九谷焼百話

吉田屋、宮本屋、松山、明治の名人たち……そして、扱いが難しいですが古九谷。多彩で奥が深い、九谷の魅力を見つめたいと思います。

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古九谷論争は、一般的には1990年代初頭に
伊万里説で決着したと言われています。
しかしその後も研究や発掘は進み、有田でも九谷でも
次々と新しい事実が判明しています。

一番重要なのは、2000年代に入ってから双方で
上絵窯の跡が発見されたことです。それまでは、
素地を焼く登り窯しか見つかっていませんでした。

いま古九谷を考えるならば、
そうした最新の成果を踏まえなければなりません。
しかし研究者ならともかく、
一般レベルでは1990年ごろの古い前提のまま
「古九谷は全部伊万里なんでしょ?」
で済ませているのが現状ではないでしょうか。

この稿では“奇跡の五色”がどこで生まれ、
使われたのかを考えています。

実はその観点から言うと、
80年代以前の議論はあまり参考になりません。
もっぱら素地論に終始していて、
「色」は関係ないからです。
登り窯しか発掘されていなかったのだから
当然のことです。

当時なぜか色絵の付いた陶片も、少し見つかりました。
特に山辺田窯の青手陶片は「色絵古九谷も全て伊万里」
の決定的証拠のように言われました。

イメージ 1
図録「古九谷」2004年 出光美術館 より

一部で批判されている通り、
これは色絵と無関係な登り窯で見つかっている上、
「表面採集品」です。埋まっていたのではなく、
地表に散らばっていました。
同窯の調査報告書に明記されています。

本来は物証として扱えるものではありません。
しかし見た目の分かりやすさからか、
今も書籍や図録に載りつづけています。

“奇跡の五色”を探すべきは、
登り窯ではなく上絵窯です。

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閉じる コメント(2)

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確かに色絵の窯を特定することが大事ですね。
伊万里説も盤石でないのがわかりました。
ナイスです。

2017/5/2(火) 午後 10:22 [ ことじ ] 返信する

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伊万里説は成り立っている部分も成り立っていない部分も両方あると思っています。そこは追い追い書きます。
ナイスをありがとうございます。

2017/5/2(火) 午後 11:27 [ ナインバレーズ ] 返信する

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