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橋のたもとには 崗哨があり 橋は軍事の対象 タイで橋梁の仕事で橋を撮影していた先輩がその昔フイルムを没収されたと言っていたが 基本外国では橋を撮影したらダメって話がある。 ここまで来たのはいいものの タクシーで来たので帰るすべがない とりあえず川に沿って下れば鉄道があるはずなので歩く 泰安小学校を過ぎた田んぼの中に 観光客が吸い込まれて行く林があった。「泰安池杉林落羽松」ということで色づいた紅葉状態の松林があり珍しいみたい。紅葉が平地ではない常緑広葉樹の台湾ではこれも観光資源なのでしょうかね。 |
8台湾【中部】
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泰安旧駅に来たのは古蹟指定の駅舎を見に来たのではなく 目的はこの駅にある台中線震災復興記念碑が目的 1935年新竹台中地震(墩仔腳大地震)は死者3,279名と死者数は台湾史上最多とのこと 今より人口が1/3以下の台湾で田舎が震源にも関わらず 1999年の大地震より被害が大きかったのだからすごい地震だったようです。 台中線の復興には3年の歳月が掛かったようでその記念碑。 記念碑には日本語の碑文が 昭和の文字のみ削られているだけで保存状態もよく 碑文を書いた 建設改良課長小山三郎の名も残されていた。 後日こうして記事書くとき台湾のサイトも調べるわけですが 復興工事の殉職者の工員の遺骨も収められているとのこと 手を合わせてくるべきだったと後悔。ほぼ無傷で記念碑が残されている理由はそこにあったようだ。 |
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大型のシルバーウィークは11年後ということで 現役最後になるシルバーウィークは台湾と決め行ってきました。が記事の方は昨年末をぼちぼち思い出しながらUP 后里駅から廃線になった旧山線の泰安旧駅へ 旧山線は見どころが多いとの事だけれど今回は 泰安旧駅のみに行くことに wikipediaさんによると 1935年4月21日 - 新竹台中地震により山線は大きな被害を受け、本駅の木造駅舎も倒壊した。 1938年7月15日 - 新たな駅舎が完成した。 と1938年の駅舎であるが台中市の指定古蹟(三級) 日中戦争で物資は不足していたとのことだけれど地震後の建物なので一見して丈夫そうである。コンクリートの建物にありがちな機能重視で無機質デザインではあるが悪くない建物だ。
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后里駅の案内板にしゃれた禅寺の写真があり行くことに 縮尺のわからない地図であったので距離もわからず歩くことに 同じ方向に向かうレンタル自転車に乗った観光客に抜かれ もしやかなり遠いのでは?との疑問が浮かび 駅に引き返しタクシーにのる。
とても歩いて行ける距離ではない山の中だった。 山門の牌坊の前で下車 とても歩いて帰るという発想もわかないので運転手さんに直ぐに写真を撮ったら戻ってくるからと待っていてもらう 文字にするなら駆け足で参拝 尼さんの姿がちらりとみえた。 禅寺は特に整った造形美があるが 木々とモダンなコンクリートの建物の組み合わせは美しい。 昭和3 年(西元1928 年)於后里聖地創建毘盧禪寺,昭和5 年竣工とある。 二度の大地震を経ながら壊れることもなく大正モダニズムの香りがする。 正門の石牌坊の題字は清朝末期から民国初期の軍人・政治家。北洋軍閥直隷派の日本と大きくかかわった呉佩孚のもの。日本統治時代に北洋軍閥の軍人の題字が台湾にあるのも珍しい二ではないだろうか。 |
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后義宮なるお宮があったが特に歴史はないようで 境内で食材を日干しする婆様を撮影 これもよくある台湾の光景。とっとと駅に引き返し 毘盧禅寺へ行く為タクシーにのる。 后里馬場が途中にあり 遠足なのか児童が多かった。馬場のゲートには「2018国際花卉博覧会」とあり 台中で花博あるんだとただそれだけ。 日本は競馬があるから 競馬落ちの乗馬用の馬の供給には不自由しないのだろうけれど 競馬のない台湾 どこから馬仕入れてくるのでしょうかね。 |




