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書庫33天皇陛下がいない日本国

YAHOO掲示板「天皇陛下がいない日本国のビジョン」へ投稿し始めて数年 かなり自分自身力と時間をさいてきた。
いつかは消え去るトピックス。記憶に残そうと まとめてみる。
書庫の題名は 不敬にも「天皇陛下がいない日本国のビジョン」だが さざれ石が巌となるまで天皇を仰ぎ見る国体であることを願ってやまない。
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革命思想を強要される不幸(208)


機会均等の平等と自由な経済活動がされれば 必ず大きな権力も生み出してくるのが人の世。
特定の特権を持つ人たちは 自由な経済活動で有利であり なお且つ権力も法も 民主主義議会制度を利用しながら常に先行者に優位であることを否定しない性格が 議会制民主主義の属性でもある。
そして権力は 権威を付加することを忘れずにそれを強固なものと仕上げていくものである。
人間の性は名誉と権力を追求する生物でなければ人ではないともいえる。
人間とは他人の頭を押さえつけて向上心をもつ悲しい動物である。

その極地が政治の世界であり 政治の世界に身をおく人間はその傾向が特に強い。
国家の運営は政治の世界である為 権力と名誉が一体化する機会は極力避けるべきで場所でもある。
名誉と権力の一体化を 最小限にとどめた立憲君主を奉ることで これを防止しするのは優れたシステムであり 
また評価の分かれる業績ではなく 歴史性にあるこれは万人に受け入れ易い性質のものである。
人間の本性を考慮せずただひたすら身分的との理由でこれを否定することは ライオンに菜食主義を説く行為と同じ 説は立派でも意味は限りなくない。
天皇が日本国統合の象徴であっても 民主主義国であり 天皇が身分制度の象徴にしたこともなければ 天皇の国事行為は 厳密な政教分離の原則によって行われ 政教分離にも違反せず 国柄の発露としての天皇が神道の祭主であることは 大和民族なら許容の範囲である。
また 大日本帝国憲法下でも日本国憲法下でも民主主義の発展啓蒙に天皇が尽くされ 他の共和国の民主主義の発展速度と比較しても劣るどころか その成熟度は高い。
そんな風に私は天皇の存在をとらえている。

日本の幸運は 後から来た移民に 君たちも黄帝の子孫だという神話の誇りを押し付けられたり
隣の国の地名がメインストリートに名づけられることもない
また一政治家の銅像が権威付けのために公共施設に鎮座することもない
君たちの言語は大陸の一方言だからと使用を制限され外国語が国語となることもなければ
隣の国の国父も輸入をさせられることはない
またたかが2世政治家に 市民は私の子供と偉そうに説教させられることもなく
国や市民の行事に のこのこ現れ舞台の上で何の身分か知らぬが手を振る醜さを目にすることもない
自由な臣民である幸せを味わえる 日本という国に生まれた幸運を私は感じる。


李登輝さんは「台湾人に生まれた悲哀」を「台湾人に生まれた幸福」へと国づくりのビジョンを語られたことがあったが
その幸運への転換である 自分の国のことを自分で決めることができているのであろうか





外国人社長の成功とその国を作り上げるもの  2005/ 4/17 No.2164 No.2183 No.2184


各国の商習慣などから法体系、税体系の違いも生まれ これも国土の違いの生み出したものだといえる。広大な国土と日帰り可能な移動距離のみの国土では 運送コストやカスタマーサービスの違いを生むのは当然であり まず外国人経営者が異国に足を踏み入れればその地のことを把握しなければ話にならない。 自然に出来上がったものが何であるか その中に 新たな行為をする前に獲得できる知恵もある。
営業広告媒体としての ダイレクトメール、テレビショッピングの利用の有効性なども 人口が狭い国土にある広大な国土に点在する場合とかなり変わってくる。たとえば営業・広告の手法もイメージ優先なのか 数値優先なのかも当然違う 狭い国土ではイメージ優先でも町を歩けば店舗、商品に直に接する人間には効果があり 商品に接する機会のない地域では具体的な広告宣伝でないと消費行動に移らないといったようなことなど 郵便事業は世界中で行われているが その利用量もまた国土の大きさという要因でかなり変わってくるものなのだ。ひっくるめてこれが国柄、文化といえる。
インターネットや携帯電話の普及形態 歴史も世界一様でないのも。インターネットが等しく便利なツールであるということであっても 便利の度合いに違いが大きく違いがあり 活用の度合いに差が出てくるのは必然。
外国人社長の成功は 外より持ってきた理論を 応用した成功であり 理論に成功の保証はない「すばらしいのに なぜ あなたはわからないの だからだめなのよ」とは おおきなお世話である。
話を国に変えると 国体の発展段階の違いから採用する法の違いも生む。発展段階というよりも歩んできた歴史の違いと表現した方がよいのかもしれない。日本における他国との最大の違いは「天皇」の存在であり 民主憲法の中での最大の異なる部分であることはいたって明瞭である。
日本国憲法において 「天皇」その存在は 象徴化された権威、権威を象徴化したほかに 天皇の機能はない。 それは権力というものが 武力で権力を握ったとしても、また選挙により権力を手にした事にせよ 権力の継続は権威を付加し決してよい方向に進まない 即ち権力の暴走となるのが歴史であった。 これは人類は長い歴史で学んだことのひとつなのだ。
国王・皇帝の国が絶対君主から立憲君主へ移行したのも 権力と権威を分離することにより 統治機能を分化させ進化させた形である。そして分化の進まない国王・皇帝の国は これは滅びる運命となった。共和国などは権力を分散することにより 権力の暴走を制御するシステムとしたもので 共和制の権力の暴走への制御は 付帯的に象徴的な大統領を持たせたり、元首を議会の議長にするなどして 権力に権威が極力伴わない制度を取り入れたりもした。 しかし法的に与えた権威を維持する為に 逆に権力を付加するという中途半端な分離の段階にとどまり 権威と権力の完全な分離にはいたっていない。それは 大統領制など 議会と独立した存在でこの二つに権力を分けることにより権力を分散すし 権力の暴走を制御しようとするものがあるが これも権力と権威が一体になることによる暴走を制御できるものではない。その証拠に 大統領に「期限」をつけるという非民主主義的方法を採用せざるをえないなど 実は避けるべき権力と権威が一体になっているものなのだ。
権威と権力を完全分離し あえて法で作った権威に権力を与える必要もない 日本国のように 地球上でもっとも進んだ権力の暴走を制御できる「いわゆる天皇制」を 何故中途半端なものと比較し 過去の遺産とする マルクスの虚構の年表は 今歴史の残滓としてリベラルを語る人間にこびりついている。
風土からくる 鳥のさえずりはあたりまえだが 朝気持ちよく同じ時間にシャッター開く生活のリズム音も 日本独特の音であり 道路をから伝わる タイヤを通した振動さえ国によって違いがある。日本を感じ それを言葉であらわすことは 生物的遺伝子でない民族の遺伝子を感じ その形を知るということになるのだ。
地球上オールマイテーな理論を採用するのは地上の楽園という架空の場所しかありえない。

<文化の伝播> 2005/ 4/17 No.2166


「カステラ」からものの伝播をイメージしながらキリスト教などの布教を考えてみる。キリスト教など布教に付帯する歴史的印象、即ち殉教や戦争を伴った暗く力強いものや 深い宗教心に支えられた献身的人物の存在などがまず思い浮かぶ。
構造的背景をそこから想像すれば 一方の文明が意思を持った出来事故に「伝えられた」という 教科書的記述になり特に違和感なく受け入れているが そのことを改めて考えると。確かにこの副産物であるカステラも「伝えられた」ということなのであろうが 物理的なものの移動でなく文化的概念として考えるなら「伝えられた」という表現や「教えてもらった」でよいのだろうか。調理法は教えてもらったということでなく 文明と文明の接触による「もの」の伝達は すくなくともカステラを食べたいという意思 受け入れた側が何よりも定着に及ぼすのであろう カステラを普及させたいという意思に比較し 前者の継続が勝らなければ 今に至るだけの力を持ちえたであろうか。
カラオケの普及も初期のきっかけはカラオケメーカーの努力といえるのだけでなく 受け入れ側の流行として広まるものでしかない。そして発信国が常にその「本場」であるという認識を受入国からされるのなら そこには尊敬すべき文化があるのだろう。大体においてそのような伝播が世界のものの移動のほとんどであるのだ。逆にいえば文化的侵略など 独立主権国間では起こりえないことであり ある都合による後付的理由による恣意的排除のための言葉に過ぎない。これは「教えてやった」「侵略されている」という思考は同じ線上にもあることである。
歴史へのアプローチは 広く言われていることの正しさに含まれた 大きな誤解を紐解く堅実な態度が必要であり その逆は抗体なくした「権威の引用」の受け入れということなのであろう。教科書的歴史の事実はこの「権威」であるのだろう。

39)憎む心


キリスト教の本質を異教徒の私がわかるわけはないが 旧約聖書にある罰する神の恐さや 日常にいたる行いまでも白黒つける本質を 「罪を許し救いをさしのべる神」という新約の中へ持ち込んだイエスであっても これらの旧約の世界観を100%拭いきれなかった。イエスが変えようとしたものを弟子が誤解した そんな部分が新約から感じ取れる。「ひたすら念仏せよ」という簡単なことさえひとは多くの誤解を取り入れてしまうのであるから 原罪を抱えて生まれて来たものが 聖書の抽象的言葉に忠実であろうとすると 純粋性の強迫観念となるのだろう。
キリスト教徒の愛は 模範的には神が愛してくれるように他人を愛することで 求めるものには与える、あなたの 右の頬を打つ者には、左の頬をも向けなさい というように究極には 神がなされることのようにふるまうこととなる この人間関係に求められる倫理規範の根底を 実行にうつすとなると 極めて闘争的に異教徒にはみえる。浄土真宗をはじめ浄土教は 仏のようなふるまいを目指すこと自体放棄し 原罪を負うというよりも業というものはぬぐいがたき人間の本性として付き合うという違いになり。 当然「軽蔑すべき対象」に対する態度もおのずと緩やかになるのだ。

「地獄は一定すみかぞかし」(『歎異抄』
「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(新約聖書 「マタイによる福音書 9章13節」 

と ともに本質的には同じようなことを言っていても ユダは永遠の裏切りの象徴であり この大きな強烈な印象が 2000年色あせない物語となる。ここが親鸞であれば 裏切りという「あやまち」でなくユダは誰でもおかす「間違い」となるだろう。しかしながら 仏心も見つけがたいものであるが キリスト教の「狭き門」は 文化的要素より 人種的体力の違いでないだろうかと考えてしまうほど 日本人にはこの狭き門を分け入る体力、信仰を保つ体力はない、人種的体力さもまた文化的違いを生む要素ではないだろうか。

38)シナ文明と大和の文化


台湾に住みながら 台湾の大陸由来の風俗習慣も興味深い それでいて 台湾語の歌は 100%の「ど演歌」。演歌を歌うためにこの言語はあるのではないかと思うほどである。演歌にあう音を持つ言語で 中国語方言と言われながら 中華臭ささはそれほどないが 台湾の寺院・廟、そして習俗となったシナ大陸の道教の魔力は その土地の神様に成りすましながら。金儲けの露骨な神様と人気を得てこの土地の風景に溶け込んでいる。こんなことを考えていると シナ文明との対極にある神道を司る天皇も 神道世界に入り込んだ道教のにおいが微かにするものである。
朝鮮半島との関わりで  天皇を含め日本の古代国家成立を考察することは当然の道筋ようだが 半島から人がなだれ込むその前に 日本は中国大陸から直接影響を吸収する素材があったのではないだろうか。
スマトラ沖地震の津波で海に椰子のみとともに流されたひとは 椰子のみで命を繋ぎながらインド洋の真ん中まで漂流したようだ。 椰子の実を運ぶ島づたいの黒潮は日本列島まで一気にひとを運んだであろうし 勇気を持ってカヌーに乗り込んだ人もいただろう 熊襲や隼人の末裔である南海の土地にマレー・ポリネシアの血が色濃くつたえているに違いない。
沖縄に海洋文化館というものがありメラネシア、ポリネシア、ミクロネシアの海洋文化の展示がある。 その中にこれらの地域への人の広がりの方向というものがあり 漂流では説明がつかない道筋が多く含まれている。もともと中国南部から移動が始まり 海流にも逆らい ハワイやイースター島まで到達した。海流に逆らったと思われる意図的な船出による移動があった。流れ着く土地と目指された土地である。
琉球列島は揚子江周辺人、マレーポリネシア人にとっては漂流の道であったが 大和言葉の南下は 大和民族(縄文人、隼人、熊襲と表現すべきか?)の黒潮に逆らった航海であった。琉球列島対面交通の海の道である。
台湾の土地公生(トオテエコンセェー)という日本で言う八百万の神がいる。日本の祠並みにどこでもある。天公生(ティーコンセェー)、媽祖などの大陸生まれの神様もまた多い。 八百万の神々の国は外国生まれの神様をいくらでも迎え入れ そこは人が流れ込み流れ出す土地の特色である。日本、琉球、台湾に残る中国の風俗宗教はひとに付着する種子がその地に落ち芽をだしたのだろうが ひとの行き来なしに道はできない。
沖縄は太平洋に浮かんでいながら冬はやはり冷える。緯度的には 暖流の関係で暖かい地域であるが 冬場の大陸性寒気団の覆う範囲でもある。北に位置する日本とシナ大陸にともに類似した部分も気候にもある。 太平洋の島々は ポリネシア、メラネシア、ミクロネシアと大きく分類できるが 沖縄や台湾は人文地理学的にはこの分類に入らないのは 日本、支那の文明の張り出した範囲に入るからだ。
薩摩、沖縄は日本のどの地域よりも支那大陸の影響を受けた場所である 島津の殿様の屋敷の釘隠しのコウモリの意味合いから、豚肉中心の食文化まで幅広い影響がある一方 グスクに残るウタギの祈りの場所は ここが長くシャーマニズムの国であり それは祭りの継承で現代に伝わっている。この二つの地域が どの日本の地域よりも支那の影響を受けたが 琉球は薩摩に 熊襲隼人は大和によって薄められ 流入量に比較すれば量こそあれ とどまったものは意外と少ないといえる、万葉言葉をどの日本の地域よりも方言の中に多く残すこの地域は 古い時代より大和の影響を受け シナ文明圏にはならないが 張り出した大和が天皇を含め シナ文明から運ばれた種でなかったとはいえない。
しかい 最初の文明が起きた時点で 地球上のどの地域にもすでに人は住んでいたのであるから 一方的な移動は存在しない。

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