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油物を口にしたところで セブンイレブンでお茶を購入 澎湖のこんな田舎まで進出してくれて実にありがたい存在。 台湾の2000年頃 近所の農安街にセブンイレブンがあり 車線も引いていない道幅のところにほぼ対面にセブンイレブンが2軒 コンビニが当時も多かった台湾だけれども どうみても同じセブンイレブンが 同じ客層に二軒で対応している異常な光景だった。聞くところによると一つは日系、一つは米国系とのことだった。2005年に米国のセブンイレブンを日本資本が吸収してからはそんなことはなくなった。 |
17【小ネタ】台湾での出来事
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台湾での刺青への抵抗感は日本のそれと比較してかなり低い、日本の刺青事情が 歴史的にやくざ文化と関わり発展したことや罪人の印といったことがあり 世界的にみれば特殊であるので 抵抗感の比較といったものが日本人基準なのかももしれない。 台湾の黒道すなわち日本でいう極道は 日本の影響もあり日本風の刺青もあり 刺青を大きく入れることは堅気との世界との一線を越えるという意味合いも含まれるので 刺青を入れるということに対する嫌悪は全くないわけではないのだろうが 台湾の男女問わず 俳優や歌手などの芸能人の刺青は普通に存在し やはりハードルは低く一般人でも数は多い プールに行けばそれはよくわかる。 以前刺青研究で台湾に来られていた学者さんとお話したことがあった。そんな研究もあるのかと日本の絞り込んだものを研究対象にする細かさに感心した影響ではないが 刺青を目にすると入れた動機を尋ねるようになった。 刺青を入れた理由を尋ねる事に対するハードルも低くく 失礼にあたらないので 写真の24、5のパイワン族の子に 刺青の経緯を聞いていなかったのでうかがってみることにする。文字はKARAで「希望」との事、紙に書いて説明してくれた。高校を卒業する時に お金のない祖父と祖母が 二人で費用を負担して 将来 幸多かれとはなむけにプレゼントされたとのこと よく尋ねてくれたということで その時の今も残る喜びがつたわって来た。 |
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今回の台湾入りは2度目の金曜日の深夜便。 18時には仕事を終え そのまま関西空港へ直行。ちなみに奥さんは前日に台湾入り 空港内でメシを食い 22時半に搭乗 桃園に着いたのは0時をまたいで 0時20分 中国や香港からの到着便も重なるのだろう イミグレ窓口の外国人入国審査の列は異常に長い列 預けた荷物をながく待たせることになり コンベアは止まり 私の荷物は降ろされてぽつりと置いてあった。 タクシー乗り場も深夜だけあってこれまた長い列 その間にパブに電話 今日は何時まで店開けているのか確認 2時過ぎに行くから待っててねと連絡 行先の地名を告げると タクシーの運ちゃん 「でどこのホテル?」と聞いてくる 林森北路と南京西路の交差点でよいのだといっても オークラかそれとも○○かと何度も聞いてくるので 今から飲みにいくので ホテルではないといっても ホテル名を聞いてくるので 林森北路と南京西路のマクドナルドの前でいいの!って感じ 基本台湾人はお節介がDNAに組み込まれている親切人種 しつこいのはホテルに泊まるはずの日本人を わけもわからないところで降ろすのがまず心配だったのだろう。 着いたばかりということもあり 早々に3時半頃タクシーを呼んで北投へ 2003年頃は200NT$を切っていた料金が初の400NT$越え430ぐらいだったか それでも日本の感覚から言えば1/3だけれども ずいぶんと高くなった。 |
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高校時代の3年の時の地理の先生が特殊な人で 普通の授業でなかった。高校3年の時僅か2学期間だけ 受験で科目に地理選択した関係からそれまで縁のなかったその先生の授業を受けることに 地理好きだった私はその授業が楽しみだった。受験用の講座だったにもかかわらず ほぼ脱線 しかし色々な話が今でも頭に残っている。 イタリアの地理の授業のとき 軍事戦略上対岸に付属する島を占領することは重要で イタリアの東側のアドリア海 授業当時存在したユーゴスラビアの沿岸の島をイタリアが領土に編入したことがあるという話。(第一次世界大戦後にザーラとともにイタリア領になったのがラゴスタ島で、現在の クロアチア領ラストボ島) その時 その話からの展開で 国共内戦の結果 国民党軍が台湾に逃げ込む際に 中国福建省の海岸の島を軍事要塞にしてここを最後の砦にし踏ん張った結果 中華民国の領土として 金門島があり これは軍事戦略上の教科書通りの行為とその先生は述べられた。 そんなことで中華民国の福建省の島 金門と馬祖は台湾の行政範囲にある。 占領地で歴史的に台湾ではないという特別な地位から特別行政区、人口が少ないにもかかわらず 立法員議員の定員がわりあてられている。その結果からわかるように民意は中国との統一を願うもの。当然である 歴史的に一度たりとも金門と馬祖は福建の一部で台湾の一部ではないわけだ。 台湾にいたころ 随分採用面接をした その内の一人を強烈に覚えている。女性で しゃべり方や仕草、その話の内容が 台湾人のそれと明らかに別物、外省人とも違い いったいどこの田舎の中国人が 台湾まで面接に来ているのか?との印象 今でもそうないだろう 当時は密航でもしなければ無理、まして普通の企業の面接を中国人が受けるなんて言うことはあり得ず。
省籍を尋ねると「金門」出身とのこと。 彼女の面接が終わった後 一緒に同席していた外省人と台湾人のハーフの同僚とほぼ同時に笑いが止まらなくなった。同僚が「いやーびっくり 金門の人はじめて会った ほぼ中国人ね」とのこと。それほどの違いがあり 金門の人は純粋な中国人。 金門県の人口は13万人 台湾の中では0.5%であって 今考えるとパンダを見たように笑ってしまって申し訳ないと思う。 金門県で0.5%、そのうち台北に住んでる人は極小で知り合う確率もないのだけれど あとひとり金門のひとを知っている やはり普通の生き方はされていないでしょうかね 少数者というものは生きにくいこともあるのかな。 |
台湾の新聞「自由時報」の呉董事長が死去台湾「自由時報」の呉董事長が死去台湾の有力紙「自由時報」の発行人で、董事長(会長)の呉阿明氏が8日、自宅で死去した。12日付の同紙が伝えた。92歳。日本統治時代の台湾の農家に生まれ、戒厳令時代の地方議員を経て同紙の創刊に参加した。 自由時報は新聞発行の自由が認められていなかった1980年の創刊で、台湾独立色の強い論調で知られる。呉氏は、高齢になっても毎日、自分で車を運転して出勤して社説に目を通し、筆名で時事評論を執筆した。台湾語を母語としながらも、執筆時には日本語で思考し、中国語に翻訳して手書きで原稿にしていたという。呉氏は知日派としても知られ、台湾での日本理解に貢献したとして、昨年秋の叙勲で「旭日重光章」を受章していた。近親者による葬儀は11日に行われた。(台北 田中靖人) その自由時報の董事長が亡くなられて寂しさに耐えない。 亡くなられた呉阿明氏日本の旭日重光章を昨年受章 台湾における日本社会の紹介及び対日理解の促進に寄与とのこと 亡くなられる直前であるのだけれど 間に合ってよかった。 こんなことまでできるのが安倍内閣 自分の安倍さんに対する支持は 真の自由主義者として揺るぎない。 |







