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先日小琉球の歴史で オランダ統治時代の原住民虐殺事件の事を紹介しましたが この事件とほぼ同時に処理されていたのが 濱田彌兵衞事件。年表を並べると 1624年オランダ台湾島を占領 外国船に10%の関税 ラメイ島虐殺事件 第一次侵攻1633年11月 第二次侵攻1636年4月 第三次侵攻1636年6月 第四次侵攻1637年12月 1627年浜田弥兵衛が台湾島から日本に向けて16人の台湾先住民を連れて帰国 1628年6 濱田彌兵衞事件 オランダのノイツ台湾へ帰国した先住民達を全員捕らえて贈り物を取り上げ監禁、浜田弥兵衛の船も渡航を禁止して武器を取り上げる措置 浜田弥兵衛ノイツを人質に立てこもり 1632年事件で閉鎖されていた平戸オランダ商館は再開。 1634年日本人が台湾に渡ることが正式に禁止 1642年、オランダは鶏籠に艦隊を派遣しスペイン人勢力を台湾から駆逐 台湾のオランダ統治時代40年 (1624-1662)といっても日本人が鎖国でいなくなりスペイン人が駆逐され完全にオランダが統治したのは20年程度 目障りな日本人が勝手にいなくなり あのスペインを武力で排除したオランダが 澎湖島よりも台湾島に近く 統治に組み入れる重要性から 島民を完全に皆殺しにという選択肢だったのだろうか。 一商人の浜田弥兵衛がオランダと渡り合った台湾で 日本が鎖国しなければその後 日本人を母に持つ鄭成功の統治以降の歴史はどうなったのであろうか想像ぐらいは楽しみたい。 そんなことで 浜田弥兵衛が立てこもったオランダの拠点ゼーランディア城であった台南の観光地「安平古堡」の安平古堡の石碑は 日本時代「贈從五位濱田彌兵衛武勇之趾」という石碑で戦後 書き換えられたものだった。 |
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2014年07月20日
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