十兵衛のすずめがえし

私こと十兵衛は、隻眼は同じでも柳生十兵衛とは違い鈍(なまくら)武士、雀相手に修行中

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 就任記者会見で一言ならず次々と問題発言を行ったNHK籾井会長は、公共放送機関の長としての自覚なく、NHKを国営放送(政府広報放送)に改革したいという欲求を滲ませた。この人の思想的基盤はどこにあるのか、どうしてそのような見解が形成されたのか、同じ産炭地出身者として興味がある。
 
 まあ、こんな問題は一介のブロガーが書くものでもなく、まじめな週刊誌が丁寧な取材の後に書くものであろうが、今日は「知っとうやー」式の雑談で埋める。ひょっとすると、上記の疑問の足掛かりにはなるかもしれない。
 
 興味を抱いたのは、山田高校、九州大学経済学部出身の経歴を知ってからである。旧山田市は昭和30年代には人口4万人、福岡県では公立高校が優位であるので国立大学への進学者も少なくなかった。しかし、現在1万3千人と3分の1に減り、山田高校も統合によって閉校となった。氏は同大へ進学するのだが、旧帝大の一つとして九州の高校生の目標となる名門であった。
 
 しかし、この頃の経済学部は向坂逸郎教授を始めとしてマルクス経済学の拠点であった。まあ、その頃の大学の経済学部はほとんどがマルクス経済学優位であったが。向坂教授の門下生等も多く、社会主義協会派(社会党に連なる)の影響が強かった。そうした中で、なぜ籾井青年はそれに染まることなく、立派に超保守の安倍政権を支える側になったのであろうか。
 
 家庭環境も大きく影響しているのではないかと思う。当人は、インタビューなどで「その頃はみな貧しく、自分も裸足で駆け回っていた」、「私の育った家庭は、同級生の家庭と比べて、ほんの少しだけ余裕があったのです」と語っているが、そんなものではない。
 
 籾井家は、筑豊にいくつかの炭鉱をもつ籾井炭鉱の経営者だったのである。炭鉱労働者500人を抱えたこともある。
 
 嘉麻市(旧山田市と嘉穂郡の町とで合併)は観光施設になりそうな場所をピックアップしており、旧籾井家の邸宅もその候補地としているが、その説明文は「炭鉱で巨万の富を築いた籾井氏の大邸宅。当時の繁栄を物語るお屋敷には、屏山からひいた山水を溜める当時では珍しい25m級の大プールがあり、近所の人にも開放し地域のシンボルとなっていました」とある。廊下に欅の一枚板が使われている写真もある。
 
 いやはや「ほんの少しだけの余裕」なんてものではなかったようである。
 
 籾井炭鉱は経営上問題も多かった。給料の遅配・欠配は当たり前で、組合も解散させられていたようだ。
 
 昭和35年の参議院商工委員会の記録によれば、籾井炭鉱は出水事故を起こし、13名の死者を出したが、その日まで労災の掛け金を支払っておらず、事故のその日に支払ったという。参議院が保安日誌提出も求めても提出されず、保安対策をとっていなかった疑いが強かった。
 
 この頃保安が不十分な中で炭鉱事故が多発した。当時石炭合理化が吹き荒れていたからであるが、保安日誌もつけていなかったという会社は少ないだろう。閉山となって再就職機会を得るのは大手炭鉱であり、中小はそうした機会に恵まれず、離職者を救済するための「黒い羽運動」も生まれた。 
 
 籾井炭鉱がその後どのように閉山したかは知らない。籾井勝人氏が少年期・青年期を過ごした福岡県でどのような思想基盤を形成したのかもわからない。ただ、言えるのは、当時の炭鉱従業者が経験した苦難とは無縁の、炭鉱経営者の子息だったことであり、この立場は麻生氏と似ていることだ。もっとも麻生氏がほとんど地元にいなかったという意味では籾井氏とは違っているものの、お互い気脈を通じるところがあるのだろう。
 
 毎日新聞のインタビューに答えて「炭鉱の町出身なので、多少野蛮なところがある。ザクッとものを言うものだから、よく誤解 される。怒っているわけではないのに、怒っているように聞こえたり……」 と自己分析しているが、それも似ているな。
 
 資本家の子孫と政治家の子孫とが結びつき政権グループを形成していく。もはやこの国は階層移動のない貴族社会を構築しているといえる。不幸なことに、自国に批判の眼を忘れ、他国に対して排外主義にのみ興味をもつ労働者・学生がそれを支えているのだ。炭労が強かった時代が今になって懐かしい。私はしがない鉱夫の子どもだったが。
 
 追記:2月3日
 籾井炭鉱とNHKの関連が見つかった。13名の犠牲者を出した出水事故をNHKはドキュメンタリー『日本の素顔』『地底―ある炭鉱事故の記録―』 1960.10.09 放送で採り上げていたのである。内容は以下のように、かなり辛辣に。このとき籾井勝人少年は高校3年生だったと思われる。
 
 
13人が死亡する事故が起きた。取材班は現場に直行,赤ん坊を背負って茫然とした妻の顔
など,嘆き悲しむ人々の姿を記録した。そして,豊州炭鉱と同じように,録音機を持って周囲の
聞き込みをしていると,会社側が労災保険を滞納していることがわかった。この情報をもと
に,会社責任者に対し犠牲者を代表してインタビューする。
籾井炭鉱会長「(今度の事故は貴方の責任ではないのですか?)それは私の責任,それ
は重々痛感します」。副社長「(過去に労災保険を払っていなかったと言われていますが?)
一度ですね。嘉かほ穂鉱山が創立当時,資金的にもまだまだ出炭もできないときにありました。
現在はそういうことはありません。(今度はどうだったんですか?)払っています。(いつ払った
んですか?)当日の朝,午前中に払いました。(それでしたら,それ以前にも払っていてもよ
かったんじゃないでしょうか,災害当日と言わないで)そうですね。まあなかなか資金的にも
行かない部分もあったものですからね。(そうですか。今回は事故が非常に大きかった。人
命もかなり失われたことですし,世間に騒がれては何だから払ったんじゃないのかという勘
ぐりをする人もあると思うんですけれどね)いや,そんなことは毛頭ございません。(そうで
すか?)」
これはアナウンサーによるインタビューであるが,小倉はこれを全部採用している。同時録
音で相手の表情を見逃さず,証拠保全しようというねらいが見てとれる。
事故から三日目,会社主催の合同葬儀が行われたが,挨拶に立った経営者は会社の苦境
ばかりを並べ立てた。野辺の送りの映像のバックに女性の声が流れる,「人の命よりも,保安
がちゃんとできてなくて見つかっても,罰金の3,000円から4,000円でも取られた方が安いっ
て。そうしたら人間の命っていくらだろうかって」。
制作者研究〈 テレビ・ドキュメンタリーを創った人々〉
第1回 小倉一郎(NHK) より
 
国会の議事録
 
皆様へ 十兵衛より
 これは基本的にネット検索による1次ソースを基にしています。広められるのは結構ですが、次の点にご留意ください。あくまでも籾井氏の青少年期の家庭的背景を描写しています。思想的背景を知りたいと思うところから出発しましたが、とてもそこまで到達していません。大学時代・三井物産の時代が重要ですから。ですからこれをもって、直接に現在の籾井氏の見解と結び付けないようにお願いします。
 
 大事なことは、「資本家の子孫と政治家の子孫とが結びつき政権グループを形成していく。もはやこの国は階層移動のない貴族社会を構築しているといえる」という問題提起にあります。そのために、安倍氏のお友達グループがどのような人脈を形成し、どの程度思想を共有しているのかを知りたいというのがそもそもの出発点ですが、私には重すぎるテーマです。どこかのメディアがまじめに取り組んでくれればと思い、その一つの材料にはなるかなと情報提供した次第です。
 
 NHK会長、経営委員問題については、この前後にも意見を書いていますので、そちらも併せてお読みください。

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追記:NHKドキュメントに放送された籾井炭鉱事故。詳細は本文の追記で。

2014/2/3(月) 午前 0:41 [ nin*st*tem ]

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huruko様 新しい情報があったら教えてください。

2014/2/12(水) 午後 10:26 [ nin*st*tem ]

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ありがとうございます。身近な接点があったものですね。それにしても16歳(叔母)、40歳(祖母)と短命だったのもその接点ゆえなのですね。

2014/2/16(日) 午後 5:54 [ nin*st*tem ]

その後の籾井邸宅の話が詳しく知りたい。
籾井木材からの話は知っているのですが
現在住んである方の関係が知りたい。

2017/9/30(土) 午後 0:09 [ にこらす ]


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