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| ペナン第二段 といっても写真撮ってきたから ブログに載せてるって感じで まさに手抜き。 |
| 私は雨男でも、晴れ男でもないが 確実にいえるのは「曇り男」南国で歩いて動き回るには曇ってた方が汗もかかずにラッキーだが 青い南国の海ってほとんど経験したことがない。「まあ明るい太陽の下で小太りの男が一心不乱に汗をかきながら」という中から 汗が消えるのはよいけれど。 |
| 少し歩き回っていくつもの廃屋が出てくる かなり立派であっただろう庭のスペースからも 豪邸の部類だ。イギリス人が権利関係ををそのままに引き上げるとこのような感じになるのだろうか?わからない。 |
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台湾の基礎知識「サルでもわかる 蒋介石のプロパガンダ」 H君の為に
| 最近このブログで話題の蒋介石神話を検証してみましょうかね |
1)プロパガンダ 戦争賠償金の放棄、「以徳報怨」をもって中国は対日賠償請求を放棄し 米国までも説得して米国の賠償請求を放棄させた。
| 1)−プロパガンダの結果 多くの日本人は「以徳報怨」の蒋介石の考えのおかげで 中国、米国への賠償を免除され 戦後復興の原動力になった。感謝、感謝と日本国内までも蒋介石の銅像を建て 大陸の実行支配を失った中華民国を長く承認し続けることとなる。 |
| 1)ー事実 戦後賠償の交渉という 交渉に必要な 日本の正当な投資と戦争被害の緻密な積み上げの引き算は 時間のかかりこの作業を避け また莫大な日本資産の存在から 最後は慰謝料程度の期待できない和解金となると判断。 さらに正式な交渉であると国庫に入れなければならない為 これを避け いち早く台湾と満州国の日本資産を 国ではなく国民党が接収という私物化という猫ババ行為を実行するには 賠償交渉を行わない方が都合がよかった。また米国の賠償請求放棄を確認できたので これも蒋介石のお手柄と日本人に恩を着せる為に「以徳報怨」というプロパガンダが流布。実際に「以徳報怨」という方針は 全てが決まったあたりから出現。その後日本は何度も中華民国対し 戦後処理交渉を申し込んだが蒋介石は拒否している。 |
| (理由はどうあれ 韓国に対しては日本資産との引き算で賠償する必要がなかったが独立のご祝儀と言う形で 賠償金を支払ったことから 「中国」に対しても国の大きさに比例した賠償金額をなんらかの形でせざるを得なかった。これを「中華人民共和国」へは その後ODAと言う形で行うわけだが 戦後の苦しい時期でなく 経済大国になってから行えた事は 日本にとってメリットはあった。) |
2)-プロパガンダ 中国の日本軍のすみやかな帰還を 「以徳報怨」をもって実現させた。
| 2)−プロパガンダの結果 ソビエトのシベリア抑留と比較して 短期間に帰還できたのは蒋介石のおかげ 多くの命が救われ 日本兵に対する報復が最小限に食い止められた。 |
| 2)ー事実 日本軍が武装解除した兵器類が中共に渡るのと 日本軍が元日本軍となり中共に強力するのを恐れ 一部日本軍を国民党軍に協力させるために打ち出された方針。 |
| (目的はどうあれ200万人の日本軍がすみやかに帰還できた。(日本軍の統制の高さに負うべき所が多いが)) |
3)-プロパガンダ 日本留学で日本に対し好意を持っていた蒋介石は 以徳報怨をもって 日本分割占領に反対し 米国はこれを受け入れた。
| 3)−プロパガンダの結果 日本がドイツのような分断国家にならずにすんだのは 蒋介石のおかげだ。 |
| 3)ー事実 中共との内戦の拡大を控え 日本に軍隊を駐留させる余力もなく 日本分割占領案は日本単独占領の意思をもった米国の前に消え去った。後付のプロパガンダである。 |
| (ソビエトが日本分割占領に意欲を持っていたがこれを引っ込めさせるには 蒋介石の占領断念が役に立ったことは事実) |
4)−プロパガンダ 知日の蒋介石はいわゆる「天皇制」の存続は日本国民にゆだねるべきだと主張した。
| 4)−プロパガンダの結果 天皇制は蒋介石の助言で存続となった。 |
| 4)ー事実 ルーズベルトに助言しているが いわゆる「天皇制」維持の決定は 進駐後のマッカーサーの判断からで 占領政策をすみやかに実効する為に決定したこと。 |
| (このプロパガンダは 本来戦争犯罪人として扱われるべき昭和天皇は マッカーサーの占領政策により助命され 天皇は戦争責任から逃れたという 左翼のプロパガンダによって影の薄いものとなった。 |
| 蒋介石の意思は ある時期の日本人の感謝を感じる「以徳報怨」とは別次元の考えで行われたということを知り 評価はなされなければならない。 |
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