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澎湖はこの玄武岩の柱に支えられている島のように海岸線の所々にその姿を見ることが出来る。 玄武岩という由来は兵庫の玄武洞から1884年に命名されたとのこと そして玄武というのは中国の神話に出てくる言葉。 台湾での表記も玄武岩。中国のサイトにも玄武岩は日本の命名とあった。明治時代多くの科学用語が 中国の古典などを利用しながら翻訳され その用語が漢字圏で使用されていることは誇らしいことだ。 |
9台湾【南部】
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澎湖本島は馬公本島、中屯島、白沙島、西嶼(漁翁島)と4つの島が橋で繋がり ここがその日の折り返し地点。ちなみに 馬公本島、中屯島、白沙島、西嶼(漁翁島)とあるなか 西嶼島と表記しないのは 日本語ではなじみは薄いが「嶼」が島を意味する漢字だから。 台湾は大陸棚の端 外洋に浮かぶ島 多くの燈台を海岸線と島に抱える。古いもので現存する多くは日本統治時代の遺産である。しかしこの燈台は珍しく 1778年建造で清朝由来のもので二級古跡の指定を受けている。 澎湖から始まった清朝による台湾の近代化を見ることが出来る。 日本による台湾の近代化は植民地統治の奇跡と語りつがれているのだが 清朝が台湾で行った近代化に費やした時間は短く その後の日本の統治成功に打ち消されたものの 清朝や日本にとって共に新しい領土であり 統治の難しい土着の人の住む地ということと 本国の近代化熱がそのまま熱伝導した感じがこの燈台を見て感じる。燈台に付属する建物のいくつかは日本統治時代に建て増しされたものとのこと。 赤の日式ポストがあった。台湾の郵便ポストは緑色 観光地でよく見受けられるこの赤色円筒の日本統治時代の郵便ポスト、台湾人にとって日本統治時代のものは観光の対象と分かりやすい。 |
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日本軍がコンクリートで作った 偽物の大砲。澎湖は今も昔も 台湾防衛の最前線の地 今は大陸と対峙し軍事施設も多い。この偽物の大砲は 大東亜戦争時に米国の航空機を引き寄せで 誤爆させるのが目的。 兵器も量産できなくなった 日本軍は少しでもその消耗を減らそうとしたのだろうと推測できる。しかしどれほどの効果があったか疑問。コンクリート製で潮風と雨に晒されながら 今でも朽ちていないのはその仕事ぶりは 気持ちが入っていたに違いない。 この手の偽物は 木製のゼロ戦を滑走路に並べた話など聞いてはいたが 実際に目の当たりにすると こんな状況にまで戦力がおちていたかと 哀しい気持ちがこみあげてくる。当然戦況は末期的と軍人さんも感じておられただろう しかし最後の最後まで祖国のために戦われた。 大東亜戦争の戦場は主に海外 今の日本では 当時を物語るものもすくない。 来てよかった。 |
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アーチにある澎湖跨海大橋は蔣介石の筆によるもの もともとアーチの中央にあったものを 撮影のために道路中央に出るひとが多くいて その位置を端に移したとのこと。また李登輝さんの「民之所欲常在我心」民の欲する所 我が心に常にありとの文字も刻まれている。 |
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以下過去記事から 風力タービン騒音、台湾でヤギ400匹が不眠で死亡か 澎湖には現在風力発電所が数箇所ありますが、ここ、中屯風車は初めて風力発電が運転された場所だといわれています。それ以前にも後寮村と七美村に風力発電所を設置したこともありましたが、設計不備のため運転ができず、解体してしまいました。 エコロジー先進国のドイツが製造した風力設備を採用し、風車は異なる風向きにも対応することが可能。澎湖の風といえば冬の東北季節風が有名ですが、夏には西南の風が吹くので、この働きはとても大切です。また、葉っぱの形をしたブレードの材質を軽いものへと改良しています。 中屯風車には600キロワットの風力発電機が8基あり、発電量は澎湖で使用されている電気量の10%以上をカバーしています。この成功を得て、澎湖では風力発電所をどんどん増やしていこうと計画しているそうです。 再生可能エネルギーを礼賛して盲目的に反原発に追随するひとがおられますが 風きり音の低周波がもたらす健康被害は半端じゃないわけで 絶対悪もなければ 絶対善もない オスプレイのプロペラの何倍あるねん ってことに左翼はならない ご都合主義の糞が多いいね。 |






