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筋萎縮性側索硬化症との診断、気道切開で声も出せず流動食で病院です正直しんどい、まだまだ生きたかった

徒然

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半世紀以上

もう一つの広島。

広島原爆の直接の被害を免れた貴重な電車。熊本電鉄71号電車を訪ねて。
2010年5月15日(土曜日)

北熊本駅にて
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発着が30分間隔になり入れ換えの無い時間帯に許可を得て案内説明までして頂きました。 現役引退したものの構内の工場への電車の入れ換えやイベントの往復運転などで元気に走るそうです。 母にとっては半世紀以上ぶりの再会でした。 広島原爆の2年前、母が疎開先から広島市内へ出る時、祖母に連れられて乗った可能性が非常に高く 戦後、沿線の当時名門の女子校へ通学(現廃校)。 亡き父も広島高等師範学校から教育実習で利用。 父母ともにこの電車同様に直接の被爆を免れ廃墟となった広島の光景を目にしました。 熊本電鉄の71号=可部線モハ90005
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この車窓から父や母たちはどんな風景を見たのでしょう。 現在のJR西日本の可部線(広島県) その前身の地方電化私鉄(広島電気鉄道⇒広浜鉄道)から国鉄に買収された電車です。 昭和20年8月6日 広島原爆 広島の横川駅にいた仲間7両はすべて被爆 検査で国鉄幡生工場に行っていた2両(90001,90005)と被爆した7両のうち1両だけ(90003)が再起。 今回、熊本電鉄さんのご好意で母と共に見学させて頂きました。
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自慢話になりますが、母は女子校時代には学校名をとって祇園小町と男子学生の憧れの的だったのだそうです。これは生前の父が最後に語ってくれた話です。 室内も良好に手入れされていました。
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窓からの初夏の日差しが木張りの床を照らします。 直接制御式のマスターコントローラー
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小型の割に馬力が強いので新人運転士さんに教える時大変なのだそうです。とくに発進の1段(1ノッチ)でかなり衝動があるそうです。 広島時代から貨物車を牽引できる設計だったためでしょう。もしかすると戦後の自衛隊戦車輸送もこの電車が北熊本から牽引していたのかも知れません。 手動ブレーキの回転式ハンドルホイール
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ブラス(真鍮)の輝きは美しいです。 通常は空気ブレーキです。 手動ブレーキは鉄の鎖でこの床下のホイールを回転させてテコの原理で車輪に押し当てて回転力を止める制輪靴(ブレーキシュー)を作動させます。
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非常用ですが、大昔はこれが鉄道車両の常用ブレーキでした。 日本車両の当時標準だった台車です。
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原爆被災や戦後混乱、どのくらいの人々を運んだのでしょう。 このシャロン型自動ナックル連結器も貴重です。
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奥に見えるラッパ形が空気式警笛(エアホーン)です。きっと懐かしい音色なのでしょう。 逆光ですがこちら側からも。
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デジタルの恩恵でシャドーも潰れにくくなりました。 お約束の正面写真
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これで見学終了です。 正面中央窓上にある手すりのような棒は製造当初は菱形パンタグラフではなく、トロリーポールと言う竿の先端に溝付きローラー状の集電子が付いて架線に追従して動くものが付いていた頃のトロリーポール上げ下げや範囲以上に振られないようにロープを通すものが国鉄での改造や熊本電鉄に来てからも取り外されることなく残っている貴重な部品です。 ちょうどおられた駅の方、運転士の方と母も交えてお話しましたら、駅の方は広島県の呉市ご出身で交通局におられたそうで、運転士の方は長崎がご出身で広島と同じく被爆地で何かのご縁があったのでしょう。 今回は本当にお世話になりました。 私も持病の膠原病でいつどうなるかわからないですし、母も高齢なので無事帰宅して良い記念になりました。 父の仏前にもこの日の71号電車の画像をお供えしています。

診断書

今日は退院後初の検査診察

保険会社に提出の診断書を受け取り

初診以降の具体的症状推移と治療内容を見てぞっとしました

主治医の先生と各専門科の先生方とICUの方々のお陰で

こうやってブログ投稿もできる状態まで回復させて頂いたことに感謝しなければなりません

発熱から2日目

SL人吉号と桜並木を翌々日に撮影に行こうと解熱剤でもと深夜病院を訪れ今夜は病院で、と

翌日、胸部レントゲン、CTにて両側下葉の肺炎

同時に副腎グリーゼを併発

緊急入院へと変更

翌々日、原因不明の40℃の発熱

再びCTにて肺炎像の増悪、重症異型肺炎で抗菌剤を変更

4人部屋から個室へ移動

夜間、意識を失い高度頻脈を伴う低酸素血症、極端な血圧低下

ICUへ転棟、緊急挿管、人工呼吸管理開始

昇圧剤、大量輸液などにも反応なく、敗血症性ショックの合併、筋酵素の著増

やむなく・・・

母が最悪の場合も覚悟するように言われたそうです

ICUには5日間いましたが途中、せん妄、不安症状が出現

精神科医指示により精神薬を開始

ICU退室後以降は症状出現無く精神薬中止

そして1週間後には退院することができました

もし最初の発熱時に解熱剤で撮影に出かけていたらおそらく手遅れになっていたでしょう

わずか18日間の入院でしたが、ここまでの状態になると

よくあちらへの扉や川が見えると言う方がおられますが

私は無、何も見えませんでした。

ICUでの精神薬のせいか、個室へ戻って退院して自宅療養最初頃までは

自分の見ている風景ややっている事が夢なのだろうか?と思ってしまうことが

しばしばありましたが

現在は本来の自分に戻っていますが体力精神力ともに非常に低下しているので

徐々に復帰を目指しています


おかげさまで

膠原病 全身性エリテマトーデス(SLE)発症から早くも2年を越し、退院から2年目の新春を迎えることができました。
10年生存率に入り今と同じ普通に過ごせるように
病名を告げられた10年目の同じ日に「笑顔の写真展」目指していますが、ブログ掲載させて頂いた方々以外の写真展ならばと頂けた笑顔を含めますと、もうすぐ100人の方々の笑顔となります。
私にとって何よりの宝物でパワーの源です。
冬場になるとこの病気特有の症状が出たり、夏場や紫外線の多い時期は病状を悪化させるので出歩けないこともしましばです。
私も被爆二世ですので平和な国に住んでいるからこその撮らせて頂ける笑顔、これを肝に銘じています。
これまで撮らせて頂いた方々に感謝、これからも笑顔を撮らせて頂ける機動力を持った体調維持、また拙いブログですがご覧頂いたりメッセージやコメントを頂いた方々へも感謝です。
理由あって生かされていること、これを忘れず精進して行きたいと思います。

月夜の警報機

月夜と言っても夜明け前のまだ闇の時間
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警報機と月 小さい白い丸がお月様です。
今日は古くからの友人?(元カノ)もう26年来
親友ですよ〜
ちなみに娘さん去年成人式、今は介護福祉のお仕事されてます。
で お車、ラウムですが鉄ホイールにホイールキャップだったので
うちの赤いクーペに以前試用で組んだホワイトのアルミで14インチから15インチにインチアップ
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どうでしょう?案外可愛い感じになったかな??? アルミホイールもメーカーはwork製のRozest RS-01なので車好きの方にはお馴染みですね。 6本のツインスポークなのでワゴン系には落ち着いてみえるデザインです。 純正のエアロ風だったのでホイールキャップじゃもったいないなと思って ほとんど走ってないタイヤ付きアルミホイールあげちゃいました。 ライトブルーメタリックですがホワイトのホイールの組み合わせも良いなと思いました。

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