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http://img87.imageshack.us/img87/2376/89270202ti6.swf?txt=訪問ありがとう〜 ことしも「鬼月」過去記事「台湾の鬼月」日本の旧暦、台湾では農民暦の世界なのでよく分からないが 旧暦の7月が「鬼月」といわれる月 日本ではとっくの昔に置いてきた 世俗的な風習、言葉を変えれば迷信を含めた 旧暦の世界が台湾では強く生活に溶け込んでいる。 鬼月とは黄泉の国大門が1ヶ月間開かれ 地獄の鬼とか悪霊がお盆と同じ感じで里帰りする月ということで 百鬼夜行とばかりに人の世に溢れかえることとなり 人間達は 悪霊たちの悪さを避けるため旅行や引越しなんか控えた方がよい月、即ちつつましく生活をする忌み月で イスラム世界で言えば断食の期間の東洋バージョンとなるのだ。 細かいところで洗濯物なんかもこの月は 外のベランダなど物干し台には干さない家庭も多い なんでも洗濯物に鬼が付着して家のなかに入って来るそうだ。 また確実にこの月は 工業生産指数や一般消費財の販売の数値に表れてくる。特に新車の販売台数はこの月は例外なく落ち込み 台湾の経済指数はこの月は凹むこととなり 年度始めの予算立ては 8月の数値を少しばかり気持ち落として自分も作っていた。・・・・・・
サーチナ 韓国が首相談話を意図的に「誤訳」、文化財すべて返還要求の声も 韓国の中央日報によると、10日に日本政府が発表した首相談話を、韓国政府が談話の一部内容を意図的に誤訳していたことが分かり、論議を呼んでいる。 首相談話の原文では、「朝鮮王朝儀軌(ぎき)などの朝鮮半島由来の貴重な図書について、韓国の人々の期待に応えて近くこれらをお渡ししたいと思います」とされていたが、韓国政府は「お渡ししたい」の部分を「返還」と訳した。韓国政府は誤訳に対し、「われわれは『お渡し』という言葉を使いたくなかったため、韓国の視点が反映された『返還』という言葉を故意に選んだ」と述べた。 記事では、「返還」は奪ったものを返すことであり、「お渡し」は自分のものを人に与えることを意味するとし、まったく違う意味を持つ言葉であると指摘。さらに、「菅直人首相が『お渡し』という言葉をつかったのは、すでに問題は法律に基づいて解決済みであるからである」とした。 さらに記事では、韓国政府の気持ちも理解できるとしながらも、「他国首相の談話を自らの気持ちに合致するように翻訳するのは良いことではない」と批判。正確に翻訳し、日本政府の考え方を韓国国民に伝え、韓国国民に自ら判断させるべきであると主張した。 一方、中国の環球時報は12日、「首相談話は韓国で予想された効果を得ることができなかったばかりか、逆に怒りに火を注いだ」と報じた。首相談話で文化財をお渡しするとしたことで、「すべての文化財を返せ」との声が上がっており、韓国政府文物局などは、「朝鮮王朝儀軌だけの返還には断固として反対する」と発表した。(編集担当:畠山栄) 朝鮮王室儀軌(Wikipediaから)
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32【大和心】
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詳細
大和民族のつくりあげた文化 その種は大和心 yahoo掲示板の「大和心」投稿をここに編集してのせる。大和心、大御心、歌心とは大和言葉で語られる。結局これが日本人の全て。日本文化雑感 民俗、風習、習慣から伝統、芸能など。キリスト教があって 西洋があるが 神道や仏教があって日本・日本人があるわけではない。日本という風土が 日本人と神道を誕生させ 仏教も取り入れた。だから自分も 浄土真宗で弔われるが あたりまえのように神々に手をあわせる。近代日本の形成、近代の避けては通れぬ法治のための法文化 先人はどのように大和心を入れ込んだのであろうか。
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白鵬に天皇陛下からねぎらいとお祝いの言葉スポニチアネックス名古屋場所で3連覇を果たした横綱・白鵬(25=宮城野部屋)に天皇陛下からねぎらいとお祝いの言葉が贈られた。陛下から日本相撲協会の村山弘義理事長代行に送られた書簡のコピーを受け取った白鵬は、「これ以上のものはありません。光栄でございます」と感激の表情を見せた。賭博問題で天皇賜杯を受け取れず、名古屋場所千秋楽で号泣した涙が思わぬ形で報われることになった。 紋付きはかま姿の白鵬は、緊張した面持ちで午前10時半頃、東京・墨田区の両国国技館を訪れた宮内庁の担当者を村山代行らとともに出迎えた。担当者から、天皇陛下の言葉を川島裕侍従長名で書簡にしたものが村山代行に手渡され、白鵬はそのコピーを受け取った。 書簡の中で陛下は「困難な状況にありながら、連日精励奮闘して幕内全勝優勝を果たしたのみならず、大鵬関を超え、歴代3位の連勝記録を達成した」と白鵬を称え「今後とも元気に活躍するよう願っている」と激励した。これを受け横綱は会見で「陛下からお言葉を頂き、これ以上のものはない。心から喜んでおります。光栄です」と感無量の面持ちで話した。 ・・・・省略・・・・ 野球賭博問題で暗い話題ばかりが続いた角界に、久々に訪れた明るい話題。国技館を後にする際白鵬はうっすらと目を赤く染め「帰ったら(書簡)を1人で読み返します。まだ今年2場所あるし、天皇陛下のお言葉を糧に頑張りたい」とさらなる飛躍を誓った。 天皇杯Wikipediaから借用 実によい話です。下賜された天皇杯を今場所受け取れなかった白鵬は 等しくわけ隔てなくものごとにあたられる陛下からすれば今回は 相撲協会の辞退とはいえ原則に反するこよになり 「お言葉」を伝えることにより バランスをとられるところは実に絶妙 さすが天皇陛下と思います。 今年も靖国に陛下は勅使を遣わされることになりますが 政治家たるもの 陛下のお望みである靖国に8月15日に出向かれることを 環境作りをし 可能にするのがその仕事であるのに こともあろうか今年は閣僚全員が参拝なしとの異常事態。 民主党閣僚は左傾化のあまり 多くの国民を無視したこの独善。 もう日本は国民国家ではなくなった。
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無題(終戦記念日特集)終戦時の陸軍大臣 阿南惟幾のことを調らべていると「阿南」の読みは『あなみ』で『あなん』ではないと知る。私もずっと「あなん」と思っていた。昭和天皇もご存じなかった「あなん」と呼ばれていたそうだ。
阿南の自決後終戦を迎えても 日本は内閣を組閣していたわけで当然陸軍大臣は存在した。最後の陸軍大臣は下村定(しもむら さだむ)、帝国議会は終戦後も継続しWikipediaによると 1945年11月28日の帝国議会衆議院本会議において、斎藤隆夫議員より軍国主義が発達した理由について見解を問われた際、陸軍大臣として以下のように答弁した。 「いわゆる軍国主義の発生につきましては、陸軍と致しましては、陸軍内の者が軍人としての正しきものの考え方を誤ったこと、とくに指導の地位にあります者がやり方が悪かったことと、これが根本であると信じます。このことが内外のいろいろな情勢と、複雑な因果関係を生じまして、ある者は軍の力を背景とし、ある者は勢いに乗じまして、いわゆる独善的な、横暴な措置をとった者があると信じます。ことに許すべからざることは、軍の不当なる政治干渉であります。かようなことが重大な原因となりまして、今回のごとき悲痛な状態を、国家にもたらしましたことは、何とも申し訳がありませぬ。私は陸軍の最後にあたりまして、議会を通じてこの点につき、全国民諸君に衷心からお詫びを申し上げます。陸軍は解体を致します。 過去の罪責に対しまして私共は今後、事実をもってお詫び申し上げること、事実をもって罪をつぐなうことは出来ませぬ。まことに残念でありますが、どうか従来からの国民各位のご同情に訴えまして、この陸軍の過去における罪悪のために、ただいま齋藤君の御質問にもありましたように、純忠なる軍人の功績を抹消し去らないこと、ことに幾多戦没の英霊にたいして、深きご同情を賜らんことをこの際切にお願いいたします。」 反論できぬ亡き軍隊、英霊に対して 戦後日本はその事情を考慮せぬ欠席裁判のような批判のみをやりつづけている。『純忠なる軍人の功績を抹消し去らないこと』と答弁した下村陸軍大臣の危惧は当たってしまった。 |
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あなたたちの遊んだ川の石 あなたの登った山の石 ふるさとの石を寄せ ここマブチの丘にうずめます その一つ一つに 妻や子や父母の こころがたくされているのです 祈りがこめられているのです みたまよ 願わくは 安らかに眠りたまえ 昭和四十一年十一月 山口県知事 橋本正之 今は亡き昭和2年生まれの伯父のお通夜のときに出た話 伯父は終戦の半年ぐらい前 富士のふもとのなにがしの隊に入隊しに行った。 10人ぐらい新入りがいたそうで集合整列となった。 入隊を迎える上官さんのそこで発せられた言葉が 「日本は 戦争にまもなく負ける 死にたくなければ 入隊しなくてもよい 帰りたい奴は すぐに荷物をまとめて 帰りなさい 後の責任は私が持つ」と たちまち逃げ帰った者が3人ほどいたとか 伯父もその1人。 本土決戦、一億玉砕が叫ばれていたはずの時代 そのような事が可能なものか信じられない話である。 そんな事からか 伯父は死ぬまで弱虫と言われたが 本人は全く恥じた様子はなかった。 しかし この上官さん どんな処理をしたのであろうか?逃亡なら大変な事になるはずであるのだが 不思議な話だ。 確かに入隊しに行った伯父が直ぐに帰ってきたことは事実であった。この伯父が逃げ帰らなければ いとこ3人とその子供たちは この世に生を受けていないかもしれない。弱虫も運の強さ まあ悪いことではなかったようだ。 そんなことで18、9歳の伯父は 宇部空襲の目撃者となった。 使用された爆弾は原爆の模擬爆弾(かなり重量のある 通常兵器としては最大級)のパンプキン爆弾。 墓参りの帰り道霜降り山から宇部の町を見下ろしながら 生前の伯父から聞いたはなしであるが 宇部の石炭液化プラント(宇部は昭和30年代まで 石炭の町で 宇部興産が化学プラントですから)が米軍の標的にされたとか 大音響とともに山の上へ上りその光景を見たと 化学プラントの爆発は壮絶であったが 恐ろしさを超え 花火など比較できないほど 美しく燃え上がっていたと。 2002/ 8/16大和心投稿を編集 金沢兼六園内の「松の傷」 「松の傷」の写真は 今年金沢の兼六園で撮影したものだが その解説に「昭和20年 軍用航空機の燃料にするために松脂を採取したあと」とあった。 宇部の石炭液化プラントは 昭和48年の石油ショック後に宇部興産が石油の代替エネルギーとして技術開発に取り組むものの採算が合わず頓挫し消え去ったが 戦前から引き継がれたとはいえかなり難しい技術のようだ それを大東亜戦争中に行なおうとしていたようだが それにしても兼六園の松から軍用機燃料を採ろうとしていたとは 日本はギリギリのところで戦争を遂行していた。 大東亜戦争の大義はこのようなことで失われるものではないが 日清戦争、日露戦争のようなどちらかといえば 長期戦になれば危うい戦争を勝ってしまった成功体験が 短期決戦という自己都合で戦争終結までの絵を描いたことは確実に失敗だったと言えるだろ。敗戦で戦術戦略面での総括をする場面を失ったことが 念仏平和教の肥やしになっている。 |





