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前田利長墓所を後にし,ガイドさんのご厚意で私も連れて行ってもらって,高岡城を訪れる. 前田利長が作ったお城で,縄張り(設計)は高山右近と言われている. 高山右近はキリシタン大名であり,バテレン追放令が出てキリスト教が禁止された時に全ての領地と財産を全て捨てる代わりに信仰を選び,その後前田家に招かれていたそう. 高岡城の他に,金沢城の修築などでも手腕を発揮したとのこと. 一国一城令によって高岡城は廃城になってしまったが,当時の石垣が残っている. その後は高岡大仏へ. 奈良と鎌倉に並んで,日本三大仏の1つに数えられているそう. 高岡は銅器の生産が盛んで,その技術の粋を集めて30年の歳月をかけ完成させた. 高さは約16メートルあり,重さは65トンもある. 大仏様の下は回廊になっていて,入ることが出来る. 昔の高岡大仏は木造で,火事のために焼けてしまったのだが,燃え残った頭部が置いてある. その近くには,銅板で作った千羽鶴が飾ってある. 「どうやって作っているのかな?」と不思議に思ったが,銅板を叩いて折り紙の様に鶴を作っているそう. ピシッとした美しい折り目に職人芸を感じる. ここでガイドの方とお別れして,観光で来ていた方と2人で回ることに. まずは山町筋の土蔵造りの町並みを見る. こちらは菅野家住宅. 明治35年くらいに建てられたそう. 散策の途中,山町茶屋という喫茶店で抹茶風味の葛湯を頂いた. とても寒い日だったので,体が暖まった. 喫茶店でのんびりしていたら,日が傾いて辺りがすっかり暗くなってしまった. キューポラ(溶鉱炉)と煙突を見たかったのだが,残念ながら見付けられなかった... ガイドの方のおかげで,高岡の歴史について深く知ることが出来た. [場所のデータ] ・高岡城址:富山県高岡市古城 ・高岡大仏:富山県高岡市大手町11-29 |
旅行(その他)
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瑞龍寺を後にし,八丁道と呼ばれる参道を通って,前田利長墓所を訪れる. 「ずいぶん広い敷地だなぁ.」と思って説明を読んだら,1万平方メートルもあるとのこと. 驚くことに,当時は15万平方メートルもあったそう. 「でっかいお墓」で思い出すのが仁徳天皇陵であるが,水濠を除いた墳丘の面積が約14万平方メートルなので,広さでは仁徳天皇陵並のお墓ということになる. もちろん戦国武将の墓としては最大級であったそう. 敷地の中には大きな石灯籠がたくさんおいてあり,和モダンな感じがするものもある. 「最近になって,敷地に置いたのかな?」と不思議に思いながら,墓所を後にしようとした所,高岡のガイドをされている方と観光客の方に会った. ガイドの方が私にも説明をしてくれるとのことだったので,ご厚意に甘えて説明を受けることに. 江戸時代の高岡は石を加工する技術が非常に発達しており,その技によって石灯籠が作られていたそう. 先程見たモダンな石灯籠も,江戸時代の物と聞いてびっくり. 立方体の角を落とした火袋とその上に乗る半球形の笠のデザインが実に見事. こちらの石灯籠も,時代を先取りしたデザイン. この形状を作るには,やはり高度な技術が必要なのだろう. ただし両方とも不安定で,少し落ち着かない印象を与える. ガイドの方によると,これも計算の内で「侍たるもの,常に緊張感をもっておらねばならん!」とのことで,敢えて不安定なデザインにしたそう. 墓地に面した所に繁久寺というお寺がある. 墓所の管理をするために建てられたお寺で,管理費としてお寺に1万石を与えたそう. (1万石といえば,大名クラスの石高です!) 墓石の方に行くと,とても大きな石灯籠がある. (手前の石灯籠が小さい訳ではありません.) 墓石の周りには水濠があって,まるで小さなお城の様. 墓石を見ると,表面だけ色が白くて新しい. 明治維新後に神仏分離令が出て廃仏毀釈運動が起こった時にこの墓所も破壊される恐れがあったため,墓石に刻まれた戒名を削り落として神道風の名前を刻んで神社にしたそう. この地を守ろうとする,人々の執念が伝わってくる逸話である. 墓石の基壇には蓮の花が刻まれているが,この下絵は狩野探幽が描いたそう. デザインと技術とが,見事に融合した石灯籠であった. [お墓のデータ]
・前田利長墓所:富山県高岡市関73 |
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氷見を後にして高岡駅で下車し,まずは瑞龍寺へ向かう. 加賀2代藩主であった前田利長(前田利家の息子)は隠居後に高岡の地に築城し,この地で亡くなったため,利長の菩提を弔うために3代藩主の利常によって建立されたお寺である. 山門と仏殿,法堂の3棟は,富山県下で初めて国宝に指定された. 入り口に伽藍復元図が掲げられている. 伽藍配置と人体とを対比させているのが面白い. 山門に対応しているのが,何故か股間... 曹洞宗のお寺なので,総門と山門,仏殿,法堂が一列に並ぶ禅宗様の伽藍配置である. こちらが山門で,阿形(あぎょう)と吽形(うんぎょう)の金剛力士像がにらみを効かせている. 山門をくぐると,仏殿が見える. 仏殿を除く建物は回廊でつながっているので,その中を通って法堂の方へ向かう. 途中に大茶堂という部屋がある. 珍しい部屋で,全国でも他に1例しかないそう. 防火対策のため,壁は土壁である. 法堂は総檜造りの豪華な建築. 利長の位牌が安置されている部屋の格天井には,狩野安信によって描かれた四季の草花の絵がはめ込まれている. 欄間にある鳳凰の透かし彫りも実に素晴らしい. 禅宗寺院の建築らしい,質実剛健さを感じる建物であった. |
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お婦久軒を後にし,兼六園へ. もともとは金沢城の外郭として,城の一部に属した庭園であった. 命名したのは松平定信で,名称は宋代の詩人・李格非の『洛陽名園記』に由来する. 庭園の優れた景観とされる (1)広々とした様子(宏大) (2)静寂と奥深さ(幽邃:ゆうきゅう) (3)人の手が加わったところ(人力) (4)古びた趣(蒼古:そうこ) (5)滝や池(水泉) (6)遠くを眺められること(眺望) の六つ全てを兼ね備える名園との意味である. 入り口で,雪吊りを施された松が出迎えてくれる. 真弓坂口から入ったので,まずは瓢池(ひさごいけ)が見えてくる. かなり大きな池で,これだけで1つの庭になりそう. 池に面して「三芳庵」というお店があり,加賀料理を頂くことが出来るそう. 兼六園の中でお食事を出来るなんて,知らなかった. さらに歩くと,竹根石手水鉢(たけねいしちょうずばち)と呼ばれる,面白い手水鉢を発見. 椰子の仲間の根と茎の化石で,学術上とても珍しい物だそう. その先には日本最古と言われる噴水がある. ポンプなどの動力は一切用いず,上にある霞ヶ池の水位差から生じる位置エネルギーを使って水を噴き上げている. 少し行くと,霞ヶ池に面して,有名な徽軫灯籠(こどじとうろう)がある. 灯籠の脚の部分が,琴の糸を支えて音を調整する琴柱(ことじ)に似ているためにその名が付いたと言われる. これは雁行橋. 雁が列をなして飛んでいる姿を,平らな石を使って表現してある. 園内には立派な松がたくさん生えている. こちらは根上松(ねあがりまつ). 大小の根が地面の上にせり上がっている. 土を盛り上げて松を植え,松が大きくなってから土を取り除いてこの様な形を作ったそう. (松にしてみれば,ちょっと迷惑?) その後は成巽閣という,前田家の奥方がいた御殿を見学. (写真撮影禁止だったため,写真はありません) 数寄屋造りの2階の部屋がかなり凝っていて,なかなか面白かった. 兼六園の名前に恥じない,立派な庭園であった. |
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丸八製茶場でお茶を買った後は,福井駅へ. 駅の付近で買い物をする母親と妹を降ろして,父親と私は養浩館へ. 私は1ヶ月ほど前に行ったばかりであるが,父親は初めての訪問である. 父親が窓際から景色を楽しんでいると... 「餌をくれ〜」と言わんばかりに,鯉の大群がすごい勢いでやって来た! 私が気圧されていると,鯉釣りが趣味の父親は「良い形の鯉がたくさんいるなぁ.ああいうでっかいのを釣りたいなぁ.」と言っていた(笑). 養浩館を後にし,隣の郷土資料館も見る. 敷地内の公園では,カモがのんびりと泳いでいた. お気に入りの庭は,何度訪れても飽きることが無い. |






