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三宅商店を後にし,美観地区をぶらぶら. 橋の上から静かに流れる川の水を見ていると,とてものんびりとした気持ちになる. 通りに並ぶお店を見ていると「倉敷ゲゲゲの妖怪館」というお店を発見. 「ゲゲゲの鬼太郎は,境港か調布市では?」と思いながらも,水木ファンなので深く考えずに入ってみる. 鬼太郎グッズが所狭しと並んでいて,砂かけババアが印刷された「ふりかけババア」というふりかけや「ネズミ男汁」というジュースなど,ユニークなものが置いてある. その中に「鬼太郎本舗」のレトロバッグを見つけた. デニム地に鬼太郎と目玉の親父が印刷された2種類があって,一目で気に入ってしまった. 「鬼太郎にすべきか,親父にすべきか...」とかなり悩んだが,今回は鬼太郎をチョイス. 藍色のデニム地に印刷された,鬼太郎のレトロなデザインが良い感じ. その後は大原美術館へ. 2度目の訪問で,まずは本館に向かう. エル・グレコやゴーギャン,セザンヌ,モジリアニ,モネ,ルノワールなど,私の様な素人でも美術の教科書などで見たたことのある絵がずらりと置いてある. 常設展でこれだけの絵が見られる美術館は,数少ないと思われる. (美術品は残念ながら撮影出来ないので,ここで紹介出来ないのが残念です) 美術館のHPによると,実業家で日本美術のコレクターでもあった大原孫三郎(1880年生まれ)は,親しい友人の児島虎次郎(1881年生まれ)の才能と美術に対する真摯な姿勢を高く評価し,3度にわたる渡欧を促した. 虎次郎は制作に励む傍ら,孫三郎の同意のもとで日本人としての感覚を総動員してヨーロッパの美術作品を選んで購入していったそう. 昭和5年になり,前年死去した虎次郎を記念して設立されたのが大原美術館である. 当時評価が定まっていたのはエル・グレコくらいであったそうなので,虎次郎の普遍的な審美眼には脱帽させられる. 本館を後にし,工芸・東洋館へ. 入り口近くに,フランスにある「モネの庭」から株分けされた睡蓮が綺麗に咲いていた. モネは睡蓮をモチーフにしてたくさんの作品を遺しているが,その子孫をこうやって間近に見るのは何だか不思議な気分. 工芸・東洋館には,私の好きな民藝運動を推進した作家の作品がたくさん並んでいて,ワクワクしてしまう(笑). 河井寛次郎にバーナード・リーチ,濱田庄司などの作品を見ていると,民藝ならではの力強さがひしひしと伝わってくる. いつもは食べてばかりだが(汗),大原美術館を訪れて,心も豊かになった気がした. |
旅行(岡山)
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廣榮堂できび団子を買った後,駅の外へ出ると桃太郎ポストを発見. やっぱり岡山と言えば,桃太郎である. 岡山駅前から路面電車に乗ってみる. 初乗り運賃が100円で,安さにびっくり. 城下で下車し,岡山城方面へ. 東へ向かって歩いていくと旭川にぶつかり,遠くに岡山城の天守閣が見える. 岡山城をこの地に築いたのは,豊臣秀吉の元で徳川家康などと共に五大老を勤めた宇喜多秀家である. 本丸を「岡山」と言われる土地に定めたので,お城を岡山城,都市を岡山と言う様になったそう. お城の東側の守りが弱かったので,旭川を蛇行させて天然の水堀にしたらしい(地図を見るとよく分かります). 立派な門をくぐり抜け,本丸へ向かう. 本丸に到着すると,天守閣が威容を誇っている. 残念ながら見学時間を過ぎていたので中には入れなかったので,今回は外を見るだけ. 外壁に黒塗りの下見板を張っているので,黒が基調となったデザインから「烏城」と呼ばれている. 同時代に作られた姫路城は白亜の天守閣を持ち「白鷺城」と呼ばれるのと対照的である. 天守閣は6階建てで,左側に塩倉が付属している. 明治維新後に各地で天守閣の廃棄が進められる一方で岡山城は存続したが,残念ながら昭和20年の岡山大空襲で焼失してしまった. その後,昭和39年に再建されている. 次回岡山を訪れた時には,お城の内部と,日本三名園に数えられる後楽園を見てみたいものである. |
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カフェ野のでランチを頂いた後は,石段を登って阿智神社へ向かう. 神社のHPによると,社名は古代に朝鮮半島から技術者集団として日本に渡って来た阿知使主(あちのおみ)一族に由来するそう. 彼らがここに日本最古の蓬莱様式の古代庭園を造ったと伝えられている. 大きな岩が豪快に配置してある. 境内をひと周りして,絵馬が飾ってある絵馬堂でひと休み. 眼下には倉敷の町並みが広がる. 絵馬堂の中を見てみると,算額のレプリカが展示してある. 算額というのは,江戸時代に数学の問題や解法を記して神社や仏閣に奉納したものである. 関孝和に代表される様に,江戸時代の日本では和算と言われる独自の数学が発展しており,こういう風習が生まれたそう. この算学のオリジナルを奉納したのは何と9歳の少年であった. 「9歳児に負けてられん!解いてやる!」と思ったが,全て漢字で書かれた問題文が読めず. とにかく,この問題が難しそうなことだけは理解出来た(笑). 江戸時代は寺子屋などがあったおかげで一般人でも識字率が高く,それが明治維新後に西洋の知識を吸収して国を発展させる素地になったそう. そういった時代背景が,この算額にも現れていた. |
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大原美術館を後にし,古い町並みを眺めながら散策することに. 倉敷川の両岸には風情のある建物が建ち並び,江戸時代に天領だった時の雰囲気を残している. 天領というのは幕府の直轄地のことであり,幕府が善政を行っていることをアピールするために税率を低く抑えていたそう. 四公六民(収穫した米の四割がお上の取り分)程度で,大名が治める地域が五公五民や六公四民,ひどい場合には八公二民(何と税率が80パーセント!)と比べるとかなり低かった. そのために裕福な家が多く,立派な町並みが遺っているということらしい. こちらは旧大原邸. 大原美術館創設者の大原孫三郎の生家である. 落ち着いた雰囲気が好もしい. 道を挟んで建っているのが,有隣荘(ゆうりんそう). 大原孫三郎が建てた別邸である. 黄色の壁と黄緑色の瓦の組み合わせが面白い. 斬新であるが,奇をてらった感じになっていない所はさすが. その後は倉敷民藝館へ. 民芸という言葉は柳宗悦によって作られた言葉で,鑑賞を主な目的とする美術工芸品に対して,人々の暮らしの中で使われる工芸品を民芸品と呼ぶ. 柳宗悦が「民藝とは何か」という著書で 「なぜ民藝品は美しいか,それが用品中の用品だからと云えないでしょうか.(中略) 用は美を育む大きな力なのです.」 と述べている様に,それぞれの展示品には,使われることを前提とした実用性から生まれる温かみと美しさを感じた. さらにはアイビースクエアへ. 一角にある児島虎次郎記念館で絵画鑑賞. 倉敷が天領だった頃の雰囲気を感じながら,民芸に触れることが出来た. [本のデータ] ・民藝とは何か:柳宗悦著,講談社 |
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旅行2日目は岡山駅から倉敷駅へ移動. まずは大原美術館へ向かう. 美術館のHPによると,この美術館は実業家の大原孫三郎が,前年死去した画家の児島虎次郎を記念して昭和5年に設立した,日本最初の西洋美術中心の私立美術館である. 渡欧した児島虎次郎によって,エル・グレコやゴーギャン,モネ,マティス等の絵画がもたらされた. 大原孫三郎は単に金儲けをして美術品を買い漁っていたわけではなく,病院や小学校,孤児院などを建てたり,奨学会を作って,貧しくて学校に通えない生徒に奨学金を支給したりと,社会福祉活動に非常に力を入れていた偉人である. (詳しい話は美術館のHPやウィキペディアに載っています.) まずは本館へ. 何とエル・グレコの「受胎告知」やモネの「睡蓮」が展示してあってびっくり! 他の絵画も実に素晴らしかった. (美術館のHPで画像を閲覧できます.) そして工芸館へ. 米倉を改装した展示室の前には,モネの家から株分けされたという睡蓮が見事に咲いていた. 民芸運動に関わった河井寛次郎やバーナード・リーチなどの焼き物が展示されていて,焼き物好きには感涙ものであったが,他の人はあまり興味がないらしく,ほとんど素通りしていた. (もったいない!) 隣接する東洋館には棟方志功の版画などが展示されている. 二菩薩釈迦十大弟子の,人物が紙を突き破って出てきてしまいそうな迫力に圧倒される. その後は新渓園という,日本庭園へ. 木々の緑が実に鮮やか. こちらの石細工には篆書が陽刻してあって,面白かった. 素晴らしい作品に触れて,心が豊かになれる場所である. |





