いずれ、おいらも入るところ
そ 家紋だよ
これね、親父亡くなった時こっちに建てたの
先祖代々のは博多の姪の浜にあんだよ
でも親父、こっちでず〜っと
原爆直撃受けなかったのも、体調崩し高等師範学校から軍部へ申請し帰郷命令出て
でも博多へ帰るのに広島駅で切符も買えなかった戦時中
ちょうど駅前で日赤の看護婦さんが自分が行かなくちゃいけない
雑餉隈駅(ざっしょのくま=現在の南福岡)までの切符を売ってらっしゃって
だれも雑餉隈が博多の向こうって知らないから何とか手に入れた。
でもその看護婦さん原爆で亡くなられたかも知れない、、、
で途中、列車が山陽本線山線(現在の岩徳線)でアメリカ軍の機銃掃射に会い何時間もトンネルの中
真っ暗な列車内で過ごし
門司駅に到着したのは深夜
もう立つことも出来ない親父はホームの柱に寄りかかって寝てたらしい
でも空襲警報で駅員にホームにいたらやられる!ってひきずり出されようとしたが
九州の土を踏んだので思い残すことは無いって断った。
でも関門海峡の封鎖で機雷投下だったのでここでも命拾い。
始発で博多の実家へ戻った。
でも、家に帰ったら三日三晩目を覚ます事無かったらしい。
それなのに広島に新型爆弾投下を聞いてすぐさままた広島に戻った。
入市被爆だ。
高等師範学校の学友の安否が心配で、でも多くが亡くなった。
岡山から来ていた学友、熱線で顔中ケロイドになって学友数人でその方貨物列車の屋根の無い車両にのせて岡山まで連れて行った。
途中雨が降り出しみんなでその方横たわってるの雨にあたらないようにしてあげて
その方、顔のケロイドで教壇に立つこと諦められたけど、、、
今でもお元気らしい。
そんなこんなあって、おふくろと結婚し広島を自分の郷里としずっと広島から離れることなく
過ごした親父。
末期の肝臓がんで亡くなる直前までほんと元気に見えてみんな驚いてた。
そんなまだ話の出来る頃最後に親父と何時間も話したときに聞いた。
うん、人って死ぬ前なんか自分を長い時間語るって聞いて、、、
そう、その1週間後 あの世いっちまったよ親父。
やっぱ最後、自分の尊敬する男そして自分には超えられない男、それが親父だったことに
気づかされた。
ってことで、ま、いずれ親父が先に待ってくれてるここへ自分も納まるんだって思ったら光栄だね。
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