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今朝も 元気に 朝 はしった
文化会館とこ 河川敷 はしっていたら
とつぜん 小鳥が いっせいに 舞い上がったと
おもったら
枯葉
お
小さな 竜巻 じゃーーー
で
立つ 巻き が やまとことばじゃーーー ないか と
思いつく
たてに たつ まいて いるんだからーーー
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やまとことば
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NHKのラジオで
鷹の 渡りについて あった
上昇気流で 高度を 上げ
わたって ゆくんだと
おーーーー
鷹って
高???
獲物を 探すにも
羽ばたきをせず サーマルに のって 上昇するんだ
古代の ひと
この鳥
たかい ところに のぼる
で
はい
高???
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いのち
命
に ついて
やはり漢字の抽象イメージで言葉を捉えるのであるが
太古の 先人が 言葉を生み出す状態を 想起するに
無くなれば 死ぬるもの
動物を 殺すとき 血をながして 多く死ぬで あろう
つまり
い は 居であって 体の中に 存在するもの
で
ち は 血と 思う
ゆえに 命は 居の血では なかろうか
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わりと気に入っているので
大和言葉について 我流解釈を 残そうと 別枠ってことで
対話システムを 考えていると そこに 漢字は無く
音声のみ と 言うことに なる
私たちは 漢字を 得た事により 抽象概念を使った 高度な思考を 容易に したのではないだろうか
逆に 言葉そのものの 原初の イメージが 薄れたのでは と 思う
ってことで
生きている について
居 気 入て いる ではないか
死んでいるか 生きているかは おおく 呼吸の有無を 確認する
い は 体の中
たとえば 胃袋は 胃の方のイメージが強いが おそらく 袋を 指したのではないだろうか
だって 腹を 開くと 袋が あるだろー
で 胃 は 体の中である 居 で形状が 袋と 思う
気 は 気配であって 存在するが 見たり 触ったり出来ないものを 気とするに
気を 吸い込んで 居気
であるから
呼吸をすることを 息しているであるから
生きている は 居気している
つまり 生きるって 単に呼吸している ってことなのだが
抽象概念で 生 として とらえ むずかしく 考えることが できる
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