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書庫33天皇陛下がいない日本国

YAHOO掲示板「天皇陛下がいない日本国のビジョン」へ投稿し始めて数年 かなり自分自身力と時間をさいてきた。
いつかは消え去るトピックス。記憶に残そうと まとめてみる。
書庫の題名は 不敬にも「天皇陛下がいない日本国のビジョン」だが さざれ石が巌となるまで天皇を仰ぎ見る国体であることを願ってやまない。
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様式美の中の自由、 保守の真髄

 制限されたものの中でこそ 人は優れた表現を発揮する 創作家の偉大さは 執着というとらわれの中にあるような気がする。「様式美の中の自由」というものの価値はそれぞれのジャンルの中にある。

小説というジャンルでいうなら 文字の限りや、それぞれの言語の人びとに共通した決め事があるから 小説は作者の心象の動きを 読者は追うことが出きる。そうでなければ他人の心象を 頭のなかでそれぞれ復元し感受することは難しい。

スポーツというジャンルもルール(用具の制限、体重別なども含み)があるから 秀でた超人の素晴らしさがわかる。

何故守られて来たのか 何故今日においても伝統というものがこれほど有益かは それは歴史に洗われながら 自然に残り形作られ出来上がったものであり 形式という完成されたものは調和のとれたものであるからだ。様式美という言葉もそんなことを人が感じているから存在する。その形式中によいものを、その中に価値を見つけ出し今に活用するのが保守の真髄である。論理的なものというより本能の作用がそうさせる。

国柄というものは 途方もなく広範囲に重層的にかつ継続的に重なったその国の固有の歴史からくる文化といえるだろう、その文化的産物の濃縮されたものが言語であるが 日本においては文化や言語は有機的に天皇との関係において出来上がっているもので それらを守る為の最も有効的な手段は 天皇家との関係を保つこと 即ち天皇、皇室をお守りするということである。

日本の文化が今後も華やぐには 国体という様式美に縛られるということだ。これが日本の枠である。
掲示板「天皇陛下のいない国のビジョン」2004/ 5/14投稿



真正保守の真髄とは何かと短い文章で表現するならこんな感じの文章になるだろうか?

民主党の党旗は日の丸をモチーフにしながら 今では党大会に日の丸はない 一体どのような枠の中で彼らは政治を行うつもりなのだろうか


中国国民党の政治には当然「台湾」はない それは異民族占領政権の残滓だからである

それと同じで民主党の政治には「日本」はない それは占領政権の植えつけたイデオロギーに突き動かされているからである。

いまこそ 占領から抜け出せ!

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原爆で死ぬこと

原爆で死ぬこと


YONHAP NEWS
米国防報告書、北朝鮮を「核保有国」と明記

【ワシントン8日聯合】米政府が北朝鮮を核保有国と認定しないとの立場を公にしているなか、米国防総省が毎年発表している報告書で、初めて北朝鮮を核保有国として明記した。このため波紋が広がっている。
・・・・・・・・・・・・ オバマ次期大統領も、大統領選挙中から当選後の現在まで、大量破壊兵器(WMD)拡散阻止の次元から、北朝鮮の核保有を認めないと述べ、強力で直接的な外交を通じ核問題を解決すると明言している。

 報告書はまた、アジア諸国のうち韓国と日本、台湾を、早期に核保有国・地域となり得る能力を備えていると指摘した。 


台湾も核保有国になりうる能力を備えているとの事 北朝鮮のような石器時代に逆戻りしながらでも 核保有国とは怖いものである。これで極東・東アジアの国で核兵器を自分名義で持たぬ国は 日台韓であり 持つ国は露中鮮ということである。実質持たない国は米国の核の傘の中 極東・東アジアは核のある状態だ。

私は 子供の頃と社会人になってあわせて 広島市に計15年近く住んだことから 原爆へ対する思いはかなり強いものがある。「核兵器によって死ぬこと」は「魂までも蒸発」ということであり死も与えられない即死を超えた蒸発であったと それは死を自覚する権利を奪われた 即死という表現も適用できない コンマ数秒での生命活動の機能停止でなく消滅という残酷さ 死ぬ瞬間に考えることも出来ない死という意味で実に残酷非道だ。また生き残っても放射能というものが細胞ひとつひとつ時限装置で破壊され 苦痛をこれほどまで与えられる死の執行は他にないだろう。また妊娠中の被爆による 「原爆小頭児」というのは 戦後生まれながら その罪を負わされた存在であり 一般非戦闘員の戦後の原爆症での死亡は 戦勝国といえども正当化の出来ぬことだ。

広島の爆心地より20KM以上離れている宮島は 原爆の爆風で厳島神社の石灯篭が爆風で倒れた写真なども残っている。原爆でさえ計り知れないエネルギー これが水爆になると一桁違うという。
宮島の南に位置する岩ばかりの小島が岩国沖に浮かんでいる 磯釣である豪快な潮をかぶることもなく 穏やかな瀬戸の波にウキをたらす為 ここに何度か渡してもらいチヌ釣りをした。この小島は岩国基地より瀬戸内に向けて飛び立った米軍のジェット機の空路の真下にあり 空が割れるほどの 凄まじい爆音を聞くことが出来る。直径1mほどのジェットエンジンの噴出し口から吐き出される 化石燃料利用がもたらす音でさえ耐えられる音量でないのだから 空気というものは質量をもつ凶器なんだと感じ 空気が質量を持つ限り 爆発のエネルギー量に比例しそれは遠くへ確実に伝わる。

平和念仏主義者と同じことを言うと 私も「核廃絶の願いを世界に伝えることは日本の使命」と私は思っている。しかしこれは米国の核の傘という恩恵を受けながら また日米安保の必要性を認めながらも 日本の将来核武装を わたしが将来支持することがあってもかわらない。
核の抑止力は 一般兵器を用いた大国間の戦争を抑止し これが結果 核を用いた戦争への発展を防ぐ手段であることは論理と実績が今のところ実証している。しかしこれ以上にひとは簡単なポカミスで大きな事故を引き起こすということは全てのものに例外なく適応できる法則であり 核の取り扱いも例外ではない。 取り返しのつかないことを起こすのではないかという不安もまた ただの心配の延長ではなく。核兵器のもつ危険性とは関係なしに人間の持つ能力の限界は知るべきだ。そして人間の判断というものは都合の良い主観でなされ 米国が原爆投下理由としてあげている論理は 当時の状況でさえも正当性は確認できないのである。そんな判断で核は投下の判断をされたという歴史しかない。

以前から話題に取り上げられる平和公園の原爆慰霊の碑文、『やすらかに眠ってください。あやまちはにどとくりかえしませんから。』というものがある。日本語でかかれていることから その主体が日本人であるととらえるのは 当たり前であるが 実に不自然である。当時の日本の国際社会へ復帰へという意識や 米国への過剰な気配りなども背景にあるのだろうが 後世へ続く世代へのメッセージとしては 危険な覇権国家の核からではなく 日本の持たざる核兵器の危険性へと思考が向いてしまうし 現実に正しくメッセージを受け止めらない念仏平和主義で日本は覆われているだけでなく 核廃絶させるという主体を失い これを政治の道具として用いるものが存在している。 

原爆の碑文と同じくどこに主体があるのか忘れているのが「持たず、作らず、持ち込ませず」という言葉だ。「持たせない 作らせない 持ち込ませない」ならまだしもである。またそれ以上に「待たないとは言わず 作らないとも言わず 持ち込ませないとも言わない」という意思表示の方が 現実的に交渉の力を持つことは確かである。
池乃めだかが「よっしゃ、今日はこれぐらいにしといたるわ」といったところで袋叩きになるだけなのだ。

天皇陛下がいない日本国のビジョン2005/ 8/15投稿を編集



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責難は成事にあらず

責難は成事にあらず


「責難は成事にあらず」とは以前掲示板で教えてもらった言葉だが
意味は「誰かを非難したり責任追及したりすることは、自らがなにかを成したということではない」ということだ。
自分が所謂 革新ではなく保守なのは 経験したこともない理想社会を語りたくないということなのだろう。

日本の歴史において大きな変革の時期は確かに過去に何度もあり 目にみえる改革点は確かに人にはわかるもので 確かに今の日本もまさにその地点に立っている。
しかしその改革が単に 政権交代でなしうるものではない。歴史をかえりみると「遷都級」の大改革という言葉が必要なぐらい人心を一新したい時期でもある。

ところでこの遷都などに使われる「遷」の字、 他に遷宮という言葉もあり、「遷」という字は「うつす」という意味であり 神道の鏡に通じる考え方で 実際日本的に変革を自然に馴染ませる。

確かに今 自由民主党の改革への能力にも疑問があり 2大政党による政権交代が必要かも知れないが しかし後者には 遷党(くだらない造語ですが)を受ける器も人材も見えてこない 引き継ぐものが何なのかが分からない政党ということは確かなようだ。

器の変わらない「遷」という安心感のなかで自由民主党内での派閥の政権交代を日本人は了解支持してきたわけだが 不安が不安の存在の場所を見失なわさせ「政権交代」にすがる世相を感じている。

(天皇陛下がいない日本国のビジョン2005/ 8/14投稿を編集)


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社会福祉の限界とノーブレス・オブリージュ


私有財産を認め 自由経済のなか 職業選択の自由とは 当然ながら富の蓄えの違いを生む 資産の投資も個人の裁量 増やす人もいれば減らす人もいる。
教育の権利は機会均等の権利であって 能力もまた学問の自由で獲得するもしないも個人の裁量と才能。
格差社会を問題にするのは 私有財産 自由経済 職業選択の自由とは 教育の選択すなわち学問の自由などに突き詰めれば要因があり これを認めながら
ある部分存在する「社会の歪」は是正しなければならない 是正されるべき制度は「機会均等の平等」へいかに近づけるかであって本来は富の強制分配では
ないのだろうが 私有財産の多い少ないでスタート地点の一致は難しいので 許容範囲内での富の再分配というのが資本主義社会ではある。
また 機会均等の自由競争で敗れたものにも「敗者復活の機会均等」も準備しなけれ 社会の安定という意味でも不備はあり。
失業保険や生活保護など福祉全般にはそのような役割があり 不況下の社会ではこれらが政策の論点となるのは当然ではある。
その福祉の実行の役割を果たすのが国や地方の行政ではあるが どうも日本の場合はお上の専売である。

西洋の生んだ高貴な精神にnobles obliged/no-blesse o-bligeという観念があるが 富めるものが「能力に関係なく」富めるシステムを改善せぬまま富の再分配を キリスト教的に行うのがこの思想だが 日本にはどうもなじんではいない 寄付行為に関する税制システムの不備もあると指摘はされているが どうもこのことに否定的な社会がそうさせているような気がする。
篤志家がその人が持つ財産をどのように使うかも自由な権利であり大いに奨励されても良いことで 特に敗者復活が不可能なひとたち 重度な身体的障害を持ったひとや 機会均等の自由競争の土俵に出る前に 公的機関が最低限の介入を家庭というものに対し行なわないことによっておきる機会の喪失に対する補填、即ち公的機関は 一般的定められた基準に基づくことしかやらない性質のもの 実行段階では最終目的である救済より手段の公平さしかみないもの取りこぼしは必ずあるだろう。 このような時に「篤志家の目にとまる」という幸運は認められるべきものとしたい。
貧富の差 最近の言葉でいう格差社会は解消すべきものでなく 貧者に差別なくチャンスを与えられる社会制度を優先させるほころびに 「nobles obliged」ということもあるもだろうが 
そのほころびを縫うものとして卑しく富を求めない「清貧という武士道」もある。施されるぐらいなら 清貧でもよいというもはもう日本には存在しないのだろうか。「富める者はその富を社会に還元するというノーブレス・オブリージュ」もよいが「高貴な精神に伴う義務として 清貧を恥じない社会」でありたい。格差格差と鬱陶しく 派遣切り次の日からもう生活できませんと心の貧者の叫びが聞こえる社会に言いたい。
(2005/ 6/21 No.2228 「天皇陛下がいない日本国のビジョン」掲示板投稿を編集 )

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台湾前総統の李登輝さんが 中共と日本の外務省によりにつぶされた 日本の大学での講演原稿を元にした『「武士道」解題』(ノーブレス・オブリージュとは)から引用
私自身が日本の教育の中で豊富な知育と徳育を授けられ、それを通して知識や知恵に目覚め、「人間いかに行くべきか」という根本的な哲学や理念を身につけてきたからこそ、なおのこと、この人類的危局のなかにおいて必要とされている「日本の心」の大切さを、思い起こさずにはいられないのです。
敷島の大和心を人問はば
朝日に匂ふ山桜花
これは、私が敬愛する新渡戸稲造先生の名著「武士道」の中で改めて紹介されている本居宣長の和歌ですが、この「大和心」こそ、日本人が最も誇りに思うべき普遍的真理であり 人類社会がいま直面している危機状況を乗り切っていくために、絶対に必要不可欠な精神的指針なのではないでしょうか。

李登輝さんの本読んで三年前に書いた原稿を修正記事にしました。李登輝さんの新渡戸稲造の武士道を扱ったこの本 よかったですよ。お勧めです。


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独楽

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独楽

ベットの中で子供の頃よくまわして遊んだ博多の木コマのことを思い出す。どんなルールで遊んだのか思い出すのも一苦労の記憶 誰かに確認してみないと分からない。 
コマ遊びは勝負事 地面の具合や勝負の場面で戦闘機動を使い分け コマの大きさ、ひも、芯の長さの違うコマを取り揃えていた。
持っていた コマの特徴は色、形、手触り、キズまで今でも思い出せる 紐の先端のほつれさせ方まで鮮明に思いだすことが出来る。
そんなコマも遥か昔中学にあがった頃 母が「近所の子にあげたからね」とのセリフとともに永遠の別れとなる。

小学校を過ごした広島と博多ではコマの種類が違った。
広島のコマは鉄の枠がはまったコマで 重みがあり芯が細いので土の上ではまわらず 舗装された道路やコンクリートで拭いてある上での勝負となる。博多のコマは叩きつけるまわし方 コンクリートの上では衝撃から割れてしまうので 芯がめり込まない程度の硬めの地面で遊ぶ。踏み固められた地面がなかなか見つからない今の時代 博多コマの遊び場を探すのも難しいと。
コマを売っていた雑貨屋も今はない。
隣町まで自転車の荷台にコマを縛りつけ 勝負をつけに行っていた。
福岡出身の井上陽水さんの歌に『二色の独楽』というのがある。
「まわれまわれ 二色の独楽・・・・」という部分でさえ 博多のコマが2色付けが多かった。コマ遊びをしたことのない人にはこの「まわれまわれ」というフレーズもどんな気持ちか理解できないだろう。
郷土とか住んだ土地を共有することは こんなことかもしれない。
「まわれまわれ 二色の独楽・・・・」というような文章にさえも 土地や時間が限定され言葉となって現れてくる 日本語という国語というすさまじく悠久の昔から培われた知恵の玉手箱であるに相違ない。言葉の持つシビアな合理性は 整合性なき話法を洗いざらいさらけ出してしまものである。
国語教育強化とは発信・受信双方のルールの確認のようなもので。自分でルールを作る(造語)身勝手な迷惑行為の排除でもある。

こんなことから 台湾問題での某Hとの会話が成り立たないのは主義思想の問題ではなく 共通の歴史の体現としての国語使用者同士ではなく 音声記号としての翻訳された日本語の使用者との会話にありがちな国語の不一致の問題であったと確信する。



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