業間際にザ・ドリフターズの付き人になった。この際、リーダーのいかりや長介が志村を強引に東北巡業へ付き合わせたため、出席日数が足りなくなり中退の扱いにされてしまったと言われる(本人の証言であるが、様々なプロフィールは卒業となっている。一説によれば、遅れて卒業したという)。2007年3月のブログでは、高校3年当時2月に付き人になり、3月の卒業式には参加したことを述べている[3]。 初めは由利徹の弟子になろうとした。ついでコント55号かドリフのどちらに弟子入りするか迷ったが、音楽性の面からドリフを選び、1968年の 2月にいかりやの家へ直接押しかけ、雪の降る中を夜中にいかりや本人が帰って来るまで12時間ほど待ち続けた。1週間後にいかりやから弟子入りを認められ、ドリフの付き人となる(いかりやとしては、ちょうど付き人が1人やめて人手が足りない時だったので、すぐに志村の採用を決めたという)。当時のドリフは積極的に音楽活動を行っていたため、仲間内では「付き人」ではなく「バンドボーイ」(通称ボーヤ)と呼ばれていた。 加藤茶の付き人となる[4]が、 1年余りで一度脱走(本人の著書では、社会勉強をするため他の付き人に伝言して辞めたというが、いかりやの許可をもらったわけではないため、脱走扱いとなる)し、アルバイトやバーテンダーをしたりしていた。『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)の「BISTRO SMAP」に出演した際にはこの時のことを、いかりやの家に行き「1年間だけ時間をください。1年経ったら戻ってきます」と言ったが、当時夫婦喧嘩の最中だったいかりやからは「うるせぇこの野郎!」と無視された、と述べている。戻ってくる時はいかりやの家に行きにくかったので、加藤の家に行って頼み、加藤が個人的にいかりやへ口添えしたところ、「2度も弟子入りするやつはよくよく好きなんだろう」と、出戻りを認めてくれた。その後しばらく加藤の付き人兼加藤家居候となる。無名の付き人だった志村は、運転免許を持っていないため、当時国民的人気者の加藤が運転する車の助手席にふんぞりかえったまま加藤の家に帰り、加藤を差し置いて加藤の母親に晩御飯を用意してもらい、加藤より先に風呂に入るという大物ぶりを発揮していた。 1972 年、22歳の時にお笑いコンビ・マックボンボンを結成し、テレビ番組『ぎんぎら!ボンボン!』に出演するも、失敗に終わった(この頃の芸名は「志村健」の表記が多かった。なお「志村健」の芸名は、現在台湾で使用されている)。1973年12月見習いとしてメンバーに加入する。 1974 年、荒井注が脱退し、正式にドリフのメンバーとなる。なお、この時リーダーのいかりやは、荒井やいかりやと同年代の新メンバーの加入を検討していたが、加藤の推薦により若手の志村が起用された。当時志村は24歳だった。 息は長いみたいですけど下積みそんなに長くないですね〜。ちょっとネタが古すぎ。 とにかく、対談している人は興味深い人も多いし、業界が違うと視野が違うんだなとちょっと感心しつつ、成功している人は違いますね!で締める。
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