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33天皇陛下がいない日本国
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YAHOO掲示板「天皇陛下がいない日本国のビジョン」へ投稿し始めて数年 かなり自分自身力と時間をさいてきた。
いつかは消え去るトピックス。記憶に残そうと まとめてみる。
書庫の題名は 不敬にも「天皇陛下がいない日本国のビジョン」だが さざれ石が巌となるまで天皇を仰ぎ見る国体であることを願ってやまない。

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書庫の題名は 不敬にも「天皇陛下がいない日本国のビジョン」だが さざれ石が巌となるまで天皇を仰ぎ見る国体であることを願ってやまない。

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狩猟民族の中には 親の亡骸の脳を食するものもあると聞く。親の狩りの技術など知恵を受け継ぐ儀式のようなものだ。こんな儀式と同じく 知恵の再生は 古代の集落なら知恵袋的存在で 神との受け渡し役の司祭のような存在が生を終えた時、失われた財産である彼の知恵の再生への願いと繋がるのだろう。これが複雑化し大きくなり別方向に形式化していくと 墓も古墳と行ったものもなんかも造ってしまうのだろうが。 さて古墳は権力のみで労働力を提供せしめたのでなく 権威の持つ力がなしえたものでもあった。古墳というものへの生産性のないものへの投資を時代が下がるにつれ躊躇しはじめると同じくして 安上がりな合理性も獲得し生きた人間で権威の再生をつなげていくことになる。 そのような中に イスラム社会の権威の象徴であるカリフの例なども入るのであろう。これは人類共通のものである再生への発想といえる。しかし日本のような モンスーンに四季の明瞭な国においては あたかも自然な成り行きでの循環、モンスーンに加え四季の明瞭さにより 再生の考えは大きく育つ要素となったのだと容易に想像できる。さくらは春に花咲き、散る そして梅雨、台風と自然の恵みの繰り返し、自然の様を そのまま重ねるだけだからだ。 日本語の結果の「なり」は 「果実、み」が「なる」と同じであり 結果が自然の成り行きで実るとの発想は 人為的干渉なく受け入れるものだったのではないか。 さらに時代が下り 後に輪廻転生という仏教的物の考え方を この国がゆるやかにむかいいれたことは このような土壌によるものであろう。であるから日本人は 先人の知恵は一見非合理的にみえても なにかしら意味があると知っているからだ。チベットでは輪廻転生のダライラマの存在が象徴となっているのも理解できるのだろう。 知恵の継承 2004/ 5/18投稿より編集加筆
ダライラマの台湾訪問前の 訪問の是非に関しては 台湾の国論が二分した。賛成派も反対派も政治的力学がそうさせ 言葉を上手く選んでも自由と民主主義というイデオロギーの一種の戦いに過ぎない。ダライラマサイドも 現ダライラマの後天的に身につけた 秀でた政治性は彼のすこぶる流暢な英語から感じられるし 訪問も政治なんだろうと解釈するのは一般的なことと思われた。 しかしながら ダライラマの政治性などというものは 後天的に付け加えられた属性に過ぎず 本質は生き仏 訪問を終え 台湾の世論が政治のみ100%であったのが 生き仏の被災地での立ち振る舞いをみて 8割方歓迎にかわったのは 台湾の風土に根ざす宗教観が表に出てきたと言えるのではないだろうか。ダライラマは直接被災地に何をなすわけではないが 仏心をもって物事に当たると言うことは大切なことなのだろう。 【素材】馬英九總統要莫拉克颱風災民閉嘴的照片!
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仮にAさんとBさんが待ち合わせをしたとして
数年後 Bさんは何を思ったか
さてこの2人は 渋谷ハチ前で会えたでしょうか?
さてこの2人は 8月15日に会えるでしょうか? AさんとBさん 会えない責任は どちらにあるでしょうか 永遠に待ちぼうけをくらっているAさん 8月15日に銀座三越のライオンの前に通うBさん
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靖国問題に関して 首相の参拝の是非が 世論調査などで集計される。 当たり前のことだが これは今現在生きている人の都合の分類の統計である。 しかし人の考え方の集計になんの重みがあると考えるとしたら それは「靖国神社が東京招魂社として創建された時の人の思い」であろうし 「祀られることを前提に生きた人の思い」や「英霊との出会いに詣でた今は亡き人々などのそれ」など そのつどの歴史の瞬間で人の思いがどうであったかである。 過去に生きた人びとのそれぞれの思いは歴史の中にあり。 この沈黙者の思いを大切なものとして重みを持たせ今考えることが 歴史に対して責任を持つということである。 歴史を鏡にするということはそういうことなのだ。 歴史の中の沈黙者 2004/12/19 天皇陛下のない国のビジョン投稿 No.2025より加筆。
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毎日 エノラ・ゲイ乗組員 広島の放射線被害「これほどとは…」 1945年8月6日、広島に世界初の原子爆弾を投下した米軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」乗組員(12人)の一人で爆発物の監視を担当したモリス・ジェプソンさん(87)が2日までに、米ラスベガスの自宅で毎日新聞とのインタビューに応じた。ジェプソンさんは、64年後の今も被爆者の後遺症が残っていることについて「放射線被害がこれほど大きいものとは思っていなかった」と述べた。また、原爆使用についてオバマ米大統領が「道義的責任」に言及したことについて、「間違っている」と批判、「戦争早期終結のためだった」と使用を改めて正当化した。 ◇オバマ大統領の道義的責任発言「世間知らずで間違い」 エノラ・ゲイ乗組員で生存しているのはジェプソンさんを含む2人だけ。オバマ大統領の発言を乗組員が公に批判したのは初めて。 ジェプソンさんらは45年6月から、テニアン島(太平洋)で特別任務メンバーとして、他の一般米兵とは離れて生活。当時から「私は物理を学んでいたから爆発物が原爆だと知っていたが、機長(故ティベッツ氏)らを除き、ほとんどの乗組員は超強力爆弾(スーパー・パワフル・ボム)という認識だった」と振り返った。 ジェプソンさんによると、投下時、爆弾(5トン)が離れた瞬間、機体が跳ね上がり、約43秒後に窓から閃光(せんこう)が入り、爆風で飛行機が振動した。しばらくして再び振動が起き、機長が機内通信装置で、投下されたのが原爆であることを乗組員に明かしたという。 ジェプソンさんは「窓から(キノコ)雲と火が広がっていくのが見えた。多くの命が奪われ、多くが破壊されていることを意味した。うれしいことではなかった」と語った。・・・・・・・ 乗組員の中でも投下したものが原爆であることを知らされずにいたとは驚きであるが それほど秘密厳守が徹底されていたのであろう。『エノラゲイの乗務員の中には 原爆投下の罪にさいなまれて 発狂した人がいた』という話が子供の頃あったが ただの伝説である。 実際は乗組員は英雄であり、発せられるコメントはほぼ 戦争終結に役立ったというものであったり「原爆投下ショー」なる航空アトラクションで小遣い稼ぎをしたひとなど 日本人の期待する謝罪の言葉などが軍人の口から聞けるはずはないのだ。「我々は任務を滞りなく勇敢に成し遂げた」ということであり当然の言葉であろう。 私は 子供の頃と社会人になってあわせて 広島市に計15年近く住んだことから 原爆へ対する思いはかなり強いものがある。「核兵器によって死ぬこと」は「魂までも蒸発」ということであり死も与えられない即死を超えた蒸発であったと、それは死を自覚する権利を奪われた 即死という表現も適用できない コンマ数秒での生命活動の機能停止でなく消滅という残酷さ 死ぬ瞬間に考えることも出来ない死という意味で実に残酷非道だと捉えている。また生き残っても放射能というものが細胞ひとつひとつ時限装置で破壊され 苦痛をこれほどまで与えられる死の執行は他にあるだろうか。また妊娠中の被爆による 「原爆小頭児」というのは 戦後生まれながら その罪を負わされた存在であり 一般非戦闘員の戦後の原爆症での死亡は 戦勝国といえども正当化の出来ぬことだと思う。 広島の爆心地より20KM以上離れている宮島の厳島神社の石灯篭が爆風で倒れた写真なども残っていて 原爆の爆風は計り知れないエネルギーを持っているのだ、そしてこれが水爆になると一桁違うということを想像するのも恐ろしい。 宮島の南に位置する岩ばかりの小島が岩国沖に浮かんでいる 磯釣である豪快な潮をかぶることもなく 穏やかな瀬戸の波にウキをたらす為 ここに何度か渡してもらいチヌ釣りをした。この小島は岩国基地より瀬戸内に向けて飛び立った米軍のジェット機の空路の真下にあり 空が割れるほどの 凄まじい爆音を聞くことが出来る。直径1mほどのジェットエンジンの噴出し口から吐き出される 化石燃料利用がもたらす音でさえ耐えられる音量でないのだから 空気というものは質量をもつ凶器なんだと感じ 空気が質量を持つ限り 爆発のエネルギー量に比例しそれは遠くへ確実に伝わる。 平和念仏主義者と同じことを言うと 私も「核廃絶の願いを世界に伝えることは日本の使命」と私は思っている。しかしこれは米国の核の傘という恩恵を受けながら また日米安保の必要性を認めながらも 日本の将来核武装を わたしが将来支持することがあってもかわらない。 核の抑止力は 一般兵器を用いた大国間の戦争を抑止し これが結果 核を用いた戦争への発展を防ぐ手段であることは論理と実績が今のところ実証している。しかしこれ以上にひとは簡単なポカミスで大きな事故を引き起こすということは全てのものに例外なく適応できる法則であり 核の取り扱いも例外ではない。 取り返しのつかないことを起こすのではないかという不安もまた ただの心配の延長ではなく。核兵器のもつ危険性とは関係なしに人間の持つ能力の限界は知るべきだ。そして人間の判断というものは都合の良い主観でなされる。米国が原爆投下理由としてあげている論理は 当時の状況でさえも正当性は確認できないのである。しかしそんな判断で核は投下命令を下されたという歴史を肝にするべきである。 以前から話題に取り上げられる平和公園の原爆慰霊の碑文、『やすらかに眠ってください。あやまちはにどとくりかえしませんから。』というものがある。日本語でかかれていることから その主体が日本人であるととらえるのは 当たり前であるが 実に不自然である。当時の日本の国際社会へ復帰へという意識や 米国への過剰な気配りなども背景にあるのだろうが 後世へ続く世代へのメッセージとしては 危険な覇権国家の核からではなく 日本の持たざる核兵器の危険性へと思考が向いてしまうし 現実に正しくメッセージを受け止めらない念仏平和主義で日本は覆われているだけでなく 核廃絶させるという主体を失い これを政治の道具として用いるものが存在している。 原爆の碑文と同じくどこに主体があるのか忘れているのが「持たず、作らず、持ち込ませず」という言葉だ。「持たせない 作らせない 持ち込ませない」ならまだしもである。またそれ以上に「待たないとは言わず 作らないとも言わず 持ち込ませないとも言わない」という意思表示の方が 現実的に交渉の力を持つことは確かである。 当然核軍縮は 核を持つもの同士で行うのが 核の絶対量を減らすということに無効な手段とは言い切れない。核を持たぬ国と持つ国 持たぬ国のカードの方が少ないのは事実だ。北朝鮮でさえ持つことにより 外交カードを手に入れられるのだ。 池乃めだかが「よっしゃ、今日はこれぐらいにしといたるわ」といったところで袋叩きになるだけなのだ。 天皇陛下がいない日本国のビジョン2005/ 8/15投稿を編集
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