九谷焼百話

吉田屋、宮本屋、松山、明治の名人たち……そして、扱いが難しいですが古九谷。多彩で奥が深い、九谷の魅力を見つめたいと思います。

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古九谷 花鳥文銚子
(画像:東京国立博物館  http://www.tnm.jp/ )

古九谷はどうやって生まれたのか。
いま、多くの美術館、博物館、展覧会では
「古九谷=伊万里(肥前磁器)」が
既成の事実となっています。
一方、いくつかの物証をもとに、
九谷産古九谷の新たな可能性を語る論者もいます。

昔から古九谷の産地論争はかみ合わず、
水かけ論に終始してきました。
それぞれが「古九谷」としている範囲は
微妙に(かなり?)ずれているように思えます。

単に17世紀半ばに色絵磁器を作ったかどうか、
については発掘調査ではっきりしました。
どちらでも作っていました。
有田でも九谷でも、最近になって
色絵付用の窯跡が確認されています。

それらが「古九谷」だったのかどうかは、
自分には判断する資格も力もありません。
ただ知りたいのは、そこで“
奇跡の五色”が
使われていたのかどうか、です。

古九谷は昔からさまざまに論じられて、
素地や絵柄、文献など詳しく検証されています。
しかし、あの独特の色が、どこでどのように開発され、
使われたかについては
不思議と読んだ覚えがありません。
色こそが古九谷の核心ではないか、
と鑑賞の立場からは思ってしまいます。

“奇跡の五色”という切り口から見た時に、
伊万里論や九谷論からは、何が見えてくるでしょうか。

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閉じる コメント(2)

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産地については昔から論争が絶えないですね。最近は伊万里
に落ちついてきたようですね。
確かに古九谷は色絵が命ですね。
やはり初期色絵と呼ばれる一群から続いているとは思われます。
おぼろげながら長崎の中国人から色絵が伝わったと記憶しています。
色絵は当時の中国磁器からの憧れだったのでしょうね。
ナイスです。

2017/2/21(火) 午後 9:31 [ ことじ ] 返信する

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ことじさん、ナイスをありがとうございます。
1年半ぶりなのに普通にコメントを入れていただき、ありがたいです。
間は空きましたが、前話からの流れのままゆっくりやっていきます。

2017/2/22(水) 午前 0:13 [ ナインバレーズ ] 返信する

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