沢山学べる国際協力の仕事

途上国の仕事、現地の様子など、独断と偏見で綴ります!申し訳ありません。現在お休みしています。

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 ブリュッセル、ナイロビ経由してようやくタンザニアのダルエスサラームに到着した。ナイロビは涼しくて快適だったが、一転ダルエスサラームは海沿いの町。飛行機を降りたとたんにむっとした空気が全身を包んだ。蒸し暑い!

 日本では出発までの間、いろんなマスコミから取材を受け出発式もあり華やかなものだったが、タンザニアの空港に着くと迎えに来ている人は誰もいない。現地到着は地味なものだった。まあ、これが普通なのだ。日本では、予想以上に騒がれすぎたのだ。日本を出発する前に、ダルエスサラームに先乗りしている須崎さん(仮称)とは出発前に東京から連絡をとり、滞在しているホテルで会うことになっていた。

 空港の外に出ると次々と声をかけてくるタクシードライバーの中から、一番安い料金を言ってくれた人を捕まえて、タクシーに乗りこんだ。さあ、ダルエスサラームの町へ向けて出発だ。

 空港からダルエスサラームの町へ向かう道路はまっすぐに伸びている。その道路を走っているのはほとんどが日本車だ。こんな遠くまで日本車が運ばれて大活躍しているとは思いもよらなかった。走っている車は中古車が多い。ときどき「○○幼稚園」とか「◇◇運輸」と日本語で書かれているワゴン車やトラックが走っている。「○○幼稚園」の人たちも、タンザニアで自分たちが使っていた車に出会ったらさぞかし驚くだろう。日本語がわからないタンザニアの人たちには、日本語が書かれた車はかっこいいのだろうか?

 信号機を見ると、日本で見慣れた青、黄、赤の丸いランプが横に並んだ日本製。日本政府の援助で取り付けたものだとタクシードライバーが教えてくれた。車は日本製、信号機も日本製でしかも左側通行。日本で見たような風景をタンザニアでも見ている。違うのは歩いている人たちの肌の色と、町並みだった。

 日本車はタンザニアでは日本と違う名前で売られていたものもあった。日産の「サファリ」は「パトロール」、スズキの「ジムニー」は「サムライ」という具合だ。サムライという名前にはちょっと笑ってしまった。日本のイメージはそういうものかな?と思ってしまった。

 道路脇の様子を見ると、木の枠にトタンを載せただけの小屋が道路沿いにいくつも並んでいる。雑貨、食品、日用品などいろいろなものを売っている。手にとって見たかったが、まずはホテルにチェックインして落ち着いてからだ。

 やがて町の中心に近づくと渋滞が待っていた。さすが首都。整備不良で黒い煙を噴き出している車が空気を汚している。たまらず乗っていたタクシーの窓を閉めると、今度は暑さでたまらなくなる。しかたなく窓を開けて排気ガスに耐えるほうを選んだ。エアコンの効かない車だと渋滞で動かなくなるのが一番きつい。暑さで汗が噴き出してくる。

 ようやく渋滞を抜けてホテルに到着すると中はエアコンがガンガン効いていて寒いくらいだった。ホテルにチェックインして間もなく、先乗りしていたNGOボランティアの須崎さんに会った。既にダルエスサラームに数週間滞在しているだけあってどこか落ち着いて見える。現地で仲間に会うことができてほっとした瞬間だった。夕食を一緒にとりながら、さっそく仕事の進み具合や、難民キャンプ近くのンガラという町に先乗りしている仲間の井戸掘り作業の準備状況などを教えてもらった。

 ダルエスサラームでの自分の仕事は、ンガラに先乗りしている仲間が必要としている井戸掘りの資機材、生活品などの物資調達、タンザニア政府へのNGO登録、仲間全員のビザの取得、輸入した車やパイプなどの機材の免税の手続き、UNHCRとの調整などだった。井戸掘り機材もよく知らないし、NGO登録の手続きなどしたこともない、UNHCRの人達と仕事をしたこともない。すべて今までやったことのない事だがここまで派遣してもらったからには、まあ、やるしかないだろう

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 派遣予定時期が迫り、新聞公募で選ばれた方を加え13名の派遣メンバーが決まった。メンバーのバックグラウンドは様々で、個性的な人たちの集まりになった。これも事務局の狙いだったのだろうか。

 趣味がギターの元プログラマー、土木作業員、料理、散髪もうまく、土木工事、漁船に乗るなど出稼ぎ経験の多い方、水道会社で働いた経験のある方、JR社員、元協力隊員で水質検査に詳しい方、会社員、新卒の方など様々だった。

 NGO事務局の人たちの選定基準も面白かった。井戸関係の技術のある人を選ぶのはもちろんのこと、何もないところだからいろんな余暇に役立てる人を探して、ギターなど趣味も評価対象になっているようだった。実際に現地では、ギターにのって、みんなで大声で歌を歌ったことも何度もあった。すばらしい先見の目だ。

 3泊4日の短い井戸掘り実地訓練を受け、いよいよ出発の日が迫ってきた。井戸掘りの研修をはじめとして、私たちはいろいろなマスコミから取材を受けた。NGO事務所の広報戦略もあったのだが、当時なぜ私たちのような一般人がこんなに取材を受けるのかわからなかった。

 ある日、NGOの事務所でニュースステーションの取材チームを紹介された。我々が現地入りしてから1,2ヵ月後に私たちの活動を取材に来るというのだ。「あの有名な番組のクルーが来るの?」私たちの想像以上に話は大きく取り上げられているようだ。自分たちは自ら進んで井戸掘りプロジェクトに参加しただけなのに。

 「ボランティアでいくなんてえらいわねー。」とか、「難民を助けるなんて尊い仕事ね。」と何度となく言われる。

 一方で、NGOの事務所でボランティアをしていたおば様方からは、「就職してちゃんと稼ぎなさいよ。」と何度も言われた。NGOの事務所でこんな事を言われるとは思わなかったが、確かにおば様方の旦那さんはみな仕事をしてお金を稼いでいる。しかも稼ぎがいいらしく、上流階級の上品なおば様方という雰囲気が漂っていた。安定した収入源があるからこそ、ボランティアで手伝いを続けられるのか。

 周囲の反応を見ると、日本ではボランティアといえば「善意」ばかりでなく「自己犠牲」という印象が前面に出ているような気がした。

 しかし、ボランティアは自分の意思でやること。今回のメンバーは応募したきっかけは違っても、自分で志願して井戸掘りプロジェクトに参加したということは少なくとも共通していた。みんなやりたいから参加している。ただそれだけ

9.井戸を掘ろう

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 数十万人のルワンダ難民が生活するタンザニアのキャンプでは、まず人間として最低限必要な水、食料、医療品、住居を緊急に用意する必要があります。何しろ難民が流入してきたキャンプ地は、インフラが何もない野原ですから。

 人間の体は80%以上が水でできているといわれるとおり、人間が生きていくためには水が欠かせません。それも清潔で安全な飲料水が必要です。

 日本でキャンプに行っても、水は必需品です。1日や2日だけの自然を楽しむキャンプならまだしも、何もない野原にいやおうなく逃げてきた人たちの生活を思うと、想像できないほど厳しい状況でしょう。

 当時、難民キャンプでは、近くにある池や川からくみ上げた水をタンカーで運び、難民に供給する状況であると、現地にいるスタッフから報告が入っていました。

 そこで、私たちが参加するプロジェクトでは、難民キャンプ周辺に井戸を掘って、安全な飲料水を難民に供給することになりました。井戸掘り機械による井戸掘りと、千葉県の上総地方に伝わる上総掘りという人力による井戸掘りを実施します。

 現地ではコレラも発生しているほど、安全な水が不足している状況です。機械による井戸掘りで、緊急に水を供給する必要があります。その一方で、手堀りは井戸を掘りながらも、難民にその技術を伝え、彼ら自身でも井戸掘りができるようにする技術移転の意味もありました。

 井戸掘りの機械は日本の業者から購入し、日本の自衛隊の輸送機でルワンダの隣にあるザイールまで運んでもらいます。その後、陸路でタンザニアにある難民キャンプまで輸送する計画でした。

 日本では井戸自体がもうほとんど見られなくなっています。井戸掘り業者が日本にあること自体、このプロジェクトに参加するまで知りませんでした。井戸掘り機械の操作を知っている人、技術に熟知している人も限られます。

 そこで、難民支援を積極的に進めたいと考える井戸掘り業者の社長が、自分の会社から技師を派遣してくださることになりました。これは心強い限りです。これで技術的な支援は万全です。

 そして数名の井戸掘り担当者が公募で選ばれました。現地で井戸掘り業者の方から指導を受けながら、井戸掘りに関わります。また、私は現地で国連や様々な援助機関、タンザニア政府の関係者と連絡や調整をしながら、難民キャンプ支援の活動を側面支援する。また必要な物資を調達したり、日本と連絡を取り合うことが主な役割でした。

 人間が生きていくために必要な水。現地では難民キャンプでの厳しい生活環境を目の当たりにして、水の大切さ、ありがたさを体感していくことになります。

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8.局長の熱い気持ち

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 予備校を去る時が近づいたある日、予備校の局長から飲みに誘われました。普段、予備校では「むすっ」として、生徒たちにも私たちにも恐れられていた局長。私が恐れていた理由は他にもあります。過去に、いくつか自分の悪行が見つかって叱られた経験があるからです。

 ある日、生徒と一緒に夏期講習のテキストを無断でコピーしているところを局長に見つかりました。その場で生徒と一緒に立たされて説教されました。突然、局長が部屋に入ってきたので、わいわいしゃべりながら作業していたその場は一瞬にしてシーンとなった。

 局長は「誰がコピーしていいといったんだー。」と厳しい口調で私達を問い詰めます。すぐさま「自分です!」と私は名乗り出た。するとそこにいた生徒みんなが「僕です!」「俺です!」といって次々に名乗り出た。「ううう、みんないい奴らだー。」と彼らの言葉が心にしみます

 夏季講習中に、公園で焼肉大会をして生徒が酔っ払ってしまって、ご父兄にご迷惑をかけたこともありました。生徒と一緒に木に登って大声で歌を歌ったのは楽しかった。

 ともあれ、局長とは今まで個人的にお酒を飲みに行ったことがなかったので、どんな展開になるのか想像もつきませんでした。ちょっと緊張します。

 1軒目は焼肉屋に行きました。焼肉を食べながら話が盛り上がってきます。実は局長はお茶目でおもしろい。やはり私が生徒とやっていた悪行も沢山知っていました。しかし、局長も生徒のためになるならいいか、と見逃してくれていたことを知りました。普段むすっとしながらも、生徒のことを思っている。私の悪行も知っていながら黙認している。なかなか格好いい。

 2軒目のアメリカンカントリーをイメージしたバーでは、局長が盛り上がってきたところで、お店に置いてあったギターを手に取り、立ち上がって話し始めました。「みんな、聞いてくれ。こいつはこれからルワンダ難民キャンプに行って、難民の為に仕事をするんだ。みんな暖かく見送ってやってくれ!」とまるで酔っ払いのライブさながらです。

 なんだ、この豹変振りは?職場にいる姿からは全く想像もつかない局長の姿にあっけにとられました。そして、私は局長の横に立たされました。照れくさい。局長の話を聞いたお客さんはみな「がんばれよー」といって、見知らぬ私たちに声をかけてくれます。さらに照れくさい。

 調子に乗ってきた局長はもう止まらない。ライブショーです。「こいつのために歌を歌うから聞いてくれ。」といって、いきなりギターを弾き、歌い始めた。「♪泣きなーさーい、笑いーなーさーい。いつの日―かー、いつの日―かー、花を咲かそうよー♪」と独唱が続く。いつの間にか局長の本気印の歌に引き込まれていきます。局長がこんな一面を持っているとは思いもよらなかった。

 あとで聞いた話ですが、局長は学生のときにバンドをやっていたそうです。きっと当時の血が騒いだのでしょう。予備校でもそのノリでやっていれば、さぞかし周りの雰囲気が和むのに。

 局長の歌は1曲で終わらず、その後も散々歌ってバーを出ました。すると局長から「しっかりやってこい。」と言われました。そして抱き合った。局長の熱い気持ちが伝わってきた瞬間でした。この気持ち、ありがたい

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 雨期の最中でしたが、モンバサ到着の翌日の午前中、思い切り青空が広がってくれました。もう素晴らしい、の一言です。

 ナイロビの雑踏の中からやってくると、遠くまで見ることのできる景色。そして真っ青な海と空に目を奪われます。

 夜中にでかいムカデと出会うハプニングもありました。暖かい気候の中ですくすく育ったせいかサイズはLLを超えていました。

 モンバサの青い空、青い海。もうそれだけで他には何もいらない。そんな気持ちにさせてくれます。

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