3台湾【北部】
-
詳細
|
台湾大学前のMRT公館駅から対面の方向である新店渓側、自来水博物館裏手の山の反対側の斜面にその寶藏巖の眷村がある。まあ台湾リピーターでも早くて4〜5回目で選択するような観光地かもしれない。 その眷村の入り口にあるのが眷村地名の由来となった宝蔵巌寺。泉州安溪移民の信仰中心で祭られているのが觀音菩薩,歴史もあり市定古蹟でもある。 |
|
本願寺台湾別院からほど近い艋舺龍山寺へ 夜の何時までライトアップされているのかは知らないが 人のまばらな龍山寺も綺麗なものだ。 蛇料理で有名なアーケード街の華西街、屋台の並ぶ西昌路、龍山寺のななめ隣りにある歴史のある地蔵庵へ立ち寄り時間つぶし。 1945年(昭和20年)5月31日 米軍台北大空襲で3000人が無差別殺戮された時
艋舺龍山寺も被害に会う。日本時代の龍山寺と現在の写真の違いはこの爆撃による損壊による。 修復された屋根の跳ね上がりより空襲前の反り返りは古い写真を見るとその方が美しい。 空襲のエピソード艋舺龍山寺のHPから紹介 第2次世界大戦終戦直前の民国34年(1945年)に米軍の空襲で本殿が焼夷弾の直撃を受け、石柱までもが全壊するひどい惨状であリましたが、このような状況のなかで、木像の本尊、観音菩薩像だけは、無傷のまま端然と蓮座に端座されご安泰でした。 当時、空襲があると付近の住民は観音さまの膝下は絶対安全だと信じ、多数の人々が避難してきましたが、激しい空襲のなか、不思議なことに、避難者には全く死傷者がなく、そのあらたかな霊験は、今日でも人々の間で語り伝えられ、ご加護を讃えております霊験あらたかなんですね。 |
|
台湾での元旦 さすがにこの日は人と会うのを遠慮静かに過ごすことにした。 家でじっとしているのもなんなので 本願寺台湾別院跡に出向くことに。 wikipediaから
日本統治時代の明治29年(1896年)に「本願寺布教所」として建立され、同34年(1901年)に「台北別院」と公称した。昭和4年(1929年)に「台湾別院」と改称した。 戦後、廃寺となり、1975年に本堂をはじめ、ほとんどの建物が焼失してしまった。 2006年に台北市政府によって残った鐘楼、樹心会館が市定古跡、輪番所、遺跡(参道、本堂、御廟所)が歴史建築に指定された。 現在、西本願寺の跡地は、史跡公園として整備され、鐘楼や樹心会館、輪番所、本堂の基壇などの復元工事が進められている。復元された鐘楼が2013年に公開されたが、鐘が本物ではなく新たに造られたものとわかり、税金の無駄遣いと批判が集まった[1]。建物は10年前と比較すると修復され公園としてよい景観 かつて灯ったであろう輪番所の灯りは喫茶店の灯りとなっているがそのような形でも 建物は使用しながら残すのも長い目で見ればよいことではないだろうか。 釣鐘の本物は文化財ということで保存されているようで ここに釣られているのは新たに造られたものとか 税金の無駄遣いと批判があるようだが 日本関連の文化財に税金投入していただけるということは 浄土真宗西本願寺派の門徒としてはありがたいことだ。寄付金募ってくれていたら7000万門徒がいるのだから台湾に負担を掛けずにやりようがあったと思うのだけれど 本堂跡台座に手を合わせて南無阿弥陀仏 |




