九谷焼百話

吉田屋、宮本屋、松山、明治の名人たち……そして、扱いが難しいですが古九谷。多彩で奥が深い、九谷の魅力を見つめたいと思います。

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第一六八話 ◆ 仮説 加賀での生産

1660年ごろを最後に、加賀藩(と大聖寺藩)は 有田に特注ができなくなりました。 一方で九谷村の窯は、すでに稼働していました。 そこでは素地作りだけでなく“五色”による 絵付けの試みも、独自に進められていたと思われます ...すべて表示すべて表示

佐賀藩にとって色絵磁器は、 幕府への献上や海外貿易のためのものでしたが、 加賀藩は自分たちが欲しかったのだと思います。 最上手古九谷は松ヶ谷と違って 江戸城から出ずに加賀や大聖寺の藩邸跡から出ます。 輸出にほとんど使われ ...すべて表示すべて表示

色だけでなく絵付けについても、 加賀藩は注文を出していたでしょう。 日本画の絵師の筆か、と思わせる作品が時折あります。 加賀の古九谷は「中国色絵風を脱し日本的な絵付けを」 というコンセプトで始めたのではないかと思います。 ...すべて表示すべて表示


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